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荷馬車にたくさんの荷物を詰め込み、メリーティアは帝都に向けて出発した。
ひと息つけるのはこの馬車での旅までだ。帝都に着いたら忙しくなる。
(グウェンダル……。とてもひさしぶりに会うわ。彼はどんな顔をしていたんだったかしら)
処刑されたあの日の惨劇がよみがえるため、彼のことはしばらく思い浮かべないようにしていた。だって、思い出そうとするとはじめに出てくるのが、どうしてもあの日の姿なのだ。
グウェンダルとの思い出を、それだけで塗りつぶされたくはなかった。
これから、彼との思い出だけがメリーティアの心の支えになってくれるだろう。
できるだけ愛しい記憶だけを残しておきたい。
二週間かけて帝都のホールトン公爵邸に到着すると、メリーティアは馬車を降りた。荷馬車はそのまま別の目的地へ走らせる。今日必要な分の荷物はバッグに詰めて持ってきた。
見慣れているのに、いつ見ても豪邸だ。広い敷地に美しい庭園、立派な屋敷はタイルとアイアンプレートで外壁を飾り、重厚感のあるデザインに仕立てられている。騎士家系のホールトン家にぴったりだ。ホールトン領の邸宅のほうがさらに立派だが、メリーティアはこちらも気に入っている。
グウェンダルと結婚してからは、メリーティアが邸宅の管理を任されていた。内装や庭園を少しずつ自分好みに変えていくのが楽しかったことを思い出す。
結局、新しく植えた花が咲くところは見られなかったけれど。
メリーティアは、当初予定していたホールトン邸での滞在を取りやめるつもりだ。
ここに訪れた目的は、婚約を解消するためだった。
そして、グウェンダルに初めてを奪ってもらう目的もある。
婚約を解消するのになぜそんなことをするのかというと、復讐に必要な工程だからだ。
神様によって生き返らせてもらったけれど、特別な力をもらったわけではないから、復讐はメリーティア自身の力で成し遂げなければならない。
しかしハイゼンベルグ侯爵家という高位貴族の生まれではあるが、当主でも夫人でもないメリーティアの権力はたかが知れている。また、今さら武芸を磨く時間的余裕もない。
メリーティアの武器は、生まれながらの美貌と女の肉体だけであった。
使えるものはすべて使うつもりだ。顔も、身体も。この先、生娘のままでは都合が悪いこともあるだろう。だからといって、見知らぬ男で処女を捨てたくはない。
そしてこれからひとりでもがんばれるように、グウェンダルとの最後の思い出が欲しかった。
結婚は復讐の足かせになる。それにメリーティアの夫になったら、またケイリクスが彼を死へと追いやろうとするだろう。そんなことは二度と繰り返されてはならない。
ひとつ深呼吸をしてから、屋敷へ続く階段に足をかける。
そのときちょうど、玄関扉が開いた。
「――グウェンダル」
メリーティアのことを出迎えにきてくれたのだろう。風に煽られた黒髪を搔き上げ、グウェンダルが階段を下ってくる。
彼の姿を見るなり涙が溢れてしまいそうになって、奥歯を強く噛み締めた。
たしかにこんな顔をしていた、と曖昧だった記憶が鮮やかに色づいていく。
いつもむっつりと押し黙って怖そうに見えるのに、メリーティアを見つめるまなざしはとても甘くとろけているのだ。太く凛々しい眉が、こちらを見るときだけは少し下がるのが愛しくてたまらなかった。
好きだったところを思い出すたびに甘酸っぱい気持ちが駆け巡り、恋しさで胸が苦しくなる。
「メリーティア」
名前を呼ぶ低い声も懐かしい。
「遠いところよく来てくれたな。ようこそ。今日からここが君の家だ」
メリーティアは唇を噛み、無理やり笑顔をつくった。するとグウェンダルが一瞬にして表情を変える。その様子を見て、今さらながら演技の腕も磨いておかなければならないなと反省した。
階段を駆け下りてきたグウェンダルがメリーティアの肩を抱き寄せ、顔を覗き込んできた。
「どうした、何かあったのか?」
あたたかい。息をしている。心臓が動いている。
(だめだわ。泣いてしまう)
メリーティアはうつむいて、首を横に振った。
グウェンダルの黒い髪を見ていると、生きている間に腕に抱くことすらできなかった赤ちゃんのことも思い出してしまう。彼との子どもを守れなかった罪悪感が胸を締めつけた。
「なんでもないわ。ちょっとホームシックなの」
「……君が寂しくないよう、私がずっとそばにいる」
「…………」
メリーティアは何も答えられなかった。
「夕食は食べたか?」
「まだだけど、今日はいいわ。食欲がないの」
「そうか。風呂の用意をさせてある。ゆっくり休むといい。ほかの荷物はどうした?」
メリーティアの手にあったバッグをさりげなく持ったグウェンダルは、屋敷の前に荷馬車が停まっていないことを不思議そうにしていた。
「荷馬車だけ遅れているみたいだわ」
「そうなのか。急ぎで必要なものがあれば言ってくれ。すぐに用意をさせる」
「ある程度はこのバッグに入っているから平気よ。ありがとう」
屋敷の中を案内されながら会話を続ける。
部屋の配置を覚える必要はない。明日にはここから出て行くのだから。そうでなくとも、ここで暮らしていたのだからすでにすべて頭に入っている。
「グウェンダルはもう夕食は済ませた? お風呂は?」
「夕食は軽く食べた。今から風呂に入るところだ」
「そのあとは? もう寝る?」
「ああ。そのつもりだが……やはり何かあったのか? なんでも相談してほしい。私は君の夫になるのだから。それとも私には話しづらいことなのか?」
「本当に大丈夫よ。ただ……お風呂を済ませたら、少しあなたの部屋に行ってもいい?」
「かまわない。今日は仕事もすべて終わらせておいたから、時間はある」
「そう。よかったわ」
匂いも、シャンデリアの灯りも、調度品の数々も、執事や使用人の一人ひとりまで懐かしい。
案内されたプライベートルームも、昔の記憶とまったく同じだ。メリーティアの好みを聞いて家具を新しく用意してくれたと言っていた。でもほとんど毎晩グウェンダルの部屋で寝ていたから、この部屋での思い出は少ない。
メリーティアは風呂の介助を断りひとりで身体を流すと、湯に浸かった。
今はケイリクスに触れられたことのない、まっさらな身体だ。それでも穢れているように感じて、時間をかけて何度も何度も洗った。
ふと不安がこみ上げる。
グウェンダルは、メリーティアの誘いを受け入れてくれるだろうか。
前回は、結婚式のあとの初夜が正真正銘の初めてだった。
それまでこのホールトン邸でいっしょに過ごしていたにもかかわらず、グウェンダルは一切手を出してこなかったのだ。生真面目な性格だから、手順を踏むことを大事にしてくれていたのだろう。
あのときはメリーティアもよくわかっていなかったから、そういうものなのかと初夜がくるのをひたすら待ったものだ。
ふたりとも我慢に我慢を重ねていたせいで、初夜はとても盛り上がったのを覚えている。
きっとグウェンダルだって、今すぐメリーティアを抱きたいと思ってくれているだろう。クールなように見えて、とても情熱的な人だということをメリーティアだけが知っている。
だからメリーティアからの誘いを断るほど無粋ではないし、我慢強くもないはずだ。
グウェンダルを利用するようで良心が痛むけれど、メリーティアにはどうしても必要なことだった。
湯から上がり、下着を身に着ける。少しでも彼がその気になってくれるように選んだランジェリーだ。
本当なら初夜に着る予定だったものでもある。
白いレースを贅沢に使い、精緻な刺繍を施した非常に繊細な下着だ。
グウェンダルの手にかかればすぐに裂けてしまいそうな紐のようなパンティーとセットになっている。ガーターベルトはストッキングではなく、レースとフリルでできたガーターリングに繋がっており、完全にセクシーさを演出するための飾りでしかなかった。
その上にガウンを羽織ると、メリーティアはバッグの中をあさりだす。
もしグウェンダルとの子どもができてしまったら、また前回と同じことを繰り返すだけだ。用意していた避妊薬を飲み干した。
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