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ランチタイムにはまだ早い時間のフードコートは、比較的どの店も空いていて並ばずに注文できそうだった。唯一少し人の列が出来ているのはソフトクリームやクレープを販売するスイーツ屋と、沙耶のお目当てでもあるドーナツ屋。朝一からの買い物客がちょうど休憩したくなる時間帯になるんだろう。
「さーちゃん、やっぱりソフトクリームにしようかなぁ」
ここに来て新たに悩み始める沙耶。姉の里依紗は娘の心変わりには呆れ笑いを浮かべているが、特に何も言わない。きっとよくあることなのかもしれない。沙耶はスイーツ屋のカウンター前に並んだ食品サンプルを見比べたまま動こうとしなくなる。最初は確かドーナツを食べると言っていたはずだが、それはもう過去の話らしい。メロンソフトにするか、苺ソフトにするかで難しい顔をしている。
「こうなると長いから、あっくん連れて先にどこか席取っといてくれない?」
「うん、分かった」
「ついでに飲み物買ってくけど、睦美は何にする?」
姉に聞かれてドリンクメニューを覗き込み、睦美はアイスコーヒーと伝える。そして、眠り続ける甥っ子を乗せたベビーカーを押し、窓際の比較的人の少ないテーブルへと移動した。フードコート内には小さな子供連れが利用できるキッズスペースもあって、マットの上に低い子供テーブルもあったが既にどこも満席状態。もし空いていたとしても他の子供達の声に淳史が起こされてしまいそうなくらい、その一角だけはかなり賑やかだった。
以前に比べて小さな子供達の叫び声をそこまで煩いと感じなくなったのは、ピアノのお姉さんとして接する機会が増えたからなのだろう。聞き慣れていない頃なら耳障りに思うこともあった甲高いキャーキャーという声も、今は割と平然と聞き流せるようになった。
姉達が来るのを椅子に座って待ちながら、睦美はフードコート内をぼーっと見回していた。平日のショッピングモールは小さな子供を連れた親子が多い。佐山千佳のように公園代わりにキッズコーナーに遊びにくるだけの親子も少なくはないのだろう。
――佐山さん、本気で幼児教室に入れるつもりっぽかったなぁ。
もういつ生まれてもおかしくないくらいの大きなお腹だったから、今入会しても通うのは大変だろうなとは思ったが、所詮は他人事だ。そんなのは平日に休みが取れる旦那が何とかすればいい。
――っていうか、リンリンに話聞きそびれてるし……佐山さんの旦那さんと、一体何があったんだろう?
職場の人とはあまり深く関わろうとしない香苗が、あんなにはっきりと苦手だと言い切ったくらいだ。何かよっぽどの事情があるんだろう。
「ごめん、やっと買えたわー」
声が聞こえて振り向くと、両手にアイスコーヒーが入ったカップを持った里依紗がちょっと疲れたとでも言いたげな顔をしていた。後ろからは濃いピンクと白の二色で渦巻いたソフトクリームを大事そうに握りしめた沙耶が得意げに笑って歩いてくる。
「とりあえず列に並んで、順番が来るまでに決めなさいって言ったんだけど、レジの前でも優柔不断でさぁ……」
「でも、むっちゃんとリンリンお姉さんのリボンの色だから苺のにしたの!」
「あー、ピンク色だもんね」
味ではなく最後は色が決め手になったらしい。苺とバニラのミックスなのは里依紗が「二つの味が楽しめるし、こっちの方がお得感あるから」と勝手に注文したみたいだ。それに対して沙耶は「赤とピンクのしましまが良かったなぁ」とあくまでもリボンの色に拘っていた。
どこからか借りて来た子供用の椅子に姉が娘を抱き抱えて座らせているのを、睦美は受け取ったばかりのアイスコーヒーのストローをカップの中で回しながら眺めていた。姉は息子がまだ大人しく眠っているのを覗き込んで確認した後、ベビーカーの荷物入れからウエットティッシュを取り出して、すでにソフトクリームでベタベタになってしまった沙耶の手と口元をさっと拭っていた。そしてようやく、ふぅっと息を吐きつつ向かいの席に腰掛ける。
「子供と一緒に出掛けるのも大変だね……」
頭では理解していたつもりだけど、こうやって目の当たりにするとしみじみと思う。小さな子供を連れて出る為には、外で起こり得る様々なことを想定した大量の荷物を持ち運ばないといけないのだ。オムツやウエットティッシュ、着替え、飲み物、玩具、etc。財布とスマホさえ持ち出せばどこへでも行けてしまえる独り身とは違う。
「まあ、こんな大荷物なのは今の時期だけよ。その内、親とは一緒に出掛けてくれなくなるし、下手したら実家にも寄り付かなくなるんだからさ」
アイスコーヒーの半分を一気に飲み干すと、里依紗はケラケラと笑っていた。最近の姉は必要以上には実家へ帰ってはいないみたいだった。沙耶を産む時に里帰り出産を選んでしまったことをいまだに後悔しているらしく、淳史の時は実家へ戻ることを拒み、近くに住んでいるという義母がたまに様子を見にきてくれていたらしい。睦美も仕事が休みの日には家事や子守りの手伝いに通った。