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#ご本人様とは関係ありません
あざらし
402
7
蒼月
2,569
ロウの故郷は、深い山々に囲まれた白狼の集落だった。
人間の世界からは隔絶されたその場所には、ロウと同じ白狼の獣人たちが静かに暮らしている。
電気も通っていなければ、舗装された道もない。しかし、自然の恵みは豊かで、簡素ながらも美しい家々が立ち並んでいた。
「ここが俺の故郷だ」
ロウはそう言って、ライを抱きかかえたまま集落の中を歩いた。ライは人間の世界から遠く離れたこの場所に連れて来られ、言葉を失っていた。
高い山々に囲まれた谷間の集落。逃げ出そうにも、人間の足ではどこにも行けないことは明らかだった。ロウはそれを分かっていて、ライをここに連れて来たのだ。
「ロウ様!お帰りなさいませ!」
集落の入り口で、白い耳と尾を持つ少女が深々と頭を下げた。年の頃は十代半ばといったところか。まだあどけなさの残る顔立ちだが、その瞳は利発そうに輝いている。
「ああ、ただいま。サクヤ、紹介する。こいつはライだ。今日からここで暮らす」
「ライ様ですね。お噂はかねがね。私はサクヤと申します。ロウ様のお屋敷で家の者をしております」
サクヤと呼ばれた少女は、ライに対しても丁寧に頭を下げた。ライはどう反応していいか分からず、ただ黙って頷くことしかできなかった。
ロウの屋敷は集落の中でもひときわ大きな建物だった。白狼の群れを束ねる長の家系なのだと、後でライは知ることになる。
屋敷の中にはサクヤ以外にも数人の使用人がいて、皆がロウに深い敬意を払っていた。
「サクヤ、ライの世話を頼む。俺はしばらくヒーローの任務に戻らなきゃならない」
「かしこまりました。ロウ様、どうぞご安心ください。ライ様は私が責任を持ってお世話いたします」
「頼んだぞ。ライ、俺がいない間、サクヤの言うことを聞けな?いいな?」
ロウの金色の瞳がライを見つめる。その視線には有無を言わせない力があった。ライは小さく頷くしかなかった。
「逃げようとは思うなよ。この集落の周りには結界が張ってある。人間が一人で通れるような場所じゃない」
「……分かってる」
「ならいい。行ってくる」
ロウはそう言うと、ライの額にそっと口づけてから、白狼の姿に変わった。巨大な白銀の狼は一瞬で風のように駆け出し、山の向こうへと消えていった。その速さは人間の目では追えないほどだった。
残されたライは、ぽつんと屋敷の前に立ち尽くした。これまでずっとロウの監視下にあった。ロウがいなくなるのは、拘束されて以来初めてのことだ。
「ライ様、中へどうぞ。まずはお着替えからいたしましょう」
サクヤの声に導かれてライは屋敷の中へと足を踏み入れた。
サクヤは甲斐甲斐しくライの世話を焼いた。着替えを用意し、食事を運び、風呂の準備を整える。その手際は見事で、彼女が家の仕事に熟練していることがよく分かった。
「ライ様、何かご不自由なことはございませんか」
「……別に」
「遠慮なさらずに。ロウ様から、ライ様はとても大切な方だから、くれぐれも丁重におもてなしするようにと仰せつかっております」
大切な方。その言葉がライの胸にチクリと刺さった。ロウにとって自分は大切な存在なのか。それともただの所有物なのか。自分でももう分からなくなっていた。
それから数日が過ぎた。
ロウはまだ戻らない。任務が長引いているのだろう。ライはサクヤの世話を受けながら、与えられた部屋で静かに過ごしていた。拘束具は付けられていなかった。ロウはこの集落からは逃げ出せないと確信しているのだ。
でもライは諦めていなかった。
「サクヤ、ちょっと外の空気を吸いたいんだが」
「もちろんです。ご一緒いたします」
サクヤはいつもライのそばを離れなかった。監視されているのだとライは気づいていたが、それを表に出すことはしなかった。
集落の中を歩きながら、ライは周囲を注意深く観察した。山に囲まれた地形。集落の外れには深い森が広がっている。ロウが言っていた結界がどこにあるのかは分からないが、森に入りさえすれば、あるいは。
(今しかない。ロウがいない今しか)
決心したのは、サクヤが屋敷の別の用事でわずかに目を離した隙だった。ライは静かに立ち上がると、音を立てないように屋敷の裏口から外へ出た。
夕暮れが近づき、集落には長い影が落ちている。ライは誰にも見つからないように、集落の外れへと急いだ。心臓が早鐘のように鳴っている。見つかったらどうなるか分からない。それでも、ここでおとなしくしているわけにはいかなかった。
集落の境界を示す石柱を越え、ライは森の中へと足を踏み入れた。
「ライ様っ!!」
後ろからサクヤの叫び声が聞こえた。見つかった。ライは走った。木の根に足を取られそうになりながらも、必死に前に進む。息が切れる。足が痛む。それでも止まらなかった。
しかし。
「ぐっ……!」
突然、ライの身体が何かに弾かれたように後ろに吹き飛んだ。結界だ。目には見えない壁が、ライの行く手を阻んでいる。ライは地面に倒れたまま、痛みに顔を歪めた。
「ライ様……!」
サクヤが息を切らせて追いついてくる。その顔は泣きそうだった。
「申し訳ございません……!私が目を離したばかりに……!どうかご無事で……!」
「……結界って、本当にあったんだ」
「はい……。この結界はロウ様がお張りになったものです。人間の方では、決して越えられません」
ライは地面に手をついたまま、唇を噛み締めた。逃げられない。どこにも行けない。この結界は、ロウが自分を閉じ込めるために、わざわざ故郷にまで張り巡らせたものなのだ。
「……ごめん。サクヤ」
「ライ様……」
「大丈夫。もう逃げたりしない」
ライはゆっくりと立ち上がり、服についた土を払った。サクヤは心配そうにライの顔を見上げている。
「ライ様、どうかお怪我は……」
「平気。ちょっと転んだだけ」
「申し訳ございません……ロウ様に何とお詫びをすれば……」
「サクヤが謝ることじゃない。俺が逃げ出そうとしただけだから」
ライはそう言って、サクヤの頭をそっと撫でた。まだ幼い少女に、こんな気遣いをさせる自分が情けなかった。
屋敷に戻るとライは与えられた部屋の窓辺に座り、遠くの山々を眺めた。夕日が山の端に沈みかけている。美しい景色だった。自由に外を歩けた頃なら素直に感動できただろうに今はただ遠い檻の壁にしか見えなかった。
(俺はここから出られない)
(ロウが帰ってくるまで、ここで待つしかない)
(そしてロウが帰ってきたら、またあの生活が始まる)
窓の外では、夜の帳が静かに下りようとしていた。
「……俺の目の届かないところへ行こうなんて、いい度胸だ」
任務から帰ってきたロウの声が、それまでとは比べものにならないほど低く、重く、鼓膜を震わせる。
怒りの熱さすら感じさせない、まるで氷の刃のような声音だった。
いつ知ったのか、いつ帰ってきたのかそんなことはもはやどうでもよかった。
「お前は俺のものだ。その自覚がまだ足りないらしいなぁ」
組み伏せたライの顔を覗き込むその瞳は、薄ら笑いすら浮かべておらず、ただひたすらに冷え切っていた。けれどその奥には、目を逸らしたくなるほど滾る怒りと執着が渦を巻いている。
「一歩でも動いたら、その足首を折る。二度と歩けなくしてでも、俺の傍に縛り付けてやる」
無表情のまま淡々と告げられる言葉が、どれほど本気か。ライの本能が、今のロウに逆らうことが最も危険だと叫んでいた。
「は、なせ……っ、ちかっ……よるな……っ…」
「逃げた理由、後でじっくり聞かせてもらう。先にお仕置きだ」
ロウの指先が震えるライの顎を容赦なく捉え、有無を言わせず顔を上げさせる。逃げ場を完全になくした絶望と、言い知れない恐怖に、ライの瞳がみるみる涙で濡れていった。
「……安心しろ。痛い思いはさせない。ライが二度と俺から離れられない体にすふだけだよ」
冷たく微笑んだロウが、ゆっくりと首元へ手を伸ばす。金属製の首輪が、カチリ、と静かな音を立ててライの喉に巻かれた。
「おしおきから逃げられると思わないことだね」
部屋の空気が凍りつく。ライの小さな抵抗ごと、すべてを飲み込むように、ロウの冷たい怒りが夜を支配していく。
コメント
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ああ、読んだ読んだ……第2話、すごかったですね。まずサクヤちゃんが登場して「あ、作者さんと同じ名前だ!」ってちょっと嬉しくなりました。それでいて、ロウが任務で離れる隙にライが逃げようとするシーンは、本当にハラハラしました。結界に弾かれて地面に倒れる描写が痛々しくて……でも、サクヤに「ごめん」って謝るところに、ライの優しさが滲んでいて切なかったです。 そして最後のロウの豹変……「お仕置きだ」って冷たい口調で言われると、もう鳥肌が立ちました。逃げ出したい気持ちと、ロウに執着される恐怖と、その両方がひしひしと伝わってきて、続きが気になって仕方ないです。完結してないですよね?次を待ちます!