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ジャネットへの連絡は容易についた。
すぐさま対応出来るほど暇なのかと、腹を立てた。が、事務仕事で執務室から離れられないと聞き、少しだけ同情した。
「私だって、こんなの早く終わらせて、加わりたいわよ」
そう文句を言ったからだ。
「とりあえず先に、パトリシアが終わったようだから、その報告が聞きたい」
ジャネットの文句など、最初からなかったかのように、マーカスは仕切り始めた。パトリシアは、そっと通信魔導具に映るジャネットの顔色を窺った。ジャネットもまた、その意図に気がつき、頷き返した。
「えっと、マーシェルとソマイア、それからゾドの貴族名鑑を調べてみましたが、模様の蔦と同じ形があった紋章は、やはりカラリッド侯爵家だけでした」
「ありがとう。それじゃ、カラリッド家は、銀竜と何らかの関わりがあるということになるわね。それについては、マーカス」
「いくら調べても、関連は出てこなかった」
そう、とジャネットは手の甲に顎を乗せて、間を置いてから口を開いた。
「やはり関連はないのね。一応こちらでも、と言っても、直接アルバートから聞いた話だけど、知らない、分からない、聞いたこともない、と言われてしまったわ」
「だが、関連がないと決定付けるのは、気が引けるな」
「そうね。だからこの件は、一旦保留にしましょう」
話の区切りをつけたジャネットは、次の話題へ移る前に、目を左右に動かした。まるで、誰かを探しているかのように。そう、ある人物を探していたのだ。
「アンリエッタは? そこにはいないのかしら」
次の話題には欠かせない人物、アンリエッタの名前を呼んだ。
「忙しいんだ、アンリエッタは。朝昼夕と、店を必ず開けないと、気が済まない質だからな」
「それは分かっているつもりだけど、こういう場には、ちゃんと連れてきてもらわないと困るわ」
「大丈夫だ。後で俺が伝えるから」
そう言うと、疑いの目が二人から向けられた。
「信用ならないわ」
「えぇ、全くです。私が手紙できちんと、アンリエッタさんにお伝えしておきますね」
「あら、パトリシア嬢はアンリエッタと、手紙のやり取りをしているの? 良いわね。でも、これで安心したわ。無事に、確実に、アンリエッタに伝えられるんですもの」
『無事に』と『確実に』の部分が、力強く言っていたように聞こえたのは、気のせいだろうか。
マーカスは素知らぬ顔で、ジャネットを見た。しかし、ジャネットもまた、そんな視線など気にせず、パトリシアに話しかけた。
「もし、何かあれば連絡してちょうだい。貴方は今、私の保護下にあるのだから、遠慮する必要はないのよ。何か不都合なことや、不便なことが起こったりしたら、すぐに言って。対処するから」
敢えて、“誰”からとは明言せずに言ったが、パトリシアにはちゃんと伝わったようだった。
「ありがとうございます、ジャネット様。その時はよろしくお願いします」
意気投合する二人を他所に、マーカスは一つ、咳払いをした。
「それで、アンリエッタの名前を出すってことは、養女、写真、親。どの件だ?」
「まずは養女の件から。その前に、ちゃんと全部、確認は出来ての話なのかしら」
念を押されたのは、やはり前科があるせいだろう。
逆の立場だったら、マーカスもしていたかもしれない言動だった。が、理解はできても、感情を隠すことはしなかった。相手がジャネットであるからこそ、遠慮なく眉を顰めた。
「あぁ、きちんと事情を話して、確認も取った。その上で、養女になる気はさらさらない、と言っていた」
「それは良かったわ。ゾドは閉鎖的な国だから、下手すると、国外に出られなくされる恐れもあるから。聖女に祭り上げようとするのだから、尚のこと」
「なら最初から、アンリエッタに話さなければ、良かったんじゃないのか」
そもそもこの件自体、アンリエッタには話したくはなかったのだ。しかし、カラリッド侯爵家と対峙する場にアンリエッタがいた場合、予想外のことが起こるのは避けたかった。
知らないことで、面倒なことになるならまだしも、その隙をついて、アンリエッタを奪われるような事態だけは、あってはならないことだった。それがまさに、俺にとって、アンリエッタにとっても、最悪のシナリオになるだろう。
だから、言わなければならない、と思いつつも、先延ばしにしていた。なかなか踏ん切りがつかなかった理由も、それが原因だった。恐らく、アンリエッタから言い出されなければ、やはり今も言わないままでいたかもしれない。
そして、アンリエッタが知らない間に、事を済ませておこうとしただろう。ただでさえ、教会から来るかもしれない追手に、怖がっているのだから。更なる脅威を伝えて、恐怖心を煽ることなど、したくはなかったのだ。
「何を言っているの。自分のことなのに、蚊帳の外にされたら、貴方は嫌だとは思わないでいられて?」
「知らなくてもいいことを、わざわざ教えるのは、お節介だと思わないのか。知らない間に解決することだって、可能だったはずだ」
「じゃ、マーカスは知らない間に、後継者に祭り上げられていたのは、嫌じゃなかったの?」
ジャネットとの言い争いに、パトリシアが突然割って入ってきた。どうなの? と顔を覗き込まれ、目を逸らした。
別に、知らない間に祭り上げられていたわけではなかった。傍系の家門や使用人たちが、煽ててきたのは、ただ単に俺の機嫌を取ろうしていただけのことだった。
昔から何かしらちょっかいをかけてくるから、仕返しにいたずらをしていただけだったのだが、いつの間にかそんな態度に変わったのだ。それを見たアイザックが、勝手に勘違いして暴走しただけのことである。
まぁ、自ら仕向けたと言えば仕向けたようなものだったが、確かにパトリシアの言う通り、嫌ではあった。
「……」
「……わかったのなら、次に行きましょう。写真については、何て?」
敢えてジャネットはザヴェル家の事情を聞くことはなく、自身の聞きたいことをマーカスに尋ねた。
「……自分が写っている、と言っていた」
「どういうこと? あれは確かに、アルバートから借りた写真よ。見るからに古そうなものだった。写っている少女の年齢を引いたとしても、十年前より遥か昔の写真だったわ」
「俺もそう思う」
しかし、アンリエッタは『“私”が写っている』と確信をもって言っていた。冗談や、嘘を言っているようにも、見えなかった。嘘を嫌うアンリエッタが、そこで言うのは可笑しい。だが、確信はあれど、不思議そうに言っていた。まるで、上手く説明出来ないかのように。
「アンリエッタの勘はよく当たるんだ。知っていたか? そのアンリエッタが、自分だけど自分じゃない自分が写っている、と言うんだ。本人も、どういう意味かは分かっていない様子だった」
「勘の話は知らないけれど、そこまで言うなら、これがいつ撮られたものなのか、少女の名前はなんなのか、聞いてみるわ。ちなみに、カラリッド家の縁者かもしれないことについては、何か言っていた?」
「全く興味ないそうだ」
今の生活が気に入っているのか、上昇志向がないのか分からないが、アンリエッタはカラリッド侯爵家が、どんな家なのか聞こうともしなかった。ただ自分を狙う存在、敵と認識したに過ぎなかった。
敵か味方か、自分にとって有利か不利か、好意か不快か。あまりグレーゾーンを作らない。その代わり、どうでもよくなると、そのグレーゾーンに全て入れてしまう。アンリエッタの人を判断する認識が、極端過ぎるのではないかと思えたが、むしろ分かり易くていい。
けれど、好意的な人間には、どこまでも好意的なのが、俺を不快にさせた。その代表的な存在が、ジャネットとエヴァンだった。
そのジャネットもまた、アンリエッタを傍に置いておきたいのか、満足そうに微笑んだ。
「アンリエッタの親については?」
「実の親については、簡単に見つかると思ったんだが、いくら調べても痕跡がなかった。ゴールクの教会にいた人間の伝手を使っても、ダメだった」
そもそもアンリエッタは、ゴールク教会の司祭に拾われたらしい。教会の入口でも、孤児院入口でもなく、道端に置かれていた赤ん坊だったという。それも籠などに入っていたわけではなく、生身の状態で地べたに置かれていたそうだ。
衣服に名前が刺繍してあったため、そのまま名付けられた。身に付けていた衣服は、上等なものだったので、裕福な家庭だったのではないか、と推測されたが、それならば何故、道端に捨てたのかが分からない。
余程、不都合な存在だった可能性が高い。不義の子であるなら、それこそ死んでも構わないと、思っていたのだろう。
実の親に興味がないとはいえ、アンリエッタに話せる内容ではなかった。その点については、ジャネットも理解してくれた。
「知りたいと思っていないのなら、これは伏せておきましょう。道端だなんて、酷過ぎるわ」
「会いたいとも思わないと言っていたから、余程のことがない限り、アンリエッタの耳には入らないだろう」
「そうであってほしいわね。……なるほど、それでアンリエッタを同席させなかったのね、納得したわ」
うんうん、と頷くジャネットに、同意したパトリシアもまた頷いていた。
「そっちは? 何か新たに分かったことはあったか?」
マーカスの質問にジャネットは、溜め息をついた。それを見ただけで、あまり進展があったように感じず、期待せずに回答を待った。
「銀竜を召喚したかもしれない人物の特定は、難航しているわ。年代は絞り込めても、行方不明者が神聖力を保持していたかどうかまでは、さすがに分からなくてね」
「……ゾドは調べたのか?」
「ゾドは難しいのよ。閉鎖的な上に、今現在でさえ行方不明の原因のほとんどが、虐待や人身売買の可能性が高いと言われているんだから。大昔なんて、考えたくもないわ」
確かに、フレッドの件にしても、教会はいつの時代も腐敗しきっている。
いくら教会じゃないとはいえ、その総本山であるゾドに、アンリエッタを行かせたくはない。ましてや、聖女にしようとするなど、どんな扱いが待っているのか、考えただけでも、怒りが沸いてくる。
確か聖女は、神聖力を多く所持しているのが条件だ。だから、アンリエッタを名指ししたんだろう。カラリッド家の縁者だと仮定した上で。
ジャネットから聞いたユルーゲルの話では、五百年前のカラリッド家には聖女がいたらしい。
当時のユルーゲルからすれば、恰好の的ではないだろうか。いくら昔でも、今現在を思えば、腐敗の予兆くらいはあるだろう。そんなゾドから逃げたい、と思っていても可笑しくはない。そこを狙えば、十分誘い出せるのではないか。
「その大昔に、いたんだよな、聖女が」
「何を言っているの! 聖女になんか、手を出すわけがないでしょう。いくらなんでも……」
「どうだか。当時の聖女はカラリッド家出身者だって、言っていたよな。世間知らずで、ちやほやされて育てば、簡単に口車に乗るんじゃないか。ゾドが閉鎖的なのは、昔も変わらない、違うか?」
ジャネットは押し黙った後、突然通信魔導具映し出されていた姿が消えた。マーカスはパトリシアと顔を向き合わせ、どうしたのか、と無言で魔導具を指差した。パトリシアも分からず、首を横に振るだけだった。
けして魔導具が故障したわけではないことは、しばらく経つと判明した。ジャネットがユルーゲルと共に姿を見せたからだ。
「私が知る当時の聖女は、パトリシア嬢と変わらない年齢のご令嬢です。つまり、私が魔法陣の実験をする年齢の時には、向こうは最低でも三十代になっていなければ、辻褄は合いません。すでに令嬢ではなく、奥方になられているような方が、容易く騙されるでしょうか」
現れた途端、先ほどのマーカスの持論を否定した。ジャネットから追及されたのか、若干疲労の影が見えた。
「可能性は限りなくゼロか……」
「どうでしょうか。彼女に娘がいた場合、そして神聖力を持っていたとしたら、聖女の称号は娘に引き継がれます。ですので、あながち間違えではないと思いますよ。私はそれを知る前に、こちらの時代に来てしまったので、詳細は分かり兼ねますが」
「貴方がやるかもしれないというのは、否定しないのね」
「こ、これはマーカス殿の意見に対して言ったことですので、私がやるかやらないかの問題ではないでしょう。落ち着いて下さい、ジャネット様」
ジト目で見るジャネットに、ユルーゲルは慌てて反論した。一体、通信魔導具に映っていなかった間に、何があったのか、マーカスとパトリシアは、敢えて知らない振りをすることにした。
「わかったわ。その辺りも含めてアルバートに聞くしかないわね。私たちじゃ、調べようがないのだから」
「ゾドは閉鎖的な国なんですよね。簡単に教えてくれるでしょうか」
聞けば答えるのが当たり前のように話していたジャネットに、パトリシアは素朴な疑問を投げかけた。
「問題ない。こっちも妙案を教えるんだから」
これに答えたのは、ジャネットではなく、マーカスだった。そして、にんまりとした表情を、好意的に受け止めたのは、他ならぬジャネットだった。
「それは是非聞かせてもらいたいわ。どうするの?」
「簡単なことだ。王党派と貴族派の対立を利用して、王党派を仲違いさせるんだ」
「本当に簡単に言うわね。それに、踏み込み過ぎじゃないかしら。仲違いって、王とその後ろ楯のカラリッド家を言っているのでしょう。難しいのではなくて?」
アルバートの話から、王とカラリッド家の野望を聞き、カラリッド家を調べるついでに、ゾドの内情も調べて、その裏づけも取れた。マーカスは、その上で話をしていた。
カラリッド家は、表向き王党派ではあるが、裏では貴族派と繋がっているのだ。それを上手く利用するだけのことなのだが……。
「本人の技量次第だな。それに案は出すが、実行するかどうかは、本人次第と言うしかない」
「他人事ね。まぁ、カラリッド家がこちらに手を出す余裕がなくなればいいのだから、貴方にとってはそんなものよね」
マーカスはフッと笑って見せた。
「まぁ、成功すれば儲けもの程度だが、やる人間が魔術師なら、成功率は高いと踏んでいる」
「なるほどね。ゾドは魔術師に関する知識が、ほとんどないから――……」
「大法螺を吹いても、気づかれないと言うことわけだ」
不適に笑うマーカスに釣られて、ジャネットも同じ表情をした。
「それで、どういう算段なの?」
マーカスは促されるまま、考えついた案を話した。
まず、カラリッド侯爵家に盗聴用の魔法陣を設置した、と法螺を吹くんだ。ゾドは教会を抱えている国だから、魔法のことには疎く、感知しにくい。そのため、本当に設置していなくとも、疑心暗鬼は生じるだろう。
そこに付け込んで、貴族派と繋がっている証拠をでっち上げる。それを王に言う、だけでは説得できない。王はカラリッド家出身なのだから。しかし、他の王族は違う。王党派もまた同じである。カラリッド侯爵の裏切りだと思うだろう。
そのことをカラリッド侯爵に言うもよし。王族に会うのが難しければ、王党派の貴族に言って、カラリッド侯爵を窮地に追いやってもいいだろう。
「わかったわ。アルバートがやれるかどうか、整合性を合わせなければならないけど、もう少し信憑性が欲しいわね」
「では、法螺をなくすのはいかがですか。よろしければ、私が作ります」
「……犯罪になりませんか?」
悪巧みに口を挟めなかったパトリシアが、恐る恐る尋ねた。
「犯罪に犯罪で相手して、何が悪い?」
そもそも、俺たちが動く前から、こっちに近づいてきたんだ。同じ土俵で相手をすることに、良いも悪いもない。
「……それは、向こうも何か、仕掛けてきていると言うこと?」
「あぁ、そっちは罠を張りたいと思っている。そこで、ジャネットに協力してもらいたいんだが」
「構わないわよ。元々、そのつもりだから」
不安そうに聞くパトリシアとは対照的に、ジャネットは意気揚々と答えた。内容を聞かずとも、協力するとでもいうような反応だった。
「なら、早めにギラーテに戻ってきてくれ。作戦は……」
そこまで言うと、予鈴の鐘が鳴った。
「こっちに来てから話す。もう仕事の時間だから、話はここまでにしても、構わないか」
「いいわよ。私もいい加減、執務室から出たいと思っていたから」
「私も調べものから解放されると思うと、早く取りかかりたいものです」
こっちの都合で切り上げたことだったが、ジャネットとユルーゲルは気にしないどころか、嬉しそうな態度を見せてから、早々に通信魔導具を切った。パトリシアもまた、魔導具を切り、いそいそと片付けた。
先ほどの予鈴は、授業開始の鐘だった。今から行っても、授業には出られない。何を急いでいるのか、パトリシアの態度を気にすることなく、マーカスは先に出ようとした。けれど、ドアノブに手を掛けた後、しばらくしてから振り返った。
「手紙とは別に、アンリエッタから伝言だ。ジャネットが戻ったら、一緒に店に来て欲しい、だそうだ」
「え?」
「持ってこられる数と種類に限界があるとか、直接選んでもらいたいとか、そういう理由らしい」
「是非、伺いに行くわ、と伝えて。あと、ジャネット様が戻ったら、と言っていたけど、もしかしてアンリエッタさんには事前に知らせていたの?」
驚き、喜び、また驚く。世話しないな、とマーカスは内心思ったが、内容が内容だけに、パトリシアの反応は当然のことだと納得した。今までアンリエッタには、事後報告だったからだ。
「あぁ、俺も一応、学習することにしたんだ」
「?」
「いや、こっちの話だから気にするな」
「よく分からないけど、改心したみたいで、良かったわ。これでアンリエッタさんも、安心できると思うから」
さぁ、それはどうだか。
パトリシアの気持ちを他所に、マーカスはドアノブを捻り、仕事へと向かっていった。