テラーノベル
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「はい、じゃあ小テスト。今日やったところから5問だけ出すからね。時間は15分」
若井の声が静かに教室に響き、シャッと一斉にノートが閉じられる音が続いた。
配られたプリントを前に、生徒たちは次々とペンを走らせ始める。
空調の低い唸りと、シャーペンの走る音。
無音に近い教室の中で、若井は黒板脇に立ちながら、生徒たちの様子をゆっくりと見渡していた。
その視線が、ふと止まる。
大森元貴――
なぜか今日に限って妙な空気を纏っていた。
元貴は、シャーペンを持つ手を止め、ふと顔を上げる。
若井と、目が合った。
(……ん?)
一瞬のことだった。
けれど、ただの“テスト中の目線”とは思えない。
静かすぎるほど真っ直ぐに、こちらを見つめてくるその瞳に、若井は息を呑んだ。
その直後だった。
シャーペンの軸の部分――
銀色に光る金属のラインを、
ゆっくりと舌でなぞった。
ぬるり。と、湿った光が一筋、ペンに沿って伸びる。
誰にも見えないように、陰で、けれど確実に、若井にだけ届く動き。
(……なにして……)
言葉にならないまま、若井の視線はその動きから離せなくなる。
舌を引いたあと、元貴はわざとらしく一度ペンを置く。
そして次に、ノックボタン――シャーペンの先端を、
ゆっくりと唇に触れさせ、口の中へと入れた。
ツッと押し込まれたその黒いプラスチックの先端が、舌に触れているのがわかる。
そして、音もなく、またスッと引き抜かれる。
一度、二度、三度。
押しては引き、引いては舐めるように――
すべての動きが、無言のまま、若井の視線に突き刺さってくる。
(……やめろ、そんな顔……)
口元を濡らしたペン先を、今度は指で拭いながら、元貴はにやりともせず、ただ淡々と顔を伏せた。
その一連の仕草の間中、他の生徒は誰一人気づいていない。
誰もが数式と格闘している最中、
この教室の中で、ただ一人、若井だけが――元貴の“演技”を目撃していた。
汗が、背筋を伝った。
目を逸らそうとしても、また顔を上げれば、元貴がこちらを見ている。
今度は、シャーペンを下唇に当てたまま、じっと――
舌をほんの少しだけ突き出して、ペンの先端を押し返していた。
それが笑ってもいない、ふざけてもいない。
ただ、静かに“誘っている”としか思えなかった。
(……まさか。いや、でも……)
記憶がフラッシュバックする。
保健室での出来事。
自分がしてしまったこと。
あの、震えるような唇を――
「……クソ」
喉の奥で、掠れた声を呑み込んだ。
チャイムが鳴る直前、元貴はゆっくりと姿勢を正した。
目を伏せ、まるで何事もなかったかのようにペンを置く。
そして、席を立つ直前、再び若井を見つめたまま、
人差し指で、自分の唇をトン、と一度だけ叩いた。
(見てたよね)
――そう言われたような気がした。
チャイムが鳴った。
テスト終了の声が教室に響く。
けれど若井は、その鈍く火照った視線を、どこにも置くことができなかった。
コメント
2件
シャーペンを使った表現、斬新すぎて最高です、、