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社長視察は無事に終了した。
私たちは後藤社長を見送るため、支社のロータリーまで出ていた。
視察を終えた社長は、集まった社員たちに一人ずつ声をかけながら送迎車へ向かっている。その中で、朝倉くんの前まで来ると、足を止めた。
「朝倉くん、営業の成績の件は私の耳に届いているよ。さすがだな」
後藤社長が朝倉くんを見る眼差しが、妙に優しい。
「いい上司に恵まれているので」
そう言って、朝倉くんが私を見つめてきた。
まっすぐ向けられた視線に、私はなんだか照れくさくなってしまい、つい俯いてしまった。
「ははっ。なるほど」
社長は私たちを見比べるようにして笑った。
「ところで、今後は家業を手伝う予定はないのかね?」
「家業……?」
思わず顔を上げる。言葉が引っかかった。
彼が育った環境や、これまでの話を考えれば、相当なお家柄なのだろう。
結婚したいと迫ってくるくせに、朝倉くんは自分の家族について、何も教えてくれない。
(私が知らない彼の過去)
そこには、私がまだ踏み込めていない何かがあるのだろうか。
「……兄が継いでいますので、私が関わることはありません」
朝倉くんは、少し間を置いて答えた。
「もったいないな。君の才能は母親譲りなのに」
「……ありがとうございます」
朝倉くんの笑顔が、一瞬にして愛想笑いへ変わった。
先ほどまでの柔らかな表情が消えている。
けれど、後藤社長はその変化に気づいていないようだった。
「それなら、ぜひ本社に来たまえ。君の力を最大限に発揮できる仕事が、いくらでもある」
「ありがとうございます」
社長からの誘いに、朝倉くんは淡々と答える。
確かに、彼の実力なら本社が欲しがるのも当然だろう。
このまま成績を上げ続ければ、本社へ引き抜かれるのも時間の問題なのかもしれない。
(そうなれば、私たちは、離れ離れになるのか……)
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
そのとき、朝倉くんと目が合った。
なぜか、彼はニコリと笑った。
まるで私の考えていることを見透かしているような笑顔だった。
そして、社長に向き直李、今まで見たことがないほどの会心の笑みを浮かべた。
「後藤社長。ご報告が遅れました!」
「ん?」
次の瞬間、朝倉くんがいきなり私の肩を引き寄せた。
「えっ?」
右腕で、ぎゅっと抱きしめられる。
何が起きたのか理解するより先に、朝倉くんが堂々と言い放った。
「朝倉祐二は、牧野瞳子さんと結婚します!」
「…………」
「…………」
社長と私の目が、同時に点になった。
(ちょっと! いきなり何を言い出すの──っ!)
突然の結婚宣言に、私は目を見開いたまま固まってしまった。
心臓が、ものすごい勢いで鳴っている。
しかも、社長と大勢の社員の目の前。
(どうしてこのタイミングなのよ!)
けれど、当の本人はまったく動じていない。
それどころか、私を抱き寄せたまま、さらに続けた。
「それゆえ、しばらくは夫婦の絆を深めるためにも、異動はご遠慮願います」
淡々と、そして堂々と、当然の業務報告でもするような口調だった。
それが、いかにも朝倉くんらしい。
社長はしばらく私たちを見つめていたが、やがて表情を柔らかくした。
「はははっ。めでたいことだ。そういう事情なら、二人そろって成績を上げて本社に来なさい。待っているよ」
「ありがとうございます」
朝倉くんは満面の笑みで答えた。
私は引きつった笑顔を浮かべることしかできない。
社長はそんな私たちを微笑ましそうに眺めると、送迎車へ乗り込んでいった。
最上級の笑顔を浮かべる朝倉くんと、貼り付けたような笑顔の私に見送られながら。
やがて車がロータリーを出て、完全に見えなくなった。
私はそれを確認してから、ようやく朝倉くんの腕を解いた。
そして、彼にしか聞こえない声で問い詰める。
「聞きたいことが山ほどあるんだけど」
「はい」
朝倉くんは、いつもの涼しい顔をしている。
「後藤さんの件は、社長の奥さんということは知っていました。ただ、それは普段の会話の中で、彼女がつい漏らしたからです」
「でも、社長とも顔見知りのようだったけど?」
「ええ。実家がちょっとした宿泊業をやっているので、何度かお会いした記憶があります」
「そうだったの……」
ますます謎が深まる。
「朝倉くんは、私と結婚したいって言う割には、自分の家族のことを教えてくれないよね。何かあるの?」
「僕は大人です。結婚は自分の意志で決める。当然のことです」
「……まあ、そうだけど」
それ以上、踏み込むことはできなかった。
そのとき、私たちはようやく周囲から好奇の目で囲まれていることに気づいた。
「うそー! 婚約したの? いつの間に?」
「牧野さん、大人しい割にやるわねー!」
「いつから付き合っていたのよ⁈」
「これは社内の一大スクープだ!」
共に社長のお見送りをしていた重役や社員たちが、次々に声を上げ始めた。
「えっ……」
私は周囲を見渡した。
しまった、完全に忘れていた。ここには、こんなにも人がいたのだ。
私はもともと目立つことが得意ではない。
それなのに、今や支社中の人間が、私たちの婚約を知ってしまった。
これから何を聞かれるのか、明日から、どんな顔で出社すればいいのか……。
考えただけで、血の気が引いていく。
視界が少し揺れ、足元がふらついた。
「瞳子さん、大丈夫ですか」
すぐに朝倉くんが私の身体を支えてくれる。
「心配するくらいなら、派手な宣言なんてしないでほしかった……」
恨みがましく言うと、朝倉くんは少しだけ眉を下げた。
「機嫌を損ねたのなら謝ります」
そう言いながらも、彼はまったく後悔しているようには見えない。
「でも、瞳子さんは僕のもの。それを周知するのは、今日しかないと思ったんです」
そう言って、彼は心の底から幸せそうな笑顔を浮かべた。
悪意はない。本当に、ないのだ。
ただ、距離感が盛大にバグっている。
同時に、朝倉くんは愛情に対して、どこまでもまっすぐに突っ走る人なのだと思う。
私は深いため息をついた。
こうして私の意に反して、私たちの婚約は社内中に広まっていくことになった。
湊未来
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夏目莉央
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#意味がわかると怖い話