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「じゃあ、僕帰るけど。
なんにも諦めたわけじゃないからね。
今回はお兄ちゃんに出し抜かれたかもしれないけど」
月花には仕事をさせて、錆人はひとり、弟をエントランスまで送りに出ていた。
「……いや、なにも出し抜けてはいない」
錆人は弟にそんな真実を告げる。
いや、弱音だろうか。
「告白もできてない」
なにやってんのーっ? と唐人に驚かれた。
「早く告白して、付き合って、結婚して、飽きられてよ。
どうせ、結婚なんて、三ヶ月も持ちゃしないよ。
うちの親たち見てみなよ。
夫も本妻も愛人も。
結局、みんな自分の楽しみ優先でさー。
知ってる~?
この間、あの人たち、バッタリ出会ったみたいでさ。
共通の友人がいたみたいで」
あの人たちとは、マリコと唐人の母のことのようだった。
「意外と趣味と話が合うんだって。
みんなで旅行に行くらしいよ。
別に仲は良くないらしいけど、お互いがいたら楽しいって。
まあ、そもそも好みが似てるから、好きな男も同じだったわけだしね。
男への愛が薄れたら、いつか、いい友だちになれるのかもね。
そもそも、あの人たち、お互いの存在を知ってるってだけで、直接対決とかしてないから。
概念の中の愛人とか、概念の中の本妻、みたいな感じで、ああされたこうされたって感じの恨みではないからね。
まあ、そんな感じに愛は薄れるものだから。
早くくっついて薄れてよ、こうなったら」
「薄れる予定はない。
今、愛に気づいたところだし。
大体、その理論で行くなら、お前の月花への愛もすぐ薄れるだろう?」
「なに言ってるんだよ。
僕の愛は永遠だよ」
「……俺の愛も永遠だ」
「だいたいさあ。
今、愛に気づいたってなに?
月花に偽装結婚頼んだ時点で、愛は生じてたんじゃないの?」
「それは……」
そうかもしれない、と錆人は思う。
『大丈夫だ、じいさん。
一目見て、ピンと来たんだ。
こっちが真実の愛だ――!』
『まあ、時間は関係ないのかもしれないけどな。
運命の相手というのは、見た瞬間にピンと来るものらしいぞ』
考えてみれば、俺はずっと無意識のうちに真実を口にしていたんだな、と錆人は気づく。
「お兄ちゃんさー。
もうちょっと積極的になりなよ」
ああしてこうして、ああしたらいいよ、と何故か唐人が恋の手順を教えてくれる。
「すまないな、みんな。
あいつ、もう帰ったから」
騒がせてすまなかった、と錆人がまだ廊下に溜まっていたメンツに言うと、月花と常務も出てきた。
みんな、
「雑炊屋さん、専務の弟さんだったんだー」
とか語り合っている。
錆人は腕を組み、渋い顔をする。
「月花のために、今の仕事を捨てて役員になるとか笑止っ。
そんないい加減な奴に仕事ができるわけもないし、誰もついてはいかないだろう。
一生懸命働いてるみんなの上に立つ資格はない。
うちの弟が権力を振りかざしてすまん」
専務っ、とみんなが錆人を見、
専務っ、と常務も錆人を見た。
「……だがまあ、あいつなら、そつなくこなすかもしれん。
昔から要領よかったし。
人の心をつかむのうまいし。
俺よりいい上司になるかも」
「あの……いきなり、自信をなくさないでください」
と苦笑いして、月花が言う。
「でも、そんなふうに冷静に判断できる専務はすごいと思います」
と月花が言うと、何故か、常務が、
夫を伸ばせる良い嫁だ、とでも言いたげに、月花を見て、満足げに頷いていた。
専務室に戻った錆人は、唐人が教えてくれたことを思い出していた。
「そういう時はね。
ああしてこうして、こうしたらいいよ。
なんだかんだで、女の子は強引な男が好きなものだからね」
「失礼します」
と月花が入ってきた。
錆人は顔を上げて言う。
「唐人は女性の扱いが手慣れすぎている。
やめといたほうがいい」
「……そうなんですか」
……唐突すぎただろうか。
月花は微妙な顔をしているが。
はっ、それとも、唐人に気があって、唐人を批判するものは許せないとかっ?
さっきは、みんなの手前、断っていただけだとかっ。
唐人はなんだかんだで、ひとなつっこく、可愛らしいところがあるからな。
頭もいいし。
見た目は申し分ないし。
女なら、誰でも好きになってしまうのではっ。
いや、それを言うなら、西浦も船木もいい奴だ。
いい男だし。
あいつらも、女なら、誰でも好きになってしまうのではっ。
月花は、じっと自分を見つめている。
……これ以上言うのはよそう。
せっかく協力してくれた――
かどうかはわからないが。
唐人を貶めることになってしまうからな。
「よし、さっきの騒ぎは忘れて。
気持ちを切り替えて働こう」
と言ったが、月花は、
いや……切り替わっていないのはあなたでは?
という顔でこちらを見ていた。
「でも、唐人に言われた通りに実践して、月花が俺を好きになったら。
それは、唐人を好きになったということなんじゃないかと思うんだが……」
錆人は夜、スープ屋で船木と西浦にそんな弱音をもらした。
西浦が、
「いやいや、それを誰がやるかが問題だろう。
ていうか、なんで俺はお前の相談に乗ってるんだ?」
と言う。
「いい奴だからじゃないのか?
月花が今にも惚れそうないい奴だから」
と錆人が言うと、西浦は満更でもなさそうで、それを聞いていた船木が、
「じゃあ、俺も月花に惚れられそうないい奴になるために、お前の相談に乗らねばならないじゃないか」
なんという矛盾っ、と叫んでいる。
そのとき、大きな窓ガラスの向こうに唐人が見えた。
月花と歩いている。
こちらに気づいた唐人は、つんつん、と月花の腕をつついて、それを教えた。
二人でこちらを見、息を合わせたように同時に手を振ってくる。
錆人は唐人からのアドバイスを思い出していた。
『その一、さりげないボティタッチ』
自分でやってる……。
『その二、動きをシンクロさせて、親近感をわかせる』
それも自分でやってるっ!
中に入ってきた唐人は言った。
「僕もやらないなんて言ってないでしょー。
月花が友だちとうちの店に来たから、ついでに、二人で紗南の結婚祝い買いに行ったんだよ」
「……お前、また外食か」
いきなり月花にそう言うと、月花が、え? という顔で自分を見た。
「たまには自炊しろっ。
(俺が磨いてやった)あの鍋でっ!」
いや、なんのとばっちり~っ!?
とばかりに、月花は紗南へのプレゼントの袋を胸に抱き、ええ~っ!?
と声を上げていた。
「月花は俺が送るんで」
帰り。
錆人がそう主張すると、西浦が、
「じゃあ、俺がその錆人を送ろう」
と言い出す。
すると、唐人が笑って、
「じゃあ、僕はその西浦さんを送るよ」
と言い。
船木は壁のメニュー近くにある時計を見上げたあとで、真剣に唐人に向かい言った。
「あとちょっとで店閉めるから、待て。
俺がお前を送ってく。
絶対、送るから。
逃げるなよ」
塾帰りらしい女子高生二人組が船木の近くを通りかかった。
熱く訴える船木と唐人をチラチラ見ながら、
ええ~っ?
と嬉しそうな顔をしていた。
結局、船木を待って、五人で店を出た。
「おにーちゃん、イルミネーション見に行こうよ」
と唐人が笑顔で言い出す。
『その三、素敵な場所に連れていって、雰囲気を盛り上げる』
いや、全員で見て意味があるのかと錆人は思ったが、なんとなくみんなで見たい気もしていた。
一番近いイルミネーションがある場所に行こうと歩き出したが、かなり冷える。
案の定、月花が、
「さむっ」
と言って震えた。
「はい」
と唐人が自分のマフラーを月花にかけてやる。
「あっ、いいですよっ。
三田村さんが寒いじゃないですかっ」
「いやいや、僕はカイロいっぱい仕込んでるから、ダウンの下に。
男臭くて嫌なら返してくれていいけど」
「いえ、三田村さんのいい香りがします」
と月花は微笑む。
「あ、雑炊の匂いとか?」
「いえ、なんだかわからないけど、上品ないい香りがします」
月花がそう言ったとき、西浦が月花の右側に行き、
「じゃあ、俺が手を握る」
と言って、月花の手が寒くないよう、その体温の高そうな手で握ってやっていた。
「それじゃあ、俺が反対側を」
と船木が左側を陣取り、やはり、月花の手を握る。
「待て、俺は……?」
と錆人はが言うと、全員が同時に言った。
「そのまま見てろ」
「指咥えて見てろ」
「なす術もなく見てなよ」
「なんでだよ……」
「お前はそれでいいんだ」
と西浦が言い放つ。
おい……と思っていたが、数メートル歩いたところで、西浦が手を離した。
「じゃあ、俺たちは帰るから」
「え」
「この近くのもいいけど。
駅のイルミネーションが綺麗だぞ」
「俺は水族館の前庭のがいいと思うが」
「おじいさまの海の別荘のが綺麗だよ」
それぞれお薦めのイルミネーション教えて去っていく。
帰り際、唐人が言った。
「だってしょうがないじゃん。
月花、みんなで歩き出しても、知らず知らずのうちに、おにーちゃんの隣になるよう、歩調を合わせてる。
早くくっついて別れてもらうためにも、ここは邪魔しない方がいいと思って」
「……俺にできるだろうか。
この関係を進めることが。
いきなりキスするとかしかできないのに」
「だからやっぱり、お兄ちゃんが一番、手が早いんじゃない?
あるいは、一番、月花を舐めてるか」
僕でも月花には震えてできないよ、と唐人は眉をひそめて言っていた。
なんだろう。
私の身に、いろんなことが起こっては通り過ぎて行っている。
三田村さんにマフラーを巻かれ、西浦さんと船木さんに手を握られ。
専務と三田村さんが、私と専務のこれからのことを話している。
私はどうしたら? とか思っているうちに、唐人も手を振って去り、みんなを追いかけていってしまった。
錆人と二人きりになる――。
雑踏の向こう。
もうすぐそこにイルミネーション。
周囲には、イルミネーションを求めて彷徨う人々がたくさんいるのに、何故かビル街に二人だけしかいない気持ちになる。
「……手を、握ってもいいだろうか」
俯きがちに錆人が問うてきた。
「え……
えーと……
改めて問われたら、ちょっと」
「じゃあ、確認せずに握る」
とぐっと握ってくる。
突然、積極的になるのやめてくださいっ。
あと、これは握手ですっ。
それぞれがこのまま進んだら、交差してしまいますっ。
錆人は気づいたように手を握り変えた。
照れたように少し前を歩き出す。
錆人のコートを着た広い背を見ながら、
この人、キスしてくるときには照れてないのに、何故……、
と思わないこともなかったが。
そのギャップがなんだか可愛らしくもあった。
「さっきの話、聞いてたんだろ?
お前への愛が一番薄いから、こんなことできるわけじゃないからな」
蒼く街を彩るイルミネーションの中。
強く手を握ったまま、錆人は言う。
いや、西浦さんたちも手なら、握ってましたけど……。
っていうか、握る力が強すぎて、ちょっと痛いです。
でも、それを言って離されても嫌だし。
専務が申し訳なさそうな顔をしたりすると、心臓が痛くなりそうなので、痛いけど、頑張りますっ、と月花は思っていた。
「寒くないか?」
と振り返り、錆人が訊いてくる。
「あ……はい」
三田村さんのマフラーにより、寒くないです、と思っていたが、もちろん、それも言わなかった。
それにしても、なんていうか。
自分なんぞがこんな扱いしてもらっていいのだろうかと不安になる。
まばゆいばかりのイルミネーションの中。
ここは現実の世界なのだろうかと歩く足取りがふわふわして覚束なくなっていた。
でも――
「でも、私、今、この瞬間を一生忘れないと思います」
錆人を見上げて、そう言ったが、
「……そうだな、俺もだ。
でも、忘れてもいいかなとも思う」
と言われてしまう。
ええっ、専務にとっては、やっぱり、こんなのささいなことなんですかっ?
と思ったが、錆人は視線を合わせずに、
「もっとすごい思い出を。
お前とは、ずっと作っていきたいから。
今日、この日の感動が吹き飛ぶくらい、お前と二人で幸せになりたい。
――結婚しよう」
そう言ってきた。
月花はすぐに言葉が出てこなかった。
だって、結婚するんですよね? と思っていたからだ。
しばらくして、その意味に気づき、
「あっ、はいっ」
と慌てて答える。
「偽装じゃないぞ。
とりあえずする、とかでもない」
錆人は念押しするように、そう言ってくる。
「ほんとうに結婚するんだぞ。
大丈夫か?」
いつまでも錆人が胡散臭げに繰り返しそう訊いてくるので、はい、と答えながらも、笑ってしまった。
「なんかあっさりオッケーもらったんで、感動するより、不安になってきたな……。
ほんとうに大丈夫か?
お前、結婚するって意味、わかっているか?」
あらためて、そう問われると、不安になるな……。
「確かに……このシチュエーションに流されただけもしれません。
危険ですね、イルミネーション」
「えっ?
なにやってんの?
なんで、二人して、お互いを正気に戻そうとしてんのっ?」
という三田村の声が聞こえた気がした。
手をつないで歩いとるっ。
妻とイルミネーションを見に来ていた常務は衝撃を受けた。
反対側の道を初々しい感じに錆人と月花が手を繋いで歩いていたからだ。
専務という立場にあるものがっ。
人前で秘書と手を繋いで歩くとかっ。
「どうかしたんですか?」
と長年連れ添った妻が訊いてくる。
「いや……」
専務が――
と言いかけたとき、俯きがちに歩く月花の幸せそうな横顔が視界に入った。
「……もうちょっと歩こうか」
常務は、ちょっと照れながら、手をつないでみた。
妻は、あら、という顔をしたが。
そのままなにも言わずに歩いていると、ふふ、と笑う。
「綺麗だな、イルミネーション」
「そうですね……」
月花と錆人はそのまま数箇所イルミネーションを見て回った。
しかし、そのうち、恋のはじまりのウキウキした気持ちでもどうにもならないくらい寒くなってきた。
「寒いですね。
そろそろ帰りませんか?」
寒さが骨身にしみてきた月花はそう提案してみた。
このままだと、寒さで震えが止まらなくなり、ひどい顔になりそうだったし。
「そうだな。
気分がもっと盛り上がって、愛が深まるまで歩きたい気持ちだったが。
確かに寒そうだな」
と錆人は月花を見て言う。
「あ、愛はもう深まっているので、帰りましょうっ」
寒さのあまり、そう言ってしまう。
「深まってるのか?」
「えっと……」
「深まってるんだなっ?」
脅されているっ、と思いながらも、幾ら綺麗でも、これ以上、ここにいたくなかったので、
「これ以上ないくらい深まっていますっ」
と叫んでしまう。
「じゃあ、今夜も泊まって行っていいか」
「どうぞっ。
ハンモックは専務に進呈させていただきますっ」
「……いや、ハンモックに寝たいわけじゃない」
と言って、錆人は、じっと月花を見つめてくる。
寒いので、心のままに言葉がほとばしってしまう。
「では、お帰りくださいっ」
愛は何処へ行った……、という顔をされてしまった。
「おっ、お邪魔します~」
月花は結局、近くの錆人の家にお邪魔していた。
「やっぱり、お前の部屋はよそう。
あそこは遊んでしまって、雰囲気が盛り上がらないから」
と言われてしまったのだ。
錆人の家は、なんというか、今風の建築家が建てた硬質な家、という感じの家だった。
「なにか、夜食でも食べるか」
「はあ……お腹いっぱいなんで」
と言いながら、錆人のあとをついて、立派なキッチンのある広い部屋に入る。
うっかりついてきちゃったけど。
大きな家だ。
これだけ部屋数があれば、なにかあっても、何処かに逃げ込めるだろう、などと考えていた。
一応、プロポーズは受けたわけだし、逃げる必要があるのかはわからないのだが……。
そのとき、月花の視界に不思議なものが入った。
つるんとした球体でステンレスの――
取っ手がある……
これは鍋!?
白く広い、なにもないキッチンにUFOが浮いているように見えた。
「宇宙空間で使われているような鍋ですねっ」
「宇宙空間で鍋使うか?」
いや、イメージですよ……。
「お前の鍋愛につられて買ってしまったんだ。
ところで、結婚後はここに住むか?」
もしそうなら、お前の部屋を決めていいぞと言われる。
そ、そんな急に具体的に……。
「他の家がいいなら、また探そう」
「そういえば、紗南さんは結婚されたら、どうされる予定だったんですか?」
「別居の予定だったと言ってるだろ。
紗南だって仕事もあるし。
いや、全部振り捨てて、愛に生きてしまったんだが……」
と言いかけ、ふと気づいたように錆人は言う。
「そういえば、お前に関しては、別居って想定はあんまりなかったな」
カウチポテトな毎日を送ってくれとか言ってましたもんね。
「やはり、最初から愛があったんだな。
よし、ラーメンでも茹でてみるか」
初めて使うんだ、この鍋、と機嫌よく言いながら、普通の袋麺を立派なキッチンから出していた。
月花は、使いたかったんだな……、と笑い、
「お手伝いしますよ」
と言ってみた。
いや、袋麺作るのに、そんなに手伝えるようなこともないし。
手伝えるような立派な料理の腕もないのだが……。
結局、二人で袋めんを作って食べた。
だだっ広い立派なテーブルに、ぽつんぽつんと大きめの器に入ったラーメン。
テーブルが大きいのに、これひとつだとなんだか侘しい感じになるな……。
でもまあ、二人で作るの楽しかったな。
……いや、私は水をはかって入れただけなんだが、と思う月花に、向かい合って座る錆人が訊いてきた。
「美味しいか?」
はい、と答える。
だが、確かに美味しいのだが、家で食べるのと何かが違うなと気がついた。
あーと思わず口に出して言う。
「どうした?」
「いえ、なんか同じラーメンなのに感じが違うなと思ったんですが。
専務の家の匂いがするからかも。
専務の家の匂いとラーメンの匂いが混ざって感じられて、いつもと違う感じって言うか」
友だちの家で食べるご飯がちょっと落ち着かないのに似ている、と月花は思った。
「俺の家の匂いなんてあるか?」
「いや~、なんだかわからないけど、人の家の匂いってあるじゃないですか。
この家だとちょっと新築っぽい匂いとか。
香料もないのに、柑橘系な感じとか」
悪い匂いではなく、その家の特徴的な匂いというか。
自分の家もなにかの匂いがあるのだろうが、自分ではわからない。
なるほど、と言ったあとで、錆人が訊いてくる。
「ところでお前の部屋決めてみたか」
「いやあの、まだ見てませんけど、部屋」
では、案内してやろうと言われ、二人で広い家の中を歩いた。
そうなんだよなー。
まだ新築の匂いがするせいもあって、家の中が、なんかよそよそしい感じ。
広くて、そのまんま雑誌に載ってそうな家だし。
ここに住むとか、バチが当たりそうなんだが、と思いながら、錆人が二階の部屋のドアを開けるのを見ていた。
「あれっ?」
「ん?」
二人で思わず、声を上げる。
家が少し高台にあるせいか、小さくだが街のイルミネーションが見えたのだ。
窓際で、木の上の辺りに見えるイルミネーションを眺めながら、ふふ、と月花は笑う。
「部屋からも見えましたね」
寒い思いしなくてもよかったな、と思ったが。
やはり、頭の上から降るように輝いているイルミネーションの方が迫力はあった。
「二階あまり上がったことがなかったんだが、でかした俺の家」
横に立ち、外を眺めながら、錆人は頷く。
「でかした俺の家っておかしくないですか?」
あと、二階はあまり上がったことがないっていうのもおかしい気がしますが……。
よく言う、めんどくさいから上がらない、というのとは違う匂いがします、と月花は思っていた。
錆人が振り向き言う。
「だって、雰囲気が盛り上がるだろう? イルミネーションが見えると」
うっかりお前がプロポーズをオッケーしてしまうくらいには――
と言われ、
「いや、うっかりってわけでもないですけどね」
とうっかり言って、
「ないのか」
と真顔で問われる。
「……な、ないんですかね?」
と月花は小さな声で呟くように言った。
ふっと笑った錆人は窓枠に手をかけると、身を乗り出し、キスしてくる――。
「やあやあ、今日は僕との結婚式の予行演習の日だね。
家も三回建てると望む家になるって言うし。
結婚式も二回くらいやった方がいいものができるかもしれないよね」
……何言ってんだ、唐人、という目で控室にいる親戚の人たちが見ていた。
「親戚のみなさんにとってもいい予行演習だよね」
いよいよ、月花と錆人の結婚式の日を迎えていた。
控室には唐人と一緒に西浦や船木たちも来ている。
船木が月花の手を握っていった。
「月花、綺麗だ――。
永遠にお前を愛している」
錆人が横で、これは俺たちの結婚式だ、という顔をしていたが。
なんだかんだで、船木たちに悪いと思っているのか、好きにやらせていた。
「また二人で店に来てくれ。
今は、『傷心な店長のスープ』が人気だ」
船木が下り、西浦が前に出てくる。
「月花、よく似合ってるぞ、そのドレス。
ほんのりいつもと違う、いい香りもするな」
「あ、ちょっぴりですけど。
ウエディング用にフレグランスを選んでもらってつけてるんです」
「そうか。
その香りを嗅ぐたびに、今日、この日を思い出すというわけだな。
……街でその香りの香水に出会ったら、投げ捨てよう」
と笑顔のまま言う。
「まあ、また二人で店に来てくれ。
『月花の心を取り戻す方法を考えてくれたら、20%オフ』のアンケート企画が大人気だ。
カードに記入し、成功したら一年間タダ食いできる券をプレゼントだ」
……いや、みなさん、商魂逞しいですよね、と思う。
そこで、ふいに、
「うちの店には来なくていいよ」
と唐人が言ってきたので、月花は笑って言った。
「三田村さんがフラれたって噂が流れて、今、女の子でお店いっぱいらしいですね」
会社の女の子たちも通い詰めてるみたいで、聞きました、と言うと、
「やめてよっ。
僕は月花の次の子なんて、絶対探さないからねっ。
永遠に月花だけを愛してるからっ」
と言う。
いやいや、幸せになってください、と月花は思っていた。
「月花さん、素敵です~。
嬉しいですっ」
とウエディングドレスをデザイン、縫製してくれた人たちが言う。
ちなみに、工場の工場長たちも来ていた。
「ほんと、もう完全に月花のためのドレスね」
とイギリス人の夫と来ていた紗南が感心したように言う。
結局、ドレスは作り替えなかったのだ。
みんなとあそこまで作り上げたドレスを着て、式に臨みたいと思ったからだ。
ドレスを作り替えるよう、店に連れて行かれたが。
「みなさんとの思い出も詰まった、このドレスがいいです」
と言った月花を、みんなが、
「ついていきますっ」
と祈るように見た。
「……なんだろう。
俺じゃなくて、お前の方がボスみたいになってる」
と錆人が呟いていた。
「いや~、楽しかったけど、疲れましたね~」
式のあと、月花と錆人は錆人の家に帰ってきていた。
結局、錆人の家に住むことになったのだが。
ちょうど仕事が忙しく、まだ荷物は一階の隅に積んであるままだった。
キッチンのある部屋に入った錆人が、
「……袋めんでも作るか」
と言い出す。
錆人は仕事ばかりで、家にいないので、もともと生活感がなく。
二人の生活をはじめる準備もまだ整っていないので、相変わらず、ガランとした雰囲気のままのキッチンだ。
「確かに。
お腹空きましたね。
披露宴とか二次会って、なんか食べたような、食べないようなって感じですもんね」
「すぐに新婚旅行に出られてなくてすまないな。
なかなかスケジュールに空きがなくて」
「いいですよ。
出張について行くときもあるじゃないですか」
と言って、
「……いや、もうちょっとちゃんと旅行に行こう」
と言われる。
そのあと、二人でキッチンに立った。
「あ、専務、鍋が増えてるじゃないですか」
式の準備で忙しく、来ない間に、また鍋が増えていた。
またステンレスの宇宙的な鍋だ。
すっかりハマっているようだ。
二人で袋めんを作って食べたあと、月花は自分の部屋となった、あのイルミネーションの見える部屋に行く。
運んだ荷物や今日使ったものなどを少し片付けておこうと思ったのだ。
コンコンとノックの音がして、はい、と振り向くと、錆人がドアを開けた。
何故か眩しげに月花を見ている。
「……なんかいいな」
「えっ? なにがですか?」
「いつも家にお前がいることがだよ」
いや、そんな照れるようなことを言わないでくださいよ、と月花は俯いた。
「それに、いい匂いだ」
「え?」
「まだ残ってる。
あのフレグランスの香り」
「お料理とかの邪魔にならないよう、ちょっとしかつけてなかったんですけどね」
いや、まだしてる、と錆人は身を屈め、月花のこめかみ辺りの香りを嗅ごうとする。
近いっ。
近いですっ、と思わず逃げる月花を見て、錆人は微笑ましげに笑っていた。
「この香りを嗅ぐたび、今日のことを思い出すんだろうな。
十年先も二十年先も」
きっと、百年先だって――
と言う錆人に、そうですね、と月花もしみじみと頷いた。
「忘れないと思います……。
今日のウエディング フレグランスの香りと、
袋めんの香り」
「……何故、袋めん」
「今日、違和感なかったんです」
と月花は語り出す。
「前、ここで袋めんを食べたときには、袋めんと家の香りの混ざり合った感じが、ちょっと落ち着かなかったんですけど。
でも、今日は、ああ、いつもの袋めんの匂いだな、としか思わなかったんです」
「お前がこの家に馴染んできた証拠だな」
と嬉しそうに錆人は笑う。
「いや~、そんなに来てないと思うんですけどね」
「じゃあ、家というより、俺の匂いに馴染んできたんじゃないか?」
と言いながら、錆人はまた月花を見つめる。
いやいやいやっ。
だから、そんな目で見ないでくださいってば、と視線をそらした月花に錆人が言った。
「……偽装結婚のままでよかったかもしれないな」
ええっ? と月花が顔を上げると、
「そしたら、またいつか、新婚になれるだろ。
結婚式やり直して」
と錆人は笑う。
月花、と錆人は月花を抱き上げると、初めて会ったときと同じ言葉を口にした。
「見つけた――
俺の花嫁」
もうイルミネーションのない夜景を背に、錆人はゆっくり月花に口づけてきた――。
完