テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
日下部親子を見送った結に、翠が言い放った。
「これ飲んだら帰ってちょうだい」
テーブルにコーヒーが置かれていた。この日は赤いシュシュはなく。黒いヘアゴムで長い髪を一つにまとめて、ジーパンに青いシャツという格好をしていた。結が再び椅子に腰を下ろすと、翠もカウンター席に腰を下ろして、長い足を組んだ瞬間勢いよく話し出した。
「あんたプレゼン下手ね。もうちょっとうまくしゃべれないの? 自分の言いたいことばっかりじゃダメよ。相手の反応みて加減して話を進めなきゃ。最初から夏夫さんドン引きしてたわ。夏夫さんが断るだろうってわかっていたから、あたしも止めに入らなかったけど。あんたホテルの代表なんでしょうけど、思った通り苦労なんて全然知らないお嬢様ってところね。経験も想像力も足らないのよ」
こんなにもダメだしされたのは初めてかもしれない。しかも会うのも二度目の人にこんなにも言われて、腹立たしさを感じたが、このときの結には言い返す気力は残っていなかった。悔しいが翠の言うとおりだった。
「翠さんはね、優秀な営業マンだったんですよ。じゃあ、しばらくお店お願いしますね」
「はい、いってらっしゃい」
出掛けて行く恭平を翠は椅子に座ったまま、ひらひらと手を振って見送った。
「なによ?」
「今の話ほんと?」
思わず聞いてしまった。
「優秀な営業マン?」
頷く結に翠が笑ながら答える。
「昔のことよ。それよりあんた、人助けでもしたつもりなの?」
とどめを刺された気がした。
「どこかにそんな気持ちがあったんじゃないの? 暖人を可哀想とか気の毒に思った? 自分の立場を利用して、仕事をくれてやろうとか、暖人の才能をビジネスに利用しようとでも思ったの?」
暖人の絵を素晴らしいと心から感動したのは事実だし、純粋に彼と仕事がしたいと思う気持ちに嘘はない。ビジネスに利用しようなどと思ったわけではない。けれど、どれも言い訳にしか聞こえない気がして、結は黙ってしまった。
翠が足を組み替えた。
「でも、暖人の心は掴んだわね」
結が顏をあげる。
「初対面の人に、自分から話しかけることも、名前を呼ぶことも滅多にないのよ。あんたのどこを気に入ったのかしらね。きっとあんたが情けない顔しているから可哀想に思っただけよ。暖人優しいから」
『晴れと雨どっちが好きですか?』
慰めてくれたのだろうか。
椅子から立ち上がろうとしたとき、結の右足のつま先に何かが当たった。結はしゃがみ込んでテーブルの下を見ると、黒い革の名刺入れが落ちていた。それを拾いあげたとき、中からひらりと落ちるものがあった。
端が日に焼けていた。満開の桜の下で小さな男の子と、彼に寄り添う母親が微笑む幸せそうな姿だ。それは、先日結にところに届いた写真と同じものだった。結はカウンターの中にいる翠の顔の前に、黒い名刺入れを突き付けた。
「これ誰の物かわかる?」
「なによ、いきなり。あんたお客様の物を勝手に見るんじゃないわよ」
結の方に手を出して翠は、「寄越しなさい」という顔をする。その顔の前に古い写真を突き付けると、翠は写真を奪い取った。
「これ…、凛太郎…」
写真を見る翠の表情が険しくなる。
「この子のこと何か知っているの?」
「あんたには関係ないわ」
突き放すように強い口調で翠は言い、結に背を向けた。結はバッグから手帳を取り出して、挟んでいた写真をカウンターに置いた。
「私にも関係あるのよ。ここに写っているのは私の母、小塚花江よ」
「バカなこと言うんじゃないわよ、この子は凛太郎。そして隣に写っているのは凛太郎のお母さんよ。あたしは凛太郎からこの写真を見せられたとき、確かにそう聞いたわ」
「その凛太郎って一体誰なの?」
わからないことへの恐怖から、結の声には徐々に苛立ちが増していく。同じ二枚の写真を見比べた翠は大きく息を吐いた。
「名前は春日凛太郎。十代の頃の友達だった。でも凛太郎はいなくなった…」
「いなくなった? どういうこと?」
さらに結の眉間には皺が寄る。
わからないと翠は弱く首を振った。
「ある日突然いなくなったの。あたしも随分探したけど行方はわからないままだった。それが今になってこの写真を見ることになるなんて思わなかった」
「この写真がここにあるってことは、その凛太郎さんっていう人は、このお店に来たのよね? 覚えてないの?」
「気づかなかった。あたしがいないときに来たのかもしれない。第一あの子が今のあたしの居場所がどうしてわかったのよ?」
結を見る翠の表情がいっそう険しくなる。
「とにかくその凛太郎さんっていう人がまたここに来たら連絡して。聞きたいことがある」
結はカウンターに名刺を置くと、扉へ向かった。そのとき扉が開いて三十代くらいの男性の二人連れが入って来た。そのうちの一人が席に座る前に慣れた口調で言う。
「翠ちゃん。カツサンド二つね」
その隙に結は店を出た。歩き出したとき後ろから翠に呼び止められた。
「待てよ。小塚結」
それまでとは全然違う、太くて低い声が通りに響き、結は振り返り翠を睨みつけた。
「こんなところでフルネームで呼ばないで」
「知りたいことがあったら、ここへ来なさい。一人で調べたりするんじゃないわよ」
それだけを言うと店の扉が閉まった。
コメント
5件
うわあ、重い…でもすごく気になる展開ですね。 翠さん、キツいけど言ってること全部正論で、結がグッと黙っちゃうのもわかる気がする。でもあの写真の繋がり、まさか翠さんと結のお母さんが関係してるなんて…。凛太郎って誰なんだろう。二人同じ写真持ってるの、絶対偶然じゃないよね。 次が気になりすぎます🌙
157
352