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◇◇◇◇
夢を見ていた。
数十年前の、あの焦げた山脈の夢。
空は赤く、竜の血と炎で世界が歪んでいた日。
レードオーガルの咆哮が鼓膜を裂き、魔術の光が何度も弾け、そして最後に。
自分は燃えていた。
鎧が溶け、肉が焦げ、視界は白く掠れていた。
竜の首は落ちた。だが身体の感覚は急速に遠のき、熱だけが残っていた。
その掠れた視界の中に、ひとつだけ鮮明なものがあった。
白。
焦土に不釣り合いな、清楚な白い外套。
顔は霞んで見えない。だが、声だけははっきりと覚えている。
「もう大丈夫」
あの一言で、張り詰めていた意識が切れた。
死臭も、痛みも、恐怖も、すべて遠のいた。
白の魔女セレナ。
そして今、その女は、この城にいる。
レオニスは静かに目を開けた。
天蓋越しに差し込む朝の光が、やけに澄んでいる。
普段は朝が弱い。戦場では誰よりも早く目覚める癖がついているくせに、城ではどうにも起き抜けが悪い。
だが今日は違った。
胸の奥に、妙な澱みがない。
嫌な気配もない。眉をしかめることもない。
むしろ、あの日と同じような奇妙な安心がある。
「……おい」
短く呼ぶと、すぐに扉が開いた。
控えていたメイドが一礼する。
「支度を」
「はい」
侍女が手際よく寝衣を脱がせ、王の衣を着せていく。
金糸の刺繍が入った上衣、軽装ながら動きやすい長衣。王でありながら、常に剣を取れる装い。
その最中、重い足音が廊下から近づいた。
ノックもなく扉が開く。
「失礼いたします」
入ってきたのは側近騎士、クリスだった。
顔色が硬い。
「何だ」
レオニスは鏡越しに問う。
「ヴァルディウス王国が、隣国エルピアータ帝国と同盟を結んだと報せが」
着替えの手が一瞬止まる。
「ユークリッドも、まだ若いのに耄碌したか」
他国の王を吐き捨てた。
エルピアータ帝国。
勝った瞬間から全てを奪う国。
女子供は戦利品。食料も宝石も根こそぎ持ち去る。
建物は破壊され、男と老人は見せしめのように殺される。
その残虐さは、大陸中に知れ渡っている。
そして何より。
「ヴァルディウスとは、国境を断絶するほどに仲が悪かったはずだ」
「はい。幾度も小競り合いを繰り返していました」
クリスの声は慎重だ。
レオニスは静かに息を吐いた。
「そこまでして、欲しいんだろうな」
視線が、窓の外へ向く。
城の最奥。ここからでも見える位置にある部屋。
「……セレナの血が」
白の魔女。
不老で、癒しをもたらす奇跡の存在。戦場で焼け落ちたはずの自分を、生かした女。
あの一言で、レオニスは命を繋ぎ止めた。
「久しぶりに、いい目覚めだったというのに」
苦く笑う。
「側近の騎士から最悪の報せを受けるとはな」
「申し訳ございません」
「お前が謝ることではない」
レオニスは立ち上がる。
王の顔に戻る。
「どうせ、いつかは知ることになる」
腰に剣を差す。
その重みが、現実を教える。
「ならばこちらも手を打つまでだ」
「エリシュニカ聖教国に?」
「ああ」
同盟国、エリシュニカ聖教国。
神の加護を掲げる宗教国家。軍事力は高くないが、影響力は絶大。
「ヴァルディウスが牙を剥くなら、こちらも盾を増やす」
そして、続けた。
「クリス」
「は」
「ユークリッドには祝いの言葉を送れ」
「……祝い、でございますか」
「同盟成立を祝うと。心からな」
皮肉は言わない。
「必ず添えます」
騎士が踵を鳴らし、退室する。
扉が閉まる。
静寂。
レオニスは一瞬だけ目を伏せた。
「セレナは誰にも渡さん」
小さく呟く。
この国に向けて、嵐の匂いが、確かに近づいていた。