いつもと変わらない朝。守は、昨日ゲームを夜遅くまでプレイしていたために寝不足だった。
猫のフクに餌をあげ、猫の砂を替え、急いでバイト先のスーパーへ向かう。
いつもと変わらない朝だと思っていたが
今日は少し違っていた。周りのスタッフたちが、守に対していつもより親しげに声をかけてくる。
「藤井さん、おはよう!」田中さんが元気に挨拶する。
「おはよう、昨日は楽しかったな」主任も笑顔で声をかけてきた。
これまで守は挨拶を返すことも少なく、黙々と仕事をこなすタイプだった。
しかし今日は、自然に「おはようございます」と返事が出た。
以前の自分では考えられない反応だったが、守の中で何かが変化していた。
昼休憩。いつものようにスーパーの弁当を買おうと手に取ると、不意に背後から声がかかる。
「藤井さん、ちょっといいですか?」守の憧れの存在、紗良が話しかけてきた。
突然のことで心臓が跳ね上がるような感覚に襲われるが、紗良の後に続いて歩き出す。
どこに向かうのだろうとドキドキしながらついていくと、彼女は一つの紙袋を差し出してきた。
「これ、お弁当なんです。良かったら…」と紗良が控えめに言う。
その瞬間、守の時間は止まった。まるで世界が静止したかのように感じられた。
「ちゃんとお礼したかったんです。本当にありがとうございました。
夜の分もあるので、いっぱい食べてくださいね」と紗良は優しく微笑む。
守は固まったままだった。紗良から手作りの弁当をもらえるなんて、
夢以外の何ものでもない。長い間憧れていた彼女が、自分のために弁当を作るなんて――。
「これは夢か?夢に違いない…」
紗良は驚いて守を見つめる。「え?夢?」
「紗良ちゃんが俺に弁当なんて作るはずがないでしょ!!」守は震えながら言った。
「藤井さん、これは夢じゃないですよ。現実です」
「嘘だ、違う…これは夢だ…」守は完全に現実を受け入れられず、混乱する。
「藤井さん、しっかりして!」紗良が心配そうに声をかけるが、
守はさらに混乱し、「じゃあ、俺を殴って!夢じゃないなら、俺を殴っ・・!」
ドスン!!と守の腹に強烈な一発が入った
「ぶはっ!(胃が潰れる・・・)」守は膝から崩れ落ちた。
「ゲホッ、こ、これは…現実…?本当に、俺のために…弁当を?」
紗良は心配そうに守の顔をのぞき込みながらも、「はい。お口に合うといいんですけど…」と微笑んだ。
守は立ちながら、呆然と紗良を見つめる。
紗良は気まずそうに言葉を続けた。「私は戻りますから食べてくださいね」
その場を去っていく紗良を見送りながら、守は感動に打ちひしがれていた
自分のために手作り弁当を作ってくれるなんて――現実だとは信じられないほどだった。
涙が頬を伝う。
「生きててよかった…!」守は涙を拭きながら、心の底からそう感じていた。
紗良からの一瞬の優しさが、守の人生をまばゆく照らした瞬間だった。
守は紗良からもらった手作り弁当を、誰にも邪魔されずに食べられる場所を探していた。
スーパーの裏手にある小さな神社の境内が、人目を避けるのに最適だった。
秋の澄んだ空気の中、守は静かに腰を下ろし、持参した温かいお茶を置いて、ついに弁当の蓋を開ける。
その瞬間、守の心は天にも昇る気分だった。紗良が作った愛情たっぷりの弁当を手に取ると、
まずはスマホで何枚も写真を撮り始めた。弁当箱の中身から、丁寧に包まれた紙袋、割りばしまで、
すべてを入念に記録する。これは記念すべき瞬間であり、後で見返しては何度でも幸せを噛みしめるためだ。
そして、写真を撮り終えると、守は一口、唐揚げを口に運んだ。口の中に広がる美味しさに
思わず涙がこみ上げてくる。「これが紗良ちゃんの愛情か…」と思いながら、
幸せな気持ちで一口一口噛みしめて食べ進めていた。
その時、ふと視界に入ったのは、小学生くらいの少年だった。少年は近くに座り、
棒で地面の石をひっくり返していた。何をしているのか気になり、守は彼をぼんやりと眺めていた。
ほのぼのとした光景に、守は自分の少年時代を思い出し、少し微笑む。
しかし、次の瞬間、少年がひっくり返した石の下にいるダンゴムシを拾い、
何の躊躇もなくそれを口に入れるのを見たとき、守は驚愕した。
「おい、少年!!」守は慌てて声をかけた。
少年は一瞬びくっとしてこちらを見上げ、「?」と不思議そうな顔をしていた。
「虫なんか食べちゃダメじゃないか!」守は少年を叱りながらも、
その行動が何を意味するのかに気づき始めた。
「お腹、空いてるのか?」そう尋ねると、少年は無言でうなずき、
守が手に持っている弁当に視線を向けた。
守の心の中で葛藤が始まった。(少年、この弁当はダメだ。これは、紗良ちゃんが俺のために作ってくれた、
一生に一度の天使からの贈り物なんだ…。俺が43年間、ずっと待っていた奇跡のような瞬間…)
しかし、そんな思いとは裏腹に、守の口からは自然と「食うか?」という言葉が漏れ出てしまった。
守は自分でも驚きながら、弁当を少年に差し出した。
少年は無造作に弁当を受け取り、何のためらいもなく一心不乱に食べ始めた。
守はその光景を見つめ、複雑な気持ちで泣きそうになりながら、
心の中でつぶやいた。(ちゃんと写真を撮っておいてよかった…)
少年は弁当を半分ほど食べたところで、ふと守の視線に気づき、
申し訳なさそうな表情を浮かべた。そして、弁当を途中で守に返すと、
何も言わずに走り去ってしまった。
守は、食べかけの弁当を見つめながら、少年が遠ざかる背中を心配そうに見送った。
半分以上食べられてしまった紗良の弁当。しかし、どこか満たされた気持ちもあった。
「まぁ、あの少年が生き延びるために…それも悪くないか」守は小さく微笑みながら、
自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
そして、残りの弁当を一口食べたとき、再びその優しい味に包まれ、
ほんの少しだけ幸せが戻ってきた気がした。
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