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駆ける。駆ける。駆ける。
生き地獄と化した王都を走り抜ける。
辺りには惨たらしくはらわたを晒す死体がいくつも転がっていた。
『私を信じるな、信じなかったことを信じよ。信仰は裏返しで固定されている。終わりは始まりを忘れている。始まりは終わりを知らない。知らないことを覚えよ。覚えたら消えよ。悔い改め──』
意味のない言葉を羅列する頭を両断する。
鉈によって半分になった頭は、石畳を転がって、しかしまだ生きていた。ぎょろりと双眸がこちらを見る。
俺は躊躇することなくそれを踏み潰した。
「魔物の増えるペースが早すぎる。このままじゃ全滅だ」
空を見上げれば、結界の穴からどんどん、黒い雲のようなものが溢れていた。魔物だ。人類を殺すべく機会を窺っていた魔物どもが、これ幸いと、滂沱のごとく溢れ出しているのだ。
魔女時代の装備を引っ張り出してきて三十分前後、目についた魔物を数え切れないほど殺したが、奴らの数はむしろ増えるばかり。
王都から上がる悲鳴はさらに増し、比例して命の数が減っている。
俺はままならない現実に臍を噛んだ。
ゲームの展開だと、一定時間王都を防衛すればダンジョンが復活する。そうすれば魔物は結界内に侵入できなくなって、人類側の勝利だ。
しかし予想よりも奴らの増加スピードが早すぎる。
このままでは王都が陥落する可能性すら。
『私を信じるな。信じなかったことを信じよ。信仰は裏返しで固定されて──』
「煩い」
空から降ってきた魔物に銃弾を浴びせる。
そいつが地面に辿り着く頃には、血に染まったずた袋と化していた。
念のため頭を踏み潰して、魔物の多い方向へ移動を再開する。
「…………」
──魔法を使えばなんとかなるか?
俺はふと胸中に浮かんだアイデアの考察を始めた。
王都を囲む結界くらいなら張れるかもしれない。そうすれば、何時間かは稼げるだろう。王都以外の被害は甚大なものになるだろうが。首都を落とされるよりは遥かにマシだ。
「いや」
望んだ結果が得られるか判らない。
魔法はそんな都合のいいものではない。
だからこそ魔女は、最後の最後まで魔法を使おうとしないのだ。
王都の中心部まで移動し、住民を襲おうとしていた魔物に鉛玉をプレゼントする。
血糊を浴びた男性は白目を剥いて倒れてしまった。
……まあ、死んでないのだから文句を言われる筋合いはないだろう。
俺は次なる敵を探して辺りを見渡し──。
「……ソフィア?」
血達磨になって、瓦礫に背中を預けるソフィアを発見した。
一瞬死んでいるのかと思ったが、僅かに胸が上下している。
しかしあまりに出血が多い。彼女の命は風前の灯火だった。
駆け寄ると、ソフィアは力なく顔を上げる。
双眸の周りを深い隈が覆い、瞼は実に重そうだ。
「……あら。私は誰にも知られず、ひっそりと死ぬものだとばかり、思っていたけれど。……まさか世界最強の魔女に……ごほっ、看取られる、なんて」
「どうしてそんな状態になるまで」
「戦ったか、と? ……私は魔女よ」
「魔女の仕事は死ぬことじゃないぞ」
確かに魔女の殉職率は八十パーセントを超えている。
最期まで生き残るほうが珍しいけれど。
だからといって、わざわざ死ぬ必要はない。
「ソフィア。君なら……致命的な状態に追い詰められる前に、逃げ出せただろう」
彼女は四肢を失っていた。
胴体と、頭。
それだけが瓦礫に背中を預けている。
話をしている間にも血溜まりは広がって、呼吸が薄れていく。
とても助かる段階ではなかった。
「これは……きっと、私の罰」
「罰?」
「式子と珠姫。ずいぶんと、酷い扱いをしてきたわ」
ごほごほ、と彼女は咳き込む。
口から噴き出す大量の血。
「間違ったことをしたとは思ってない。私は、私の正義を実行した。人間が、魔女が犠牲を支払わなくてもいいように、式子と珠姫を造り上げた。……それが批判を受ける行為であるのは承知の上で」
ソフィアはこちらに視線を向けてくる。
すでに──彼女の双眸は霞んでいた。
薄ぼけた瞳孔が光を失いゆく。灯が弱まってゆく。
#ハッピーエンド
#ハーレム
「でも、あの子たちには酷い事をしたわ。そうね。人間だもの。あの子たちを人間として生み出したのは私。そうでなければ魔法なんて使えるはずがない。理解していたはずなのに」
空気の読めない魔物が二匹飛来してきた。
俺はそちらに目を向けることもなく引き金を引く。
全身に風穴を開けた敵が墜落する音。
ソフィアはすでに耳が聞こえづらくなっているのか、魔物が迫っていたことにも気が付いていない様子で、力なく息を吐いた。
「私は……二人と向き合うのが、怖かったのかしら」
「怖かった?」
「ええ。私は人好きのするたちでもないし、他人と関わるのが苦手だった。そんな私が……二人を造って。きっと、恨まれるのが怖かったんだと思うわ。……おかしな話ね。人間らしい感情は失ったはずなのに」
ごぽり。
目に鼻に口に。穴という穴から血が噴き出す。零れ落ちる。
彼女の周りはすっかり真っ赤に染まって、まるで地面に大きな彼岸花が咲いたような光景だった。
「今頃になって、二人の将来が心配になってきたわ。遅すぎる」
ソフィアは瞼を閉じる。
そのまま、もう光を宿さないのではないか──。
思わずそう疑ってしまう静けさだった。
「……でも、世界最強の魔女が付いてくれるなら安心ね」
「期待してくれるのは嬉しいが。俺は大層な人間じゃないぞ」
「謙遜も過ぎると毒になるわよ。──あの二人をお願い」
彼女は一度、大きく息を吸って。
「魔法を使うわ」
「何を……」
「結界を張る。王都全体を──というのは難しいけれど。それでも、被害を少しでも減らせると思うから」
「でも、その身体じゃ」
ソフィアは莞爾として笑った。
瀟洒な表情だった。
稀代の芸術家が彫った像のような。
人間味の薄い──超常的な雰囲気だった。
「もう私は助からないわ。判るでしょう」
「現代の技術なら──」
「この騒ぎで病院が機能しているとでも? それに、私はブラックリストに載っているわ。受付で通報されておしまいね。……まあ、通報を受ける警察も機能していないでしょうけど」
ソフィアは片目を閉じた状態で呟く。
おそらくウインクをしようとか、そういう意図はない。
純粋に瞼を開いているだけでもつらいのだ。眉間の皺が深い。
「懐に杖が入っているから、取ってくれるかしら」
「……変なところに触っても気を悪くするなよ」
「大丈夫よ。人間らしい感情は失ってるもの」
「そりゃあ助かった……ってのは軽口が過ぎるか」
「世界最強の魔女様は変な心配ばかりするのね」
ソフィアはそれきり喋らなくなった。目を閉じて集中する。すると、たちまち大気に混じる魔力が胎動し始めた。結界に遮られているはずの魔力が、彼女の願いによって、結界を貫通して現れる。
俺も内ポケットに収まっている杖を発見したので、ソフィアに手渡そうとして──彼女の腕がなくなっていることを思い出した。
「肩の傷口に挿してもらって構わないわ」
「さすがに道徳がなさすぎるだろ。魔力の操作、こっちでいくらか受け持つ」
「……それだと貴方にも代償が──」
「知らなかったか? 俺はこれでも、世界で一番魔法を使った魔女なんだぜ。代償との付き合い方は熟知してる」
「……優しいのね」
ソフィアは首を竦めた。
「優しい」という形容には幾分か反論したい気持ちがあったが、そんなことに時間を使っていられる状況ではないので、俺は鼻を鳴らすだけに留める。
「貴方は、魔法の限界を知ってる?」
「いや。死を覚悟して使ったことはあるが、死を確信して使ったことはない」
「世界最強の魔女も知らない魔法の限界。──研究者の端くれとして、最期にそれが見られるのは望外の喜びね」
ソフィアを中心にして魔力が渦を巻く。
彼女の身体が軋みはじめ、痛みに呻いた。
「つらいなら、やめてもいいんだぞ」
「いいえ。私なりの責任の取り方だから」
「責任ねえ……」
ソフィアは自分のできる限りのことをした。それが人道に悖る行為だとしても、間違いなく人類のためを想っての行動だったのだ。褒められこそすれ、罵られ、責められることはないと思うのだが。取るべき責任など存在しない。
そこまで考えて、彼女の思惑を理解した。
俺はつい苦笑してしまう。
「母は強しって云うしな」
囁きに近い言葉を耳ざとく捉えたのか、ソフィアは迷子になった子供のように、ぽつりと呟いた。
「……私は母親として認められていたのかしら」
「お母さんって呼ばれてたんだろ? じゃあ、たぶん」
「──────」
一瞬。
魔力の流れが止まる。
しかし一瞬のこと。
瞬きを終えた頃には、すっかり魔法の準備が終わっていた。
「……世界最強の魔女様は、メンタルケアもお手の物なのね」
「喫茶店が潰れたらその道で食ってこうかな」
「その時は式子と珠姫を助手にして頂戴。……あの子たちのこと、よろしく頼むわ」
ソフィアは俺の返答を待たなかった。
きっと首肯すると確信してのだろう。
短い付き合いなのに、ずいぶんと理解がよろしいことで。
「じゃあな。ソフィア」
「ええ。さようなら──古明地葵」
魔力が指向性を持った。
概念が抽象から具体に移り変わる。
現実が非現実に、非現実が現実に。
観測されない事実が誰しもの目に明白になる。
「【掛けまくも畏き天地に鎮まり坐す八百万の神等。諸々の禍事、罪、穢有らむをば祓へ給ひ淸め給へと白す事を聞こし食せと恐み恐みも白す】」
魔法の詠唱。
ソフィアが言葉を紡ぐたびに、魔力が力を持っていく。
「結界が──」
はたして、魔法は成功した。
王都をすべて覆うほどではないが、俺たちを中心とした半径数百メートルの結界が現れ、領域内の魔物が消え失せる。
今にも殺されかけていた男性が、目の前で急に魔物が居なくなったことで、安堵と困惑の声を上げていた。
「ソフィア。君の願いは無事に届いたよ」
「そう……それなら、よかった──」
息も絶え絶えなソフィア。
彼女は柔らかい微笑を浮かべる。
──最期に立派な魔女らしいことができてよかった。
小さくそう呟きながら。
「だが……これだけの規模の魔法を行使した」
「解っているわ。万が一にも助からない」
「君に最大限の敬意を」
「……世界最強の魔女に敬意を送られるなんて、魔女明利に尽きるわね」
ソフィアは「ふふ」と息を漏らして。
──瞬きをすると、そこから居なくなっていた。
「さようなら。ソフィア」
俺は痺れる脚を叱咤して歩き出した。
……彼女が命を捧げて守った王都だ。俺が、古明地葵が動かなくてどうする。すべてを救うにはこの掌はあまりにも小さいけれど、可能な限り掬い上げてみせろ。
それが世界最強の魔女に課せられた使命だ。
果たさなければならない、責任だ。