コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
十一月二十二日 水曜日 奈津美さんから一通の手紙が来た。
健太様
私がL.A.に来て丁度一ヶ月め、十月二十七日に健太さんと会って、早くも一ヶ月が過ぎようとしています。この週末があけると私の滞在可能期間は、残すところあと一ヶ月弱。健太さんにお会いしてまだその位しか経ってないのね、と思う反面、あっという間に時が流れていくのを感じずにはいられません。健太さんにお会いする前までは、あと二ヶ月かぁ、結構あるなあ、なんて思っていましたが、予想外にあなたという人にお会いしたものですから、一日一日がすごく楽しくて、本当に感謝の気持ちで一杯です。「私を見つけてくれて、ありがとう」というようなところですか?
私は通常、~が好きです、という表現よりも、~が嫌いですという表現が多い人なんですね。常に~が好きですという表現を心掛けてはいますが、なかなかお気に召すものがないようで、つい不平不満を言ってしまいがち。いえ、言いませんね。ただ思っている程度にとどめています。今回こんなに「私は~が好きです」っていう表現をしている自分に驚いています。
まだまだ私には、感情はあっても言葉にしていないことがたくさんあるのです。
健太さんに昨日”I love you”って言われて、正直に申し上げて『なぜ?』って思いました。私はまだまだ伝えたいことが一杯あるのに、まだほんのカケラしか表現できてないのに……。それどころか、健太さんを傷つけたりまでしているのに……。
私は、健太さんといるときの自分がいちばん好きです。はじめの頃は、二人っきりになるとすごく緊張していましたけれど、今ではほんの少し。といいましても、今でもすごく緊張するときがありますけど……。
私の理想結婚像というものを、書きたいと思います。思い憧れていた生活というのは、詩人の高村光太郎と智恵子のような、芸術家同士の関係です。でも、現実を考えてしまう女性特有の視点が、私の理想を変えました。結婚は、家族同士の一大事。誠実一途なサラリーマンまたは公務員の人と結婚し日本と会社の組織に守られながら老後を待つ。味も素っ気もないただ平凡なだけの生活。芸術なんてこれっぽっちも分からない男性と結婚し。でも、わからない分争い事もない。旦那様はお付き合いのゴルフ。奥様(私)は、ピアノに夢中。たまの休みには街中へお買い物。こどもが出来て、奥様は、旦那様のことなんか、放りっぱなし。こどもの手が掛からなくなったら、また働き始めて至福を肥やし、音楽に耽る中年。そして、穏やかに老後を過ごす。
意外だったでしょう? なぜこんな風に思うのか、疑問をお持ちだと思います。常に「よい子ちゃん」を心掛けてきた私は両親が良いということが良いことで、両親が悪いということは悪い。たとえ、どんなに刃向かってみても、いつも心の片隅で、罪悪感を感じずにはいられなかったのです。母のことを思うと、母のいう「良い結婚」に従いがちになってしまうのです。「母の為に生きている」といっても過言ではないと思います。何が彼女にとって幸せで、私が彼女のためにしてあげられることは何か。彼女の作品である娘、私が、幸せになること。彼女は、前述のような結婚生活を、幸せと信じています。私が違う道に進むことをひどく心配します。彼女は私に苦労をさせたくないのです。「思い詰めないで、私は大丈夫。あなたに助けられなくてももう立派な大人なの」と、言えませんでした。彼女が傷つくからです。
確かに母のいうなりに振舞っていると、平静でいられますが、どこかで私の血が騒ぐのです。だから仕事を辞めて一人でアメリカにもきました。本当はすごく不安なところがあったのです。でもそれを認めないようにしてきました。いつも笑顔を繕うことで、頑張ってこれたのです。そうでもしないと何も始まらないと思ったからです。どんなに強がって生きていても、本当はこんなことばかり悩んでる、小さな女の子なんです。
体こそ前に比べて強くなりましたが、少しでも気が抜けるとすぐに体調が崩れてしまうのです。健太さんがくれた安らぎによって、緊張していた気が緩んでしまい、こうして数日も熱を出してしまっているのです。健太さんのせいにしているわけではありません。ただ、自分の弱さを認めたくないから、他に転換しようとしているだけなのです。でも、今認めます。そしてやはり思うことは、もっともっと強くならなければ……。ということです。健太さんの側では、いつもfineな状態でいたいからです。というのは、私も、健太さんにはいつもfineでいてもらいたいからです。
ここからは、健太さんのことを書きますね。健太さんはわたしに自由をくれました。私は健太さんといると、平常心が保てます。健太さんは強い意志を持っているし、人を受け入れる余裕も持っているし、いえ、そうなろうと努力している姿勢が伺われると、申し上げたほうがよいのでしょうか。
平常心だけでは、つまりません。やはり感動も必要です。しかし、同じ芸術を通して喜びが得られる人に廻り逢えるだなんて、思ってもいませんでした。本当に、芸術を語るのは、芸術家以外だと思っていたので。どうせ分からないだろうし、言い争いにも成りかねないし……。でも健太さんは違いました。健太さんはピアノを通して、活躍しようとしています。ニューオリンズのバンド、オーディション通ること毎日祈ります。健太さんに逢えて本当に嬉しく思っております。
健太さんという人物の出現は、あまりにも私の人生の計画からは予想外のものだったので、気持ちの整理がなかなか付けられません。私に時間を下さい。すでにくださってますね。