テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第四話『妾とそれからの悠真』
群馬に来て、一ヶ月ほどが経ちましたわ。
こちらの冬は、なかなか手ごわいものです。
朝晩の冷え込みが厳しく、暖房は二十四時間つけっぱなし。
おかげで妾は、いつでも快適に過ごしております。
もっとも、悠真はそうでもないようですが。
「……はあ」
ある朝、悠真は一枚の紙を眺めながら、大きなため息をついておりました。
紙には、電気代請求と書かれております。
ふむ。
どうやら、暖房というものは無料ではないようですわね。
「ピスカ、お前なあ……」
悠真が妾を見ます。
何ですの?
妾は寒がりなのです。
暖かくして暮らすことは、猫の権利でございます。
文句があるなら、もっと暖かい土地へ引っ越せばよろしいのに。
──
さて、群馬での暮らしにも、少しずつ慣れてまいりました。
引っ越してきたばかりの頃、悠真は新しい仕事に忙しそうでした。
東京にいた頃は、朝早くから『駅』なる場所へ向かっていたものですが、こちらでは違います。
最近は『車』という奇妙な小屋を買い、それを動かして仕事や買い物に出かけているのです。
どうやら『中古』というものらしいのですが……。
お世辞にも、きれいとは言えません。
あちこち傷だらけですし、走り出すと変な音がいたします。
キュルキュル、ガタガタ、ゴトゴト。
……本当に大丈夫なのでしょうか。
あれに乗るくらいなら、妾は家で寝ていたいものですわ。
──
そんな毎日を過ごしていた、四月も近いある日のこと。
最近、悠真の様子がおかしいのです。
スマートフォンを眺めては、神妙な顔つき。
時折、耳に当てて何やら話しておりますが、
「そうか」
「うん」
「頑張ってな」
と、ずいぶん短い言葉ばかり。
電話の相手は、どうやら小娘のようです。
千夏。
あの騒がしい小娘でございます。
群馬に来てからというもの、悠真は何度か小娘と連絡を取っておりました。
しかし、このところは特に様子がおかしい。
どうやら、小娘がさらに遠くへ行ってしまうようなのです。
……見ていられませんわね。
会いたいのでしょう?
ならば、会いに行けばよろしいのに。
人間というのは、どうしてこうも面倒なことを考えるのでしょう。
そういえば、思い出しましたわ。
あの日も、悠真はずいぶんと面倒な殿方でございました。
──群馬へ引っ越す、その前の日。
悠真は、しばらく厄介になっていた生花店の女主人に挨拶をしておりました。
花村という女性です。
妾はキャリーバッグの中から、二人の様子を眺めておりました。
ふむ。
この女からも、悠真への想いと寂寥の匂いがいたします。
人間の気持ちというものは、時に匂いとなって漂うものなのです。
しかし、当の悠真はまるで気づいていない様子。
ロマンチックの欠片もない、そっけない別れの言葉を交わすばかり。
本当に悠真という殿方は……鈍感ですこと。
やがて、冷たい雨が降り始めました。
二人は、いつまでも別れを惜しむように立ち話をしております。
……あの。
妾、そろそろ身体が冷えてしまってよ?
そのときでした。
……ん?
この匂いは。
小娘の匂い……?
妾はキャリーバッグの網目から、そっと外を覗きました。
そこにいたのは、千夏。
しばらく会っておりませんでしたが、間違えるはずもございません。
小娘は、悠真のもとへ一歩ずつ近づいてきます。
そして。
泣いている。
声も出さず、涙も見せず。
それでも、全身から悲しい匂いがいたしました。
一歩近づくたびに、その匂いが強くなっていきます。
これは……いけません。
悠真!
妾が命じます!
早く小娘を救いなさい!
いてっ。
妾の入ったバッグが、地面に置かれました。
「泣いていいよ」
悠真の声が聞こえました。
その直後、小娘の泣き声が響きます。
……少々、大きすぎる泣き声ですが。
妾は、ほっと胸を撫で下ろしました。
小娘から漂っていた悲しい匂いが、少しずつ薄れていきます。
よくやりましたわ。
それでこそ、妾の下僕。
褒めてつかわします。
……でも、そろそろ暖かい場所に戻していただけませんこと?
くしゅんっ!
その場にいた人間たちの笑い声が聞こえました。
失礼ね。
猫だって、くしゃみぐらいいたしますわ!
──
そして、東京駅。
新幹線のホームには、千夏と花村が見送りに来ておりました。
千夏は、いつものように悠真のそばにおります。
花村は、穏やかな笑顔でこちらを見つめていました。
妾はキャリーバッグの中から、二人の顔を眺めました。
千夏。
あの小娘とも、しばらくお別れでございます。
最初は、ずいぶんと騒がしい娘だと思ったものです。
妾のことを構いすぎるし、抱きしめようとするし、時にはこちらの都合などお構いなし。
しかし、まあ。
悪い娘ではありませんでしたわね。
……また会えそうな気がいたします。
人間の縁というものは、案外しぶといものですから。
悠真と千夏が、この先どうなるのか。
妾には分かりません。
ただ、あの小娘が、これからも悠真を振り回すのだろうということだけは、容易に想像できました。
まったく、悠真も大変ですわね。
やがて、新幹線が動き出しました。
千夏たちの姿が、少しずつ遠ざかっていきます。
しばしさらば、小娘。
そして、東京。
妾は目を閉じました。
新しい土地での暮らし。
そう考えれば、悪くありません。
猫生とは、そういうものでございます。
……などと、悠長なことを考えていたのは、群馬に到着するまでの間だけでしたわ。
──
そして、四月も近い、まだ夜明け前のある朝のことです。
悠真は、窓の外を眺めながら、ぽつりと言いました。
「今日、千夏ちゃん大阪に行っちゃうんだよな」
ふむ。
そういえば、そんな日でしたわね。
「さよならは昨日、携帯で伝えたし……これでいいんだよな」
悠真はスマートフォンをテーブルに置きました。
そして、また窓の外を眺めます。
……。
……。
悠真。
何をなさっているのです!
ええい、見ていられませんわ!
会いたいのでしょう?
ならば、会いに行けばよろしいのです!
妾は窓辺に駆け寄り、大きな声で鳴きました。
「にゃあああ!」
「ん? ピスカ?」
悠真が振り返ります。
「どうした? 機嫌悪いな。今まで外に出たいなんて言ったことないのに」
……そうです。
妾は、外になど出たくありません。
暖かい部屋で寝ていたいのです。
しかし、今はそんなことを言っている場合ではございません。
妾は、換気のために少しだけ開いていた窓の隙間から、ひらりと外へ飛び出しました。
そして、悠真の車の上に飛び乗ります。
「ピスカ!」
「にゃあ!」
「……そうか」
悠真は、少しだけ笑いました。
「ピスカもお別れを言いたかったんだな」
……え?
違いますわ。
あなただけ行けばよろしくてよ!
「よし。ちょっと待ってろ」
悠真は車のドアを開け、妾を抱き上げました。
ちょっと!
何をなさいます!
妾は車になど乗りたくありませんわ!
「今日は一緒に行こうな」
……だから、違いますってば!
こうして妾は、悠真の助手席に乗せられることになったのでございます。
群馬から東京まで、車で高速道路とやらを走ります。
長い。
あまりにも長い道のりでございました。
車は相変わらず、キュルキュル、ガタガタと奇妙な音を立てております。
悠真は運転に集中しているようで、妾に話しかけることもありません。
時折スマートフォンを耳にあて、
「申し訳ございません。急に私用ができてしまいまして……」
などと同じ言葉を何回も繰り返して不器用に頭を下げていました。
車は揺れるし、景色は次々と変わるし。
はぁ……。
いったい、いつになったら着くのでしょう。
妾はすっかり疲れ果ててしまいました。
そして、ようやく。
「着いたぞ、ピスカ」
東京駅。
どうやら、時間的にはぎりぎり間に合ったようですわね。
悠真は車を停めると、急いで外へ出ました。
さあ、早く参りましょう。
「ピスカ、ちょっと待っててな」
……え?
「キャリーバッグ持ってこなかったから、ここで待ってて」
……。
……。
あの。
妾は、何のためにここまで来たのでしょう?
群馬から三時間半。
あの揺れる車に耐え、変な音に怯え、ようやく東京までやってきたというのに。
ここでお留守番?
悠真!
ちょっとお待ちなさい!
妾を連れてきた意味がございませんでしょう!
「じゃあ、行ってくるな」
悠真はそう言って、駅へ向かって走り出しました。
まったく。
本当に、世話の焼ける殿方ですわね。
妾は助手席から、悠真の後ろ姿を見送りました。
あの小娘に、ちゃんと会えるとよろしいですわね。
……まあ、妾がここまで来てあげたのですから、会えて当然ですけれど。
さて。
悠真が戻ってきたら、まずはおやつを要求いたしましょう。
できれば、かつおだしのカリカリがよろしいですわね。
あら。
そういえば、マダムはお元気かしら。
千夏も花村も、元気でいるとよいのですが。
人間というのは、離れたり、出会ったり、別れたり。
ずいぶん忙しい生き物ですわね。
妾は猫でございます。
暖かい場所で眠り、おいしいものを食べ、気が向いたら誰かに甘える。
それだけで十分。
……でも。
たまには、こうして人間の世話を焼いてあげるのも悪くありませんわね。
妾は、車の助手席で丸くなりました。
悠真。
早く戻っていらっしゃい。
妾は、お腹が空いておりますのよ。
──おしまい。
コメント
5件
宇津Qさん、妾はピスカである、すごく面白かったです。悠真さんを千夏ちゃんのところに導いたのはピスカだったのですね。賢い猫様です。ピスカすごい。大阪へ行く千夏ちゃんを悠真さんが見送ることができて本当に良かったです。この作品、登場人物がみんな一生懸命で好きです。🩷✨️
『妾はピスカである』完結ですね…… 最初は一人称視点のピスカ様が想像よりお上品でびっくりしましたが、素直じゃないところが猫らしいなと思いました。 悠真さんに会いに行くよう背中を押すところ、よかったです。ナイス、ピスカ様。 最後、助手席に置いてかれるのはちょっと可哀想でした。かつおだしのカリカリ、食べられるといいですね🥰
宇津Qさん、番外編第四話めっちゃ良かったです…!!😭💕 ピスカ視点で本編の裏側が描かれてるところがもう、猫好きにはたまらないし、悠真と千夏ちゃんのことをちゃんと気にかけてるピスカにキュンとしました! あの鈍感悠真を「会いに行けばよろしいのに!」ってツンデレ全開で背中押す姿、尊すぎませんか…?? ラストの助手席で待つピスカの「かつおだしのカリカリ要求」想像したら笑っちゃいましたw ピスカの一人称とツッコミが絶妙で、全人類に読んでほしい作品です!!🌸✨
鷹槻れん/鷹槻うなの

21,373
#ヤクザ
夏目萌*優しい彼~コミカライズ
3,712
#強引
#シークレットベビー
夏目萌*優しい彼~コミカライズ
3,006