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この世には、様々な職業がある。どんな職業が、どれほどの種あるのか。しかし、そんなことを話したいのではない。
取り上げますのは、そんな数多ある職業の内の一つ。
彼らはその職業を、大々的に言うこともなければ特別秘密にしているわけでもない。ご縁があればラッキー。目に留まったのならどうぞおいでませ。対価をしっかりと、金銭でお支払いただけるのなら、きっと彼らは貴方の願いを叶えるでしょう。
それが彼らの仕事。
よろず屋……『ウルフカンパニー』。
大都会から、ほんの少しだけ外れた場所。
小さなビル。そこに、ウルフカンパニーはあった。
「コウさん。仕事の依頼が来たよ。」
「分かった。確認する。」
ウルフカンパニーのリーダー……コウは、ユウトから伝えられるとすぐにメールを開いた。このメールが、唯一ウルフカンパニーに繋がる。依頼者は、このメールアドレスに必要事項を記入して送信。ウルフカンパニーの仕事が終われば、対価を支払う。それだけ。尚、メールアドレスは定期的に変わるため迷っているのならその場ですぐ依頼するのが良いだろう。一期一会とは、まさにこのことだ。
命を奪う行為以外であれば、ウルフカンパニーは何でも請け負う。少しばかり値段は張るが、その完璧とも言えるような仕事ぶりにはリピーターも続出しているほど。
さて、先にメンバーを紹介しよう。
まずはリーダーのコウ。頭脳明晰、冷静沈着。金に敏感なITの青年。若くしてこのカンパニーのリーダーを務めるのだから、その能力の高さはわざわざ説明するまでもないだろう。
次に、コウと同期のリンタロウ。勘の鋭さはさることながら、高い戦闘能力も有している。リンタロウのおかげで、ちょっとばかし危険な仕事も受けられるのだ。
そして、新人のユウト。彼はコウのスカウトでウルフカンパニーに入った。ゲームとコウが好きすぎるきらいがあるが、その頭脳はいずれカンパニーの参謀になるだろう。
カンパニーとは言うものの、メンバーは以上。三人である。
実は、ユウトが入った穴にはかつてもう一人のメンバーがいたようだが……。
「ふむ。今回は“護衛”か。」
「護衛はちょっと大変だよね~。相手がどんな手段で護衛対象を殺しに来るか分からないし。護衛対象も動くし。」
「期間は?」
「それが、一晩だけだ。」
「一晩? 珍しいね。」
「依頼文によれば、どうしても外せない夜の用事があり、そこを狙って相手方も頼んだことが判明した……と。」
「えー? 同業者とバチるのやだなぁ~。しかもそれ引き受けたってことは、そっちは殺人も請けてるってことでしょ?」
「相手方の同業者の情報を探っておけば、“事前準備”くらいはできるんじゃないの?」
「……。」
「コウさん?」
苦い顔をするコウに、「あぁ……」とリンタロウは察したように自分も表情を苦いものに変えた。
「何、何なの、二人して。」
「ユウトくんは、“レッドスノー”って知ってる?」
「レッドスノー……あ。」
ユウトも言われて思いつく。言われてから思いつくのは、入ったばかりということで勘弁願いたい。
レッドスノー。
ウルフカンパニーと同じく、よろず屋である。ウルフカンパニーと比べれば、名が出るようになったのはつい最近。突如として現れて、ウルフカンパニーに負けず劣らずの仕事ぶり。それどころか、殺人すらも請け負う凶悪なチーム。そんな印象が強い。その一方で、“頼みづらさ”も有名で。なんでも、どれだけお金を積もうがリーダーの気が乗らなければ仕事は請けないとか。ウルフカンパニーはメールだが、レッドスノーは対面で“お願い”をしないと請けてもらえないとか。
「もしかして、相手方が頼んだ先って……」
「レッドスノーの可能性が高い。」
「そうなんだ……。でもコウさんなら、レッドスノーくらい軽くあしらえるんじゃないの?」
「負けるとは思ってないが、気を抜いていい相手ではないな。」
「僕ちょっとレッドスノーについて調べるよ。ユウトくんは当日の護衛対象の動きから狙われそうなポイントをピックアップしておいて。」
「アンタに指図されるのは嫌だけど、コウさんの役に立つならやっておく。」
「役に立つからやっておけ。」
「任せて!」
目をキラキラさせるユウト。この変わりっぷりに、いっそ面白さすら感じてしまうリンタロウはそっぽを向いて笑いを堪えた。
「こっちの契約が終わり次第、俺も調べよう。」
そう言って、コウは指先でキーを打ち始めた。
当日。
夜の帳の中、月明かりが差し込む道。
お高い料理に舌鼓を打って密会を済ませた男は、余裕の表情で歩いていく。その男がどんな人物か、密会とは何だったのか、そんなのは関係ない。
それほど高くない建物から、スコープ越しにターゲットを狙う。
引き金が、引かれる……その瞬間。
「!!」
狙撃手は、身を翻してそれを避けた。
「気配は消していたんだがな。」
サイレンサー付きの銃を片手に、コウは口角を上げる。狙撃手がいた地面には、弾丸が埋まっていた。殺すつもりはない。動けなくする程度だ。
「会うのは初めてだな? レッドスノー。」
狙撃手は、じっとコウを見つめていた。
ミルクティー色の長い髪が風に揺れ、鮮血を思わせる赤いスカートの裾がふわりと浮かぶ。
雲が切れて、月光が淡く照らしたとき。
「……は?」
コウは、呼吸を忘れた。
その隙を狙い、狙撃手は手を反対側へと伸ばしワイヤーを放つ。
「ッ待て!!」
そのまま隣のビルへと飛んで移っていくその背に、コウは叫んだ。
「ユキナリ!!!」
飲み過ぎたか。酔っぱらったか。
余裕の表情に、危機感は見当たらない。
だからきっと、手前から来るどこにでもいるようなサラリーマンなんて気にも留めない。
その手に、袖からナイフを出したって。
「させないよ。」
「!」
リンタロウの不意打ちに、サラリーマンの男は驚いたように目を見開くが、すぐに身体を反らしリンタロウの蹴りを避けた。もちろん、護衛対象だって流石に驚く。逃げていくターゲットに、「失敗したなぁ」とサラリーマンの男は呟いた。
「ウルフカンパニーは、お強いことで。」
「レッドスノー……ふふっ、それらしく髪の毛が赤いんだね。」
「おっと、逆だ逆。髪が赤いから、レッドスノー。これでも真面目に考えたんだ。にしても、おっかしいな~……上手くいったと思ったんだけどな~……。」
首を傾げる男に、違和感を覚えたのはこの時だったのだろう。だが、既に“遅かった”。
リンタロウが、通信を入れようとする……よりも前に、ユウトからチームへの通信が入った。
『ご、護衛対象が……』
交通事故に遭った。
見る限り、即死。
「そんな……!?」
信じられない。そう言いたげに彼を見れば、今度は確信を得たような笑み。
交通事故まで、作戦の内だった?
そんな筈はない。逃げていくターゲットが、どんな風に進むか分かっていたのか。そもそも逃げた先に都合よく車が来るなんて。
「ざーんねん。勝利の女神は、俺らに微笑んだようだな。」
それに応えるように、彼の隣に赤いスカートを押さえながら誰かが上から降りてきた。
「えっ……」
その姿には、面影がある。
かつて、仲間だった人物。行方不明になった、彼。
「それじゃ、またどこかで会ったらよろしくな。ウルフカンパニー。」
「ま、待って……待ってよ!!」
リンタロウが手を伸ばすよりも先に、レッドスノーの二人は夜の闇の中へと駆ける。
慌てて追い掛けても、その姿はまるで夢のように消えてしまっていた。
「……ユキナリ、くん。」
大都会の、忘れ去られた場所で。
柔らかなソファーにゆったりと腰掛けたレッドスノーの“赤”は、電子パッドの画面に指を滑らせながら、時偶に眉をひそめる。
そんな彼にと、淹れたての紅茶をカップに注いでソーサーを彼へ寄せたレッドスノーの“雪”は、「お仕事ですか?」と訊ねた。
「まぁな~。仕事といえば仕事だなぁ。」
「大変ですね。」
「ちょっとデートの予定が立て続けに入ったもんで、プランを……」
「前言撤回です。」
「撤回早くねぇ? これも大事な仕事だって。なんせ、相手は取引先の娘さんだからな。」
苦笑した“赤”は、お返しと言わんばかりにニヤリと笑い手元のクッキーを差し出す。それに対し、“雪”は困ったような、恥ずかしがりながらも、“赤”の足下に跪いてそれを口で受け取った。長い髪が、少し邪魔だ。クッキーは美味しい。
「それで? どーだった? 昔の仲間との再会は。」
「最悪です。趣味悪いですよ、ショウマさん……。俺、女装に目覚めたと思われたらどうするんですか。」
「女の子じゃないとやる気が出ないもんで。」
「じゃあなんで、あのとき俺を助けたんですか。男だって分かってましたよね?」
「ん~、ユキナリくんは女装すれば女の子っぽく見えるかなぁ? と思ったのもあるけど……まぁ、一番は利害の一致ってヤツ。俺も丁度、助手が欲しかったんだよなぁ。そんで、ユキナリくんは生き延びたかった。ユキナリくんにとって俺は命の恩人。あとはもう分かるだろ?」
「分かりません。百歩譲って女装は仕方ないと腹を括っても、俺に変な行動させる理由は何ですか?」
「ユキナリくんが俺に逆らえないの知ってるから、どこまでやってくれっかな~って。」
「本当に趣味が悪いですね……。」
はぁ、と“雪”は溜め息を吐く。
一方で、“赤”は楽しげだ。
「帰りたくなった?」
「……分かってて訊くの、やめてください。」
“赤”が片手で迎えれば、“雪”は傍らに移動して彼の隣に座った。
「イイコ♪ そろそろボーナスやるよ。何が欲しい?」
「……男物の服ですね。」
「俺が萎えるから却下。」
「じゃあ、現金。」
「生々しいな……。つーか、それ結局服買ってくるだけだろ。」
「……。」
「図星かよ……。」
ブーッ、ブーッ。
「おっと。……はい。……ご依頼ですか?」
震えた端末を耳に当て、“赤”は応答する。
暫しのやり取り。無事に日時を決めると、通話を切って彼は立ち上がった。
「仕事だぜ。準備はいいか? ユキナリくん。」
「はい。ショウマさん。」
よろず屋、ウルフカンパニー。
まだ、ユウトが加入する前のこと。ユウトのポジションには、別の人間がいた。
名は……ユキナリ。中性的な見目から女性にも化けられる変装スキルと、天性の危険察知能力の持ち主で、コウやリンタロウに比べると特別目立つようなものではないが、確かにメンバーの一人として活躍していた。本人は、その自覚があまり無いようだが。
これは、そんな彼が“行方不明”になった真実の話。
「コウさん、お仕事の依頼が来ましたよ。」
「あぁ。分かった、確認する。」
「それと、はい。これどうぞ。」
「なんだ?」
「ラスクです。駅前に新しくできたお店で売ってるんですけど、一口サイズで食べやすいし、凄く美味しいんですよ。今朝並んで買ってきちゃいました。」
「いらん。」
「えっ!? いらないんですか!?」
コウのデスクの傍らで、ユキナリはビックリをそのまま表現するように声を出した。しかめっ面をするコウの言い分としては『仕事しろ』の一言に尽きるのだが、ユキナリはユキナリで言い分があるのか、不満そうな顔をしている。それに気付けないほど鈍感ではないため、コウが「変に隠すな」と真意を問えば、ユキナリが「一応……」と口を開いた。
「この間のお礼のつもりです。」
言われて、コウは思い返す。つい先日の仕事後のこと。何てことはない……少し無理が祟ったのか、疲れが限界に達してダウンしたユキナリをコウが背負って帰ってきたのだ。お礼、とはこれに対するものだろう。
「……そのことか。別にいい。お前の負担が大きかった依頼だったからな。」
「でも……コウさんだって疲れてたのに。俺が体力不足なせいで……。」
「いいと言ってるだろ。」
「じゃあさ~!」
そうですか……、と少し残念そうなユキナリの背後からドーンッ!と効果音が付きそうな勢いでリンタロウがユキナリに飛び付いた。
「ひゃあっ!?」
「僕にそのラスクちょーだい♪ 僕も気になってたんだ~。」
「り、リンタロウ……びっくりするからやめてよ。リンタロウにもラスク買ってあるよ。俺と半分こしよう?」
「やったぁ♪」
リンタロウが口を開ければ、ユキナリがコウに渡したものとは別の味のラスクを開封し、一口サイズのそれをコロンとリンタロウの口の中に放った。甘い砂糖の味が口全体に広がり、香ばしさも鼻から抜ける。
「ん~♪ これ美味しい! いらないなんて、コウくん損してるな~。」
「……。」
挑戦的な目で煽るように言われ、コウは無言のままユキナリから渡された方のラスクの袋を開封する。こちらは焦げ茶色のラスクだ。コロンと口の中に一つ放ると、どうやらこれはチョコレート味。甘過ぎないチョコレートの香りと味がふんわりと広がる。
「コウさんでも食べやすいようにと思って、その味にしてみました。結構人気みたいで、俺が買ったすぐ後には売り切れていたんですよ。……どう、ですか?」
「……まぁ、悪くない。」
「よかった。」
「コウくん~、僕にも一口ちょーだい?」
「自分で買え。」
「ケチー。」
なんて言いながら1つリンタロウに手渡すコウ。そんな光景に、ユキナリは思わず笑みを溢した。
幸せだと、感じていた。この瞬間を。この時間を。
二人と共に居られる今を。
だから、思いもしなかった。
次の依頼で、この二人と離れ離れになるなんて。
何が、起きたのだろう。
ユキナリは、身体の痛みに苦しみ喘ぎながら何とか状況を整理する。
依頼をほぼ遂行した。依頼者の望み通り、指定された場所に保管されていた書類を手にした。これを依頼者に届けるために、あとはこの場所から逃げ出すだけだった。
書類を手にしたコウと、リンタロウと共に逃げていたら……今までに感じたこともないような“危険”を察知した。
『前に飛んで!!!』
直感に従うまま出した自分の声に反応して二人が前方へ飛び込むのを視界に捉えたと同時か直後、凄まじい衝撃がユキナリの身体を襲った。コウとリンタロウに名前を呼ばれたような気がしたが……そこから、記憶がない。
「っ、あ……ぅ、あっ……!!」
途端に走る、激痛。身体中が痛い。
爆弾でも投げられたか。仕掛けられていたのか。そういえば、今回の依頼は危ない組織に関わるものだったか。マフィアとかヤクザとか、そんなレベルの。
周りを見渡したくても、身体が動かない。瓦礫に押し潰されたか。はたまた四肢が吹き飛んだか。そんなことが頭の中を過るが、今ユキナリを占めるのは『生きたい』という願いだけだった。
「こ……さ……、りん……ろ……」
何処にいるのだろう。
そもそも、無事なのだろうか。
誰かが死ぬのも、自分だけが死ぬのも嫌だった。
帰りたい。ただ、帰りたい。二人のところへ。
ザッ……ザッ……。
「お? もしかして、生きてんのか?」
誰?
そう訊きたかったのに、口からは違う言葉が出る。
「たす……けて……」
「ん~、どうしようかねぇ。可愛い顔してるけど……」
声の主が近づく気配。すると、身体に痛みが走る。
「っ……!!」
どうやら、声の主がユキナリの身体に触れたようだった。
「男、だな。残念。女の子だったら、迷わず助けたんだけど……。」
死にかけるユキナリに反して、随分と呑気な声の主。それは、本当に彼にとってユキナリの命はどうでもよく、生きるも死ぬもどっちでもよいということを示していた。
「たす、けて……」
「死を目前にして、生にしがみつき足掻く人間は好きだぜ? 何度目にしても、飽きねぇからな。」
冷たい風が、ユキナリの身体を撫でる。
その風に乗って、夜と緑の香りがした。なんだか、意識もぼんやりしてきたような。これは、諦めなのか。それとも、タイムアップか。
「なぁ、生きたいか?」
「……い……た……生き、………い……。」
「助けたら……その身体、俺にくれる?」
どういうことだろうか。
考えたところで、頭は働かない。
ユキナリは、コクリと頷いた。
「忘れんなよ?」
交渉成立だ。
身体を抱き上げられるような感覚を最後に、ユキナリの意識は途切れた。
「あらら、寝ちゃったか? 心臓は動いてるし……うん、急げばセーフだな。」
ユキナリを抱えたまま、彼は歩き出す。
ずっと向こうでは、ユキナリの仲間と思わしき二人の男が、傷だらけになりながらも組織の人間を倒し、ユキナリを探していた。
「わりぃな。俺が先に見つけちまったんだ。コイツは俺が貰ってくぜ。」
ニヤリと笑って、もはやこの場に用はないと言わんばかりに彼は夜の闇の中へと消えていく。
コウとリンタロウが、ユキナリの名を何度も、何度も、何度も呼ぶのを聞きながら。
「……?」
浮上する意識に釣られ、ユキナリの瞼がゆっくりと上がる。その双眸は暫く真っ直ぐに天井を眺めていたが、やがて思い出したようにユキナリは飛び起きた。同時に、身体に走る痛み。激痛、という程ではないが痛いものは痛い。
身体は下着以外の服を身に纏っていなかった。これだけ言えば変態のようだが、ちゃんと理由はある。怪我の手当てがされていた。包帯を巻かれている自身の身体……とりあえず四肢は飛んでいなかったようだ。
辺りを見渡すと何処かの部屋だと推測できる。パッとユキナリの頭に浮かんだのはホテルの一室だが、生憎カーテンは閉じられていて外の様子は窺えない。
「目が覚めたか?」
「わっ!?」
「えっ、そんな驚かなくても……。」
突然の第三者の声に肩を跳ねさせれば、苦笑しながら男がユキナリの元へと歩み寄ってきた。赤い髪が特徴的なその男の声には聞き覚えがある。確か、死にかけの自分に呑気に話しかけてきた男だったなとユキナリが見上げれば、男はユキナリのいるベッドに腰掛けた。
「俺はショウマ。名前は?」
「ユキナリ、です……。」
「ユキナリくん。若いのに危ない仕事してんだな~。俺が見つけたとき、マジで死ぬ五秒前って感じだったぜ?」
その五秒をめいっぱい使う形で自分に話しかけてきた男だが、素直に考えて手当てをしたのもこの男だろうと推察するユキナリは更に男を観察する。笑みを浮かべていて読めない男だ。だが、助けてくれたことに変わりない。
「あの……ありがとう、ございました。助けてくれて……。」
「んー? もしや覚えてない?」
「何を……?」
「取引しただろ? 生きたいと願うキミは、俺に『身体をくれる』って約束した。」
「身体……。」
考えて、ユキナリは青ざめる。
出てきた4文字、ズバリ……臓器売買。
なんてこった。天の助けかと思いきや天の裁きじゃないか。
「あ、あの……俺、よろず屋してましたし……見合うだけの働きをして貴方に恩を返しますので、ぞ、臓器だけは……!!」
「え? 臓器? 何の話?」
「違うんですか?」
「……あー、はいはい。そういう……。うん、違うな。」
どうやらユキナリの思考回路を辿ったらしいショウマは、きっぱりと臓器売買というアンサーを否定した。
「じゃあ、身体って……?」
「も、ち、ろ、ん……こーゆーイミ♪」
ドサッ。
「……へ?」
背に柔らかい感触。ショウマの笑顔と、その向こうに見える天井に、押し倒されたとユキナリが気付くのは遅くはなかった。
つっ……とショウマの指先がユキナリの肌の上を滑ると、意図せずユキナリの口からは高い声が出る。
「ひぁっ……!」
「イイ反応♪ 敏感な子も好きだぜ。」
「しょ、ショウマ、さん……やめて……あッ……!」
触れられているだけなのに、身体は反応して熱が上がる。
ショウマの手を退けようとすれば、それよりも先に触れていない方のショウマの手がユキナリの首にかかり、その親指がグッとユキナリの喉元を押した。
「がっ……!? かはっ! げほっ!」
たった一瞬だけ。それでも、ユキナリが苦しくて咳き込めばショウマは表情を消した。
「抵抗すんなよ。命助けてやっただろ? それとも、取引の意味を辞書で引き直すか?」
「あ、っ……うぅ……ひっ!」
ユキナリの身体に快楽的な刺激を与えながら、首を捉えるその手はいつでも容易く命を刈り取れることを仄めかす。
「ごめ、なさ……ショウマ、さんっ……! な、なんでもします……なんでもします、からっ……!!」
「……。な~んちゃって♪」
「え……」
「ユキナリくんなら顔や体つき的に抱けなくもないだろうけど、流石に怪我人だしな。それに、基本俺は女の子抱きたいし?」
呆気なく手を離したショウマは両手をパーにしてユキナリから退く。本気で怯えていたユキナリは浮かべた涙を拭いながらキッとショウマを睨んだ。
「貴方って人は……!!」
「おっと。勘違いすんなよ? 取引は取引だ。ま、こんくらいのことは対価として頂くぜってこと。」
「……何が望みですか?」
完全に好感度が地に落ちてしまったなぁ、とショウマは考えつつ用意していたそれを持ってきてユキナリの前に広げる。
「じゃーん♪ ユキナリくんには、まずこれを着てもらいます。」
「……本気ですか?」
「本気も本気。」
ショウマが出してきたのは、鮮血のように赤いスカートが特徴的な女装セット一式だった。一縷の望みをかけてサイズを確認したユキナリだったが、バッチリ合っている。
「な、なんで……女装を……?」
「俺は女の子が好き。あとは分かるな?」
「分かりません。」
ユキナリは即答した。
「ユキナリくんにはそれを着てもらって、これからは俺と一緒に仕事してもらおうかと思って。」
「仕事って……」
「よろず屋だ。そうだな……“レッドスノー”なんて名前はどうだ?」
「どうだ、じゃないですよ! 待ってください……俺は、俺には……ウルフカンパニーが……!!」
「ふーん? なるほど、なるほど……ユキナリくんは臓器売買の方がいいと……?」
「そ、それは……」
「ユキナリくん。ここは慎重にいこうぜ? 俺を拒んで二度と大切な仲間に会えなくなるのと……俺と組んで生き延びて、いつか仲間に再会するのと……どっちがいい?」
「……。」
答えなんて、最初から決まっていた。
きっと、あの時にもう死んでしまったのだ。ウルフカンパニーとしての“ユキナリ”は。
そう思った瞬間、ユキナリの目から涙が溢れた。
「えー? そこで泣くのかよ。まるで俺が悪者だな。」
困ったように笑いながら、ショウマはユキナリを優しく抱き寄せた。
「ほらほら、泣かない泣かない。だーいじょうぶだって。ユキナリくんを悪いようにはしねーし、ちゃあんとユキナリくんに俺を好きになってもらうからさ。」
俺から離れられなくなるくらいに。
甘い毒を注ぐように、ショウマはユキナリに囁いた。
大都会の、忘れ去られた場所。
誰にも気付かれないその場所に、赤髪の男は上機嫌で入っていった。
ガチャッ。
「ただいま~……って、あれ?」
「……。」
入ってきた男を迎える言葉は無い。その代わり、涙に濡れたイエローグリーンの瞳が静かに視線を男に向けた。
「なに、ユキナリくんまた泣いてんのか?」
「……おかえりなさい、ショウマさん。」
「はい、ただいま。今度は何が気に入らないんだ?」
「別に……。」
「今日はユキナリくんの好きなホットケーキでも焼こうかと思ってな。ほら、材料買ってきたぜ。」
「……ありがとうございます。」
赤髪の男、ショウマは困った素振りを見せながら苦笑した。この涙を見せる男……ユキナリは最近ショウマが“取引”で得た人材だが、どうにもこうにも心を開いてくれない。涙の理由すらも、ショウマには伝えないほどに。
「(ま、大体理由なんて予想つくけどな。)」
十中八九、元いた場所が恋しいのだろう。ユキナリは望んでショウマと行動しているわけではない。命を助けられたから、そして現在もショウマがユキナリの生殺与奪の権を握っているから、逃げずにここにいる。ショウマからしてみれば、れっきとした取引の下でこの形に収まったのだから、それで泣かれても……といった具合だが。
「……ショウマさん。」
「ん? なんだい、ユキナリくん。」
「……俺を助けたこと、後悔してますか?」
「いいや。全然。」
なんでもないように答えているショウマだが、内心はかなり驚いていた。そもそも、ユキナリから話し掛けてくるとは。
なるべく穏やかな空気を作りつつ、ショウマはユキナリの言葉を待つ。ゆっくりと、ではあるがユキナリは思考を整理するように口を動かす。そこから零れる音を、ショウマは1つも逃すまいと真剣に拾った。
「ショウマさんは、悪くない。俺が、諦めつかないから。でも、寂しい。コウさん……リンタロウ……。」
「……。」
時間をかけて染め上げようかと思っていたが、これは策を誤ったようだ。
ショウマは、ニヤリと笑った。
「ユキナリくん、仕事が入ったんだ。一緒に来てくれるよな?」
「……はい。」
「頼む……頼むっ、撃たないでくれ!!」
「っ……」
嗚呼、どうして。
どうして、こんなことを。
ユキナリは、ぼろぼろと涙を溢れさせた。
「妻と子供がいるんだ!! 殺さないでくれ!! 俺がいなくなったら、家族はっ……」
こんなこと、したくないのに。
「ほら、ユキナリくん。しっかり狙いを定めて。大丈夫だ。怖がらなくていい……すぐに終わる。」
背後から聞こえる、甘い毒。
銃を握る己の震える手は、腕は、ショウマに背後から抱き締められ支えられる。
目の前には、自分よりも遥かに年上の男。
ガタガタと死に怯え、ユキナリに怯え、みっともなく命乞いをしている。男の足が変な方向に曲がっているのは、ショウマが折ったから。逃げられないように。ユキナリが、撃てるように。
鮮血のように赤いスカートが、風に煽られて揺れる。
「や、だ……いやだ……ショウマ、さん……」
「引き金を引くんだ。」
「できないっ……俺には……!!」
夜に浮かぶ月。
その光は、淡くユキナリを照らす。
「あ……く……」
「え……?」
「悪魔めっ!! 赤い悪魔っ、お前なんか地獄に堕ちてしまえ!! 末代まで呪ってやる……呪ってやるからなァ!!」
もはやこれまでと悟り、男は叫ぶ。
ユキナリの心に、刃を突き立てる。
目を見開いたユキナリに、ショウマは囁いた。
「引け。ユキナリ。」
「ッ!!」
パァンッ!!
「うっ、うぅ……!」
銃を取り落とし、泣き崩れそうになるユキナリをショウマは抱き寄せる。
「イイコだ、ユキナリくん。心配すんな……これはただの“仕事”なんだから。ユキナリくんは、仕事をしただけ。何も悪くない。」
「俺……は……」
「悪いのは、人を殺せと命じた依頼人。死ぬことを願われるようなターゲット。そうだろ?」
「……は、い。」
「よし。じゃ、後片付けして帰るか。」
優しく頭を撫でるその手が、ぽんぽんと軽く叩いては離れていく。それを、ユキナリは追い掛け止めるように掴んだ。
「お?」
「……。」
何故、そうしたのかは分からない。
ただ、今だけは。もう、暫くは。
「……5分だけ待ってな。そしたら、たくさんご褒美やるから。」
ユキナリは、コクンと頷いた。
「なんてこと、あったのになぁ……最初のユキナリくんはそれはもう子ヤギのようにプルプルと震えて可愛かったのに。」
「? 何か言いましたか。」
「今ではすっかりご覧の通りだもんなぁ……。」
酒を身体に入れながら回想に耽っていたショウマは、今しがた風呂から上がったユキナリがバスローブ姿のままで髪の水気を拭う姿に感慨を覚えた。
「ショウマさん、今回の“お仕事”ですけど……本当にあの格好じゃないとダメですか? 変装ならもっと目立たないモノにすればいいんじゃ……?」
「目立たないだろ? 件の立食パーティーにはドレスコードがあるんだ。ちゃんと着飾らない方が、逆に目立つって。」
「はぁ……俺、女の子じゃないんですよ。変装は得意ですけど、必要以上のことはしたくありません。」
「細部まで手を抜かない。それがプロってもんだ。」
会話をしながら、ショウマはユキナリをベッドにエスコートする。ユキナリも、特別それを不思議とは思わない。ショウマがアルコールを口にしてユキナリに風呂を勧めたとき、それは紛れもなく“お誘い”であるからだ。
背からベッドに横たわったユキナリは、慣れた様子でショウマに身を委ねる。準備はとうに済ませた。ショウマもまた、それを知っているだけに何も聞かずユキナリのバスローブを解き、自身も前を寛げる。
「ショウマさんが見たいだけですよね?」
「バレた?」
「俺はやっぱり、貴方の趣味は理解できません。」
「何度も言ってる通りだって。俺は、女の子が好きなの。」
「……悪趣味です。」
「そりゃどーも。」
ショウマはユキナリに覆い被さり、唇を重ね合わせた。
音楽が流れている。知らない曲だ。
グラスを片手に、ユキナリは会場を歩く。慣れないドレスが鬱陶しい。
辺りを見回せば、きらびやかな人間がわんさかといた。無駄に高そうな服。女性ならば無駄に濃い化粧。男性ならば富を示すようなふくよかな身体。両性ともに匂いがキツい。高い香水なのかもしれないが、良さは全くもって分からない。
そして何より、彼らの口から出る“話”。全てがユキナリにとっては不快で仕方なかった。
笑顔に隠した悪意。
誰かを陥れる為の会話。
誰かを貶す為の会話。
同じ世界にいるとは考えられず、それでもこんな現実があるのだと知らされる。ショウマと出会ってからは、尚更。人間の“汚さ”を、何度も目にしてきた。
『ユキナリくん。こっちは準備オーケーだ。』
「はい。こっちも、特に問題はありません。」
今回の仕事は簡単だ。ターゲットを殺し、その罪をもう一人のターゲットに被せる。それだけ。
ユキナリの役目は、罪を被せること。
ショウマの準備ができたのなら、移動するべきだろう。
「失礼、お嬢さん。」
「?」
「素敵な赤いドレスだ。一杯だけ、付き合ってくれないか? 今夜は星がよく見えるらしい。」
「……すみません。お気持ちは、嬉しいのですが。」
「どうしても?」
ユキナリに声を掛けてきた青年は、憂いを帯びて微笑む。少々迷い、その末に……ユキナリもまた小さく微笑みを返した。
「少しだけなら。」
「ありがとう。それでは、行こうか。」
青年と共にバルコニーへ向かう最中、ユキナリはショウマに報告する。
「トラブルです。相手をしてから、仕事に戻ります。」
『……りょーかい。俺の方も、ちょっと遊んでから仕事に戻る。』
バルコニーは一曲踊れそうなほどの広さがあり、カーテンと窓を閉めてしまえば星空の下でたった二人きりの世界のように感じられた。都会から外れた場所に建つ、どこぞの富豪の別荘も場所だけは良いなと素直に評価したユキナリは、青年の言葉を待った。自分は女性ではないが、誘ったからには向こうに任せよう。
「冷え込む夜じゃなくて助かった。こうしてのんびりと時間を過ごせるからな。お嬢さんは、お一人で?」
「連れがいます。少し、遊んでいるようですけど。」
「こんな素敵な女性を放っておくなんて、もったいない。」
「いつものことです。貴方は?」
「二人ほど。」
「随分と賑やかですね。」
「俺としては、もう少し賑やかになっても構わんが。」
そっとグラスを石造りの手摺に乗せ、ユキナリは息を溢す。
「意外です。貴方が、そんなことを言うなんて。」
「大差ないってだけだ。」
「そうですか。」
のんびりとした時間。そう、青年は表現した。
だが、そんなのは全くの嘘だ。
次の瞬間、ユキナリは髪飾りを模した暗器を引き抜き青年に投げる。
青年は身体を横へと反らし刃を避けると同時にユキナリへ銃口を向け弾丸を放った。
その弾丸をユキナリも避け、手早くドレスの裾を破る。膝丈ほどになったドレスのまま、ユキナリは鮮血のように赤いヒールで地面を蹴り飛び上がると、青年の首へ破いた裾を当て引き倒そうと力を込めた。
「ぐっ……!!」
青年は力がかかる方向へ身体を倒し、その勢いで手を地につけ足を蹴り上げるようにして一回転し首にかかった裾を解く。その隙にと早々に裾から手を離したユキナリはワイヤーを放ち別荘の屋上へと移動した。
「待て!!!」
青年の声を聞きながら、屋上に移動したユキナリは屋上に用意していたアサルトライフルを手に取った。ショウマはありとあらゆる事態を想定して準備しておけとよくユキナリに言っていたが、どうやら今回は役に立ったようだ。
振り返り様に連射すれば、壁の石造りの装飾を伝うように飛び移り追い掛けてきた青年は、驚いた様子で弾丸から逃れるように走り、物陰に飛び込んで身を隠した。屋上は別荘の主がこだわったのか、リゾート地を切り取ったかのようで星空を眺めるには適したデザインになっているが、今は戦場と化している。
きっと音楽に阻まれて気付かない。この下で、きらびやかな空間に酔ってるたくさんの人間は。
「俺を殺す気か? ユキナリ。」
「仕事の邪魔をしないでください……コウさん。」
「邪魔なんてするつもりはなかったがな。挨拶くらいはするのが礼儀だろう?」
「俺を迷いなく撃つのが挨拶なんですね。」
「先に手を出したのはお前だ。」
沈黙が流れる。
どちらからとは言わない。コウが走り出すと同時に、ユキナリも銃弾を放った。連射に物怖じすることなく、屋上にある物を遮蔽物として利用しながらユキナリに近付き、コウもその手に握る銃の引き金を引く。
着実に縮まる二人の距離。ユキナリの弾丸が一つ、コウの頬を掠めたとき、怯んだのはユキナリの方だった。だが、そのチャンスをコウは逃さない。
ガツンッ!!
「あっ……!!」
コウの長い脚がユキナリの武器を蹴り、ユキナリの手からはアサルトライフルが遠くへと弾かれるように離れる。バランスを崩し仰け反りかけたユキナリは、しかしすぐさまドレスの下からホルスターに仕込んでおいたハンドガンを抜き取り銃口をコウに向けた。
「ッ!!」
乾いた音が響く直前でコウも上体を反らし弾を避ける。
視界が天を映すまま、隠し持っていたのかいつの間にかもう一つと増えた銃を構えノールックでコウは両手の銃からユキナリへ銃弾を放つ。
「!?」
牽制かもしれないが当たるわけにはいかないと、ユキナリが避けたところで、コウは既に体勢を整え銃を構えていた。咄嗟に、ユキナリも迎撃する。
「お前に、何があった?」
静かな声に反して、鳴り止まない銃声。
身体を幾度も翻しながら、互いが互いの銃弾を避け、距離を詰めていく。
「話を聞かせろ、ユキナリ。」
そして、それぞれの心臓へ向け銃口が身体に触れる程に近付き、二人は息を乱しながら相手をじっと見つめた。
「……俺は、あの時に死んじゃったんです。」
「死んでない。生きてるだろ。」
「死んだんですよ。死ぬはずだった。でも、ショウマさんと取引をして生きながらえた。」
「取引だと? お前、何を対価にしたんだ?」
「俺自身を。」
「!! お前っ……」
「怒りますか? 失望しましたか?」
「……俺達の元に帰ってこられなくなると、分かっていてか?」
「どうしても、生きたかったんです。死にたくなかった。」
「っ……未練はないのか。」
「未練……」
「お前は、アイツと共に居続けるつもりか? それは、お前の意思なのか?」
「……これは間違いなく、俺の意思です。」
俺は……とユキナリはコウを見上げる。
柔らかな風が、弄ぶようにふわりとユキナリの髪を揺らした。
「生きて、コウさんやリンタロウに……もう一度会いたかった。」
真っ直ぐに貫くイエローグリーンの瞳に、コウは言葉を失う。
何度も、何度も、自問自答を繰り返した。
再会したあの日から、何度もユキナリを信じては疑った。
生きていただけで、嬉しかった筈なのに。
「ユキナリ……」
「コウさん、俺……」
「はーいはい! そこまでな~?」
第三者の声が響く。トンッ……と軽やかに姿を現したのは、レッドスノーの片割れ。
「ショウマさん。」
「……。」
「おー、怖い怖い。そんな睨むなよコウくん。女の子にモテないぜ?」
「リンタロウとユウトはどうした?」
「そろそろ来るんじゃね?」
あまりにも軽い口振り。日常で行われているような会話にコウは気が抜けそうだった。
ショウマがユキナリの元へと歩み寄ったくらいで、息を乱したリンタロウがユウトを肩に担いだまま屋上に到着した。人を一人担いで壁伝いに登ってきたリンタロウの身体能力の高さにショウマが「ヒュウ♪ やるじゃねーか」と称賛すれば、リンタロウはユウトを降ろし、ショウマの隣にいるユキナリを視界に捉え、厳しい表情を浮かべる。
「……完全に、レッドスノーになったんだね。ユキナリくん。僕達を捨てて。」
「!? 違っ……」
「違うぜ、リンタロウくん。別にユキナリくんは、お前らを捨てちゃあいない。」
「だったら何?」
「取引だよ。まぁ、少し聞けって。」
あの日、何があったのか。
ショウマは偽りを欠片も混ぜることなく、話す。
言葉が紡がれるにつれ、リンタロウの表情は驚愕へ、そして……怒りに変わっていった。
「と、まぁこんな感じだな。」
「……けるな……」
「ん? もう少し大きな声で話してくれ。」
「ふざけるな!! お前っ……そんなの、脅しも同然だろ!!」
「人聞きが悪いぜリンタロウくん。失うはずだった命を繋いでやったんだ……残りの人生くらい、対価として貰っても何もおかしくはない。」
「返せよ……ユキナリくんを返せ!!」
「よせ!! リンタロウ!!」
コウの制止を振り切るリンタロウが、ショウマに攻撃しようと動き出したとき。
パァンッ!!
「うぁっ……!!」
ショウマの放った銃弾が、隣にいたユキナリの脚を掠めた。
流れ弾ではない。間違ったわけでもない。
ショウマは確かに、ユキナリの脚を目掛けて撃ったのだ。
「ユキナリ!!」
コウも駆け出そうとしたが、ユキナリの身体に腕を回し立たせるショウマの銃口がユキナリに向いてしまっては足を止めざるをえない。
「な、なんで撃ったんだよ……仲間じゃ、ないの……?」
訳が分からないとユウトが言葉に滲ませれば、ショウマは笑う。それは正しく、“悪い笑顔”と言えるだろう。
「もちろん、大事な仕事仲間だ。だから、俺にユキナリくんを撃たせないでくれよ?」
「この卑怯者……!!」
「卑怯で何が悪い? それくらいじゃなきゃ、よろず屋なんてやってらんねーって。こちとら、人の命だって奪ってんだからよ……。」
いっそ冷たさすら感じるような声。ショウマの笑顔が消える。
こんな表情は、真剣な眼差しは、時々見ていた。ユキナリには、覚えがあった。
決まって、ショウマが一人でいるときに。
「ショウマさん……」
「なに、!」
痛む脚。それでも、ユキナリは手を伸ばしてショウマに顔を寄せ……口づけた。
それを見たコウとリンタロウが目を見開き、そんな、まさかと息を飲む。
「……帰りましょう。」
「……。」
全く、自分としたことが。
思いの外、焦ったらしいとショウマは苦笑する。
「じゃ、次はもう少し落ち着いた場所で声を掛けてくれよな。仕事中以外で頼むぜ。」
どうせ今回の仕事は“済む”。
自分のせいとはいえ脚を負傷したユキナリを両腕で抱えたショウマは、屋上から飛び降りて夜の闇の中へと消えた。
「待って!! 待ってよ、ユキナリくん!!」
「ユキナリ……!!」
「帰るチャンスだったんじゃねーの?」
「……かもしれませんね。」
流れゆく夜の景色。
ショウマの運転で、重くなりそうな目蓋に抗いつつも微睡むユキナリは、窓の外を眺めながら答えた。
「せっかく俺が“悪者”を演じてやったのに。あそこで“悲劇のヒロイン”になれば、きっとあの二人はユキナリくんを死に物狂いで取り戻しに来てくれただろうし、そうなれば流石の俺も太刀打ちできない。死にはしないだろうけどな。それが分からなかったわけじゃないだろ?」
「そうですね……。コウさんも、リンタロウも、優しいから……。」
「ま、俺としてはユキナリくんの選択は大歓迎だ。もしかして、俺のこと捨てられなかった?」
「……はい。」
冗談のつもりで言ったが、返ってきたのは肯定。
嬉しいと思う心もある一方で、沸き上がる感情は何だろうか。怒りか、それとも侮蔑か。努めて冷静に、ショウマは告げた。
「本当に、甘いぜ。ユキナリくん、いつか自分の身を滅ぼしそうだ。」
「俺もそう思います。コウさん達の所に帰りたいって、あれほど願っていたのに……いざそのチャンスが訪れたら、俺はショウマさんの手を取ってしまった。ショウマさんが、あんな顔をするからいけないんですよ。」
「あんな顔?」
無自覚か。
ユキナリは溜め息を吐いた。
「大丈夫ですよ。俺の穴は、もう埋まっていました。帰る場所なんて、何処にもない。俺の代わりは、いくらでもいる……。」
「……はっは~ん? 成る程? ユキナリくんは、自分がいなくなった後にあっさり新しいメンバーが決まったことに怒ってるんだな?」
「だとしたら俺最低ですよ。性格悪すぎませんか?」
「人間として全然理解できる範囲の感情だ。むしろそっちの方が、俺的にも納得できる……というか、飲み込みやすい。」
「……理由なんて、1つとは限りません。ショウマさんが好きなように解釈してください。」
「ん~~~??? もしかしてユキナリくん、脚撃ったこと怒ってたりする?」
「怒ってませんけど?」
「うわ激おこ。悪かったって~。」
「知りません。」
ちらりとユキナリを見れば、これは暫くご機嫌取りが必要だと分かる。
「(仕方ねぇ。何か好物を与えるか。)」
ホットケーキか。オムライスか。
それとも気に入っているバンドのCDか。可愛いものか。
思考を巡らせるショウマは、無意識に微笑んだ。