「――し、もしもーし」
「うーん、やっぱり当てられたかな……」
夏の夜に頬を撫でる風のような声がした。
その声に呼ばれて、ゆっくりと意識が浮上する。
まず目に入ったのは、長い金色の髪だった。金色は彼を囲い、そうしてその中心に並ぶ二つの赤い瞳が彼を見下ろしている。
猫のような瞳と、目が合った。
「ああ、よかった、起きた」
「なかなか起きないから心配したんだよ」
一見すると女性のように見える容姿だが、その声はあの暗闇で聞いた男性のものだった。
彼はにこりと微笑むと、「よいしょ」なんてわざとらしく口にしながら立ち上がる。
それにつられるように体を起こせば、いかにも質の良さそうなソファに横になっていたのだと気がついた。
部屋を見渡す。随分とアンティークな様をしていた。赤いカーペットに洒落たシャンデリア、おそらく位の高い人が座るのであろう重厚な机と椅子。まるで中世の歴史を展示しているような、そんな様子だ。
「…なぁ、」
口を開けば、分かっている、と言いたげに彼は口の前に人差し指をピンと立てる。
「大丈夫、落ち着いて」
「いつもの日常から一変、突如こんなところへ連れてこられた憐れな君に、私が状況を説明してあげよう」
そう言って彼は席に戻り、咳ばらいを一つすると、大きく両腕を広げた。
「モーンガータ魔法学園へようこそ!シキ!!」
「ここは君が住んでいる人間界より近くも遠くもないところ、月の真っ逆さまの更に下。そんな利便性の欠片もない場所にある学校だ」
「ここで学ぶこと、それは魔法。と言っても、もともと魔法を知っている生徒が多いからね。それをより活かせるように! 人生の助けとなるように! 魔法を学ぶのさ」
「そして! 私こそがこの学園の校長、フィーカだ」
「遠慮なく、そして朗らかに校長と呼んでくれたまえ」
すらりと、彼――校長は一礼した。
「それで、君も気になっているだろう最大の問題点だけれど」
「どうして人間界の夜道をのんびりと歩いていた君が、魔法学園になんて呼ばれたか、だ」
「それは他ならない、君にかけられた呪いのせいだよ」
「……呪い?」
シキは眉をひそめる。
「まあ一旦話を聞いて、順を追って説明しよう」
「君、その手に握っているものを見せてごらん」
シキが手元を見れば、そこにはあのとき拾った半分だけのティーカップがあった。ずっと握りしめていたのだろうか。
校長もそれに目を向ければ、ひとつ頷く。
「それの持ち主は私さ」
「簡単に説明しよう。この魔法世界は恐ろしい神に狙われているんだ」
「そのティーカップは、そんな神からこの世界を守るために作ったものでね。もちろん、最初は欠けてなんかいなかったよ」
「……最初は?」
「つい先日のことだ。そのティーカップがとある愚か者に壊された。見てのとおり真っ二つにね」
「さらに犯人のそいつ……ああ、まだ捕まっていないんだけれどね、そいつが割れたティーカップをどこかにやってしまったんだよ」
「だから、随分一生懸命探したよ。そうしてやっと見つけた片割れが、君の持っているそれさ」
校長はそう言って、シキの持つ半分だけのティーカップを指で差す。
「だけれど、もう片方は未だに見つかっていない。この学園のどこかにあるのは分かっているんだけどね。如何せん、最近はどこもかしこも魔力が高まっていて良くない。私もそのカップが割れて以降、めっきりポンコツだしね」
「そして、ここで君の出番だ」
「君、身体に不調を抱えているだろう? 頭が痛いとか、吐き気がするとか」
「….確かに、なんか気持ち悪いな」
「それが呪いさ。君は呪いにかかっている」
「その呪いが、君にティーカップを拾わせ、こんな場所まで連れてきてしまったんだ」
「……と、言うことはだ」
「割れたティーカップを元に戻さないとこの世界は神に侵され、壊される。そしてティーカップの半分は未だに行方知れず」
「一方、君は呪いにかかっている。その呪いを解かなければ君はこの世界から帰ることもままならない」
「つまり、だ。君、このモーンガータ魔法学園で、そのカップの片割れを探してくれないか」
「……」
シキは一度考え込む。
例えここで断ったとしても呪いとやらでこの世界から帰ることが出来ない。ならばーー
「……わかった。やるよ」
シキは決意を固めた目で校長を見つめる。
「うんうん、物分かりが良くて助かる」
「本当に、ティーカップを元に戻せばこの呪いとやらを解けるんだな?」
「約束しよう、このティーカップを元に戻した時、君のその呪いも解けると」
シキは校長の顔を見る。
――嘘はついてないようだ。
「そうと決まったら、これからのことについて話そう」
「やることは簡単だ。君は生徒としてこの学園で過ごし、その傍らティーカップの片割れを探す」
「生徒として過ごす、というのが重要だ。なんといっても、この世界と君の存在を語る上でひとつ問題があってね」
「この魔法学園では、人間は随分と嫌われている。いや、嫌い、とは少し違うか。恐れ、憎まれていると言った方が正しいかもしれない」
「君が人間であると知られた瞬間に、彼らは君を排除しようとするだろう。それこそ、命だって狙われる可能性がある」
「ただ安心してほしい。君が持つそのティーカップの片割れには、私の魔力がうんと込められている。それを持っているうちは、皆が君を魔法使いだと信じて疑わないだろう。そもそも、君は精神力が随分と強いほうだしね。なんなら、他の子よりもよっぽど強い魔法が使えるかもだ」
「さて、ひとまず説明は以上だ。なにか質問はあるかな?」
「…そういえば、ティーカップを割った犯人が居ると言ったな。心当たりはあるのか?」
「候補は何人かいる、が、絞り切れていないのが現状だ。君が持っているそれと同様に、見つかっていないもう片方も相当の魔力を有している。普通の人間や魔法使いなら触れるだけでその魔力に耐えられず、身体が焼け爛れていくはずなんだ」
「だから犯人はそれなりに強い魔力を有しているはずなんだけど……私の力が衰えたせいかな、どうにもこいつだ!という奴が見つからないんだ」
「それじゃ、どうして魔法使いは人間を嫌っているんだ?」
「そういうふうに理解し、育ってきたんだ」
「幼少期の記憶は心に深く残るだろう? 幼い頃に人間は良くないもの、恐ろしいものだと知って育ったんだ」
「…そもそもどうして俺の名前を知っているんだ? 自己紹介した覚えはないが」
それを聞いた校長は席を立ち、両腕を広げ、挙げながら高らかに宣言する。
「そりゃもちろん、私が偉大な魔法使いだからさ!」
それを聞いたシキは、
「あっ、そうですか…」
と引き気味に返事する。
「うん、こんなところかな」
校長は何事もなかったかのように椅子に座り直す。
「ああそうだ、この世界に馴染むための準備をしないとね」
校長はそう言って、指を鳴らす。
すると、シキの目の前に突如、一本の杖が現れた。それは挨拶でもするように、その場で静かにくるりと回る。
「この世界では、魔法使いは杖を持つものなんだ。その方が“それっぽい”だろう?」
「私は面倒だから、一人の時は持たないけどね」
「君もまあ、雰囲気を出すためだと思って、それを持っているといいよ。デザインは君好みにしておいたとも」
「ああ、このことは他の魔法使い達には内緒だよ? 杖は必須、これがこの世界の掟」
「それから次に、魔法を使う時の合言葉なんだけど……」
「合言葉?」
「魔法を使うときはね、鍵となる言葉を唱える必要があるんだ。呪文とは似て非なるものさ」
「君の場合は君自身の魔力も強い方だし、魔法を使うことにはなるだろうから必要だろう」
「ということで、君の合言葉を考えよう。好きな言葉でも、君自身の名前でも、なんでもいいよ」
シキは少し悩んだ末に、
「それじゃあ、【シフト】にしよう」
そう言った。
「合言葉を忘れて魔法が使えなくなるなんてたまったもんじゃない」
「いいじゃないか? シンプルで覚えやすい」
「よし、次は服装だけれど……」
「よいしょっと」
校長は指で円を数回描くと、それをシキに向ける。
すると、シキが着ていた服が先ほど身に着けていたものから、見慣れない制服のようなものへと変化した。
「これがこの学園の制服さ、良いデザインだろう?」
「代えはまあ、追々用意しよう」
「では最後にひとつ、私から贈り物をあげよう」
校長はそう言うと、背後にある扉を振り返り、声をかける。
「入ってきたまえ」
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