コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「ああ、そうか。声に出して言えないんだったな」
敦士の自宅にいるイメージで話かけてしまったため、失敗したと反省しながら、年輩の男のもとから去る。敦士は口パクで番人を呼び、人差し指でそっとパソコンの画面を示した。高橋は気落ちしつつ、済まなかったと詫びる。
『番人さま、彼はこの部署でリーダーと呼ばれている人物になります』
「リーダー? 役職はないのか?」
敦士の隣から、その場にいる面々の顔を改めて窺ってみた。
はじめてみたとき同様に、やる気がない顔色で仕事をしている4人とは裏腹に、仕事をまったくしない『リーダー』と呼ばれる年輩の男の態度は、見ているだけでムカつくものとして番人の目に映った。
『役職はありません。ここは雑用係と呼ばれている部署ですので』
打ち込まれた文章を読み終え、顎に手を当てながら、座っている敦士を見下ろした。
「おまえはどこかの部署で、大きな失敗でもして、ここに飛ばされてきたのか?」
番人のセリフに耳を傾けながら、パソコンの画面をじっと見つめていた敦士は、ちょっとだけ眉根を寄せてキーボードを叩く。
『大きな失敗をしたことはなかったのですが、何をやっても中途半端な仕事しかできなくて、部署のお荷物になった感じです。あとから来た新人に、営業成績が抜かされてしまう始末で。昨年ここに異動させられました』
「営業成績……外回りの仕事か?」
『はい、そうです』
「職種が合っていなかっただけだろう。引っ込み思案なおまえは、営業向きじゃないことくらいわかる」
押し黙った敦士が、デスクの左隅に置かれた青いファイルを、瞳を揺らしながら切なげに見つめた。
「おい、その青いファイルを開け」
「えっ?」
番人の命令に反応して声をあげた敦士を、他のメンバーが何事だという様子で視線を送った。
「やっ、あのすみません。何でもないです!」
周囲から降り注ぐ、怪訝な視線でテンパった敦士を宥めようと、右手を伸ばしかけて止めた。夢の中で何気なくおこなっていることができない事情に、高橋は視線を伏せながら右手に拳を作りやり過ごす。
トントン!
何か硬いものを叩く音で、反射的に顔を上げてみたら、パソコンの画面に指を差した敦士と目が合った。
『番人さま、このファイルには、明後日が期日の社内コンテストの企画書が綴じられています』
「社内コンテスト?」
ファイルを開けと命令したのに、敦士はそれをせず、困惑の色を滲ませたまま、キーボードで言いたいことを打ち込む。
『地場産を取り入れた、化粧品のPRをしようっていうものなんです。社員のモチベーションアップを狙って、毎年おこなわれているコンテストで、いつもチャレンジしているのですが、なかなか上手くいきません』
コンテストの企画に手をつけたものの、自信がなくて見せられないことを、敦士の様子と文面から悟った。
「はっ! 会社側としては、そういうコンテストの機会を演出したり環境を整えて、働くにはいいところだとアピールしたいだけだろ。役に立たない社員を、見えない場所に追いやっているくせにな」
胸の前に腕を組みながら、語気を強めて言い放ってしまった。
高橋として働いていた会社でも、似たような企画をしていたことを思い出し、上層部の内部事情を知っている関係で、思わず吐露した。
『それでも僕のような出来の悪い社員が、夢を見られるんです。もしかしたら企画が上の目に留まって、採用されるんじゃないかって』
ポチポチ打ち込まれる文字を、黙って見つめる。やるせなさを含んだ眼差しの敦士の姿に、あることが思いついた。
「その夢が叶うかどうかわからんが、とりあえずその青いファイルを見せろ」
「番人さま……」
か細い声で名前を告げたので、多分周りには聞こえなかったのだろう。さっきのように視線を送られることはなかった。
静まり返った部署の中、よろよろした感じでキーボードに手を伸ばし、『見せられません』と打ち込んで俯く敦士に、キッと睨みをきかせた。
「俺だって忙しいんだ。言われたことをしろ!」
行動させるべく怒鳴りつけてみたら、怯えるように躰を小さくさせつつ青いファイルをデスクの中央に置き、見えるように開いてくれた。
「さて、どんなものか――」
プリントされた企画書に、素早く目を通していく。「次!」とセリフを発したら、震える指先がページをめくっていった。
「……怖がらせて悪いな」
怯えさせてしまったことを謝罪すると、敦士はキーボードで何かを打ち込む。その音が途絶えてから、視線を目の前に移した。
『怖くはなかったです。むしろ恥ずかしくて。仕事のできない自分を表すような企画書を、番人さまに見せたくなかっただけなんです。すみません』
無機質な画面に表示されている文章を読み終えて、思わず唇に笑みを浮かべてしまった。誰だってはじめて提出する企画書は、勇気がいるものだ。
「次のページをめくってくれないか。少なくともおまえの企画書の考え方は、そんなに悪くない。引き込まれるものがある」
敦士の顔を見ながら告げてやったら、小さな瞳をこれでもかと大きく見開き、口をぱくぱくさせる。
「言いたいことがあるなら、パソコンに打ち込んでくれ。それじゃあ伝わらないぞ」
威圧的な言葉じゃなく、優しげな言葉で促すと、先ほどよりも活気のある雰囲気でキーボードを操る。
『番人さまの目から見て悪くないということは、このままでいけるということでしょうか?』
敦士としては、告げられた言葉が嬉しかったのだろう。番人は、喜びに満ちた感情のままに打ち込まれた文章を読み終えてから、静かに首を横に振った。
「引き込まれるものはあるが、フラットといったところだ。これというインパクトが、絶対的に足りない。それを付け加えないと、この企画書は通らないだろう」
すると、みるみるうちに表情が暗く陰り、うな垂れるように顔を俯かせる。
「敦士、このまま何もせずに諦めるのか? 毎年チャレンジしているんだろう?」
「…………」
「俺はこのあと仕事に出る。その間にこのファイルを見直せ。ヒントは、審査員になったつもりで、これを読むことだ。昼頃一度ここに戻る。詳しい話はそれからしてやろう」
言い終えるなり頭を上げて、悪夢を見ている人間の気配を辿ってみた。オフィス街のここでは、残念ながら悪夢を見ている者が皆無だったので、遠出して探さないといけないらしい。
気落ちした敦士をそのままに、夢の番人としての仕事を果たすべく、大きな窓をすり抜けて飛び立ったのだった。