今日の予定を把握する為、カレンダーを見ながら歯を磨く。やっぱり朝は上手く頭が働かない。
「えーっと…今日は……」
指先でカレンダーを辿って今日の日付を探す。辿り着いた場所には黄色のマーカーが引かれており、何やら文字が書いてある。
「……ってやば!!今日ゴミ出しの日!!」
慌てて時計を見るが、ゴミ収集車が来るまでにあまり時間が無い。ここで出し忘れたらまた次の日までかなりきつい。急いで口を濯いでゴミ袋を掴んで玄関の扉を開く。
アパートの階段を慌てて降りていた時、後ろから扉の開く音がした。反射的に振り向けば、俺と同じようにゴミ袋を持って慌てながら玄関の鍵を閉めている藤澤さんが居た。
「藤澤さーん!おはようございます!」
まだ上の階にいる藤澤さんに聞こえるようにそう叫ぶと、一瞬驚いた顔をした後、手を振ってくれた。
「おはようございます!あ、まだ間に合いますか!?」
「はい!でも急いだ方がいいですよ!!」
「ありがとうございます!」
そう返した藤澤さんが階段を降りていく。丁度収集車のエンジン音も聞こえてきた。朝だからか、髪が乱れている藤澤さんも可愛かった。今日も一日頑張れそうだ。
「ふぅ〜…疲れた……。」
今日は定時通りに帰る為に仕事をかなり頑張った。その反動と言うべきか、家に帰るや否や身体の力が抜ける。
「……よし、久しぶりに作るか。」
時刻は18時。こんなにも頑張ったのには理由がある。もっと藤澤さんに近づく為に、ある作戦を考えたのだ。
「ん〜……無難にカレーとか…?」
まともにキッチンに立ったのは数週間ぶりだ。いつもコンビニの弁当や、スーパーのお惣菜で空腹を満たしていた。久しぶりの料理は不安だが、藤澤さんの為ならいくらでも頑張れる!
「おー、良い香りしてきた。…え?隣から……?」
切った野菜を炒めていた時、隣の部屋から大きな物音がした。方向的には藤澤さんの部屋だろうか。壁が厚い、とは言えないし特に珍しくは無い。だが、これで藤澤さんは部屋にいるということが分かった。ますますやる気が出てくる。鬱陶しい服の袖を捲り、自身を奮い立たせた。
「……よし!!」
出来たカレーは明らかに1人では食べきれない量。そう、これこそが俺の作戦だ。作りすぎちゃったから、と差し入れをすれば藤澤さんと話す口実になる。あわよくば……なんて妄想して口角が緩む。まだ熱いカレーを取り分け、容器を持って部屋に向かった。
部屋の外に備え付けられたインターホンを押せば、よくある音が鳴り響いた。
「…………あれ?」
確かに鳴らしたはずだが、一向に出てくる気配がない。もう一度押そうとしたその時、いきなり扉が開いた。
「あ……、こんばんは!朝はありがとうございます。どうかしましたか?」
なんだかいつもよりふわふわしている雰囲気の藤澤さん。気の所為かもしれないが、頬が赤い気がする。
「あの、これ…!カレー作りすぎちゃったんで、良かったらどうぞ!」
ここに来た目的のカレーを渡そうと容器を差し出した時、藤澤さんの後ろから誰かの声がした。
「涼ちゃーん。だれー?」
開いた扉の向こうから、1人の男性がこちらに歩いてきた。藤澤さんと真反対の雰囲気を纏う彼と瞳がかち合い、何故か睨まれた。
「あ、どーも。もしかしてお隣さんっすか?」
「は、はい……、202号室の者です…。」
なんでただ話しているだけなのにこんなにも威圧感があるんだ。凄く話しずらいし、息が詰まる。
「ちょっと若井!待っててって言ったじゃん!」
「だって涼ちゃんが遅いから……。…てかなんすかそれ?」
若井、と呼ばれている人物から目線で示されたのは、俺の手に持たれたカレーが入った容器。
「あ、…か、カレーです。…もしかしてお兄さんとかですか?」
ふと気になったのは2人の関係性。随分と親しい感じだし、雰囲気は全くと言っていいほど似ていないが、兄弟か何かだろうか。
「…はあ?彼氏ですけど?」
「あ、え……?」
衝撃の事実を知らされた挙句、ぶん殴られる勢いで睨まれている。なんで俺はこんなに敵対視されているんだ。ただカレーを届けに来ただけだぞ。それこそ下心はあったけど……。
「もう若井!!余計なこと言わなくていいから!」
「余計じゃないでしょ。涼ちゃん可愛いんだからすーぐ狙われちゃう。」
まるで俺が空気のように目の前でイチャつき始めた2人。少しでも望みを持った俺が馬鹿だった。もう帰ろう、そう思い彼らに背を向けた時、突然声を掛けられた。
「ねえ、」
「……、!?はい?」
振り向いた僕の視界にいたのは、いつの間にか玄関の外に出ていた若井さんだった。
「…お前さ、」
まるで僕のことを追い詰めるようにグイグイと距離を詰めてくる。こんなのカツアゲの現場と変わらないじゃないか。そして、完全に怯えきった僕に放たれた彼からの一言。
「初対面に連絡先聞くとか、馬鹿じゃね?」
火力の高い言葉に放心している僕を置いて去っていく背中を唖然と見つめる。無情にも閉まった玄関の扉に力が抜け、地面に座り込む。
「…なんなんだよあの人…!怖すぎ…。」
返事を返すわけのない地面にブツブツと文句を言っていると、ポケットに入れておいたスマホが震えた。手に持っていたカレーを置き、スマホの画面を見ると、藤澤さんからのLINEだった。
「…!!!」
ただのLINEだと言うのにまた希望が溢れてくる。まだ付き合えるかも知れないという期待を持ちながら通知を開けば、そこには衝撃的な一文が書いてあった。
「……涼ちゃんのLINEじゃないでーす…ばーか…………?」
訳が分からない。咄嗟に返信をしてみるが、当然既読はつかない。
「…はあ??なんなんだよマジで…!!…あ、」
はっ、とした。そういえばLINEの名前に藤澤さんの要素がひとつもなかったのだ。確かさっきの怖い人の名前は”若井”と言ったはず。急いで画面をタップして、相手のプロフィールを開く。
「…………そういうことかよー……。」
ユーザー名は、”わ”。最初から全て意味なんてなかったんだ。追い打ちをかけるように送られてきた、笑い転げるようなスタンプ。
こんな可哀想な俺の、お隣さんの恋事情。
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