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外が白んでから、それでも1時間ほど眠ることができた。
少しでも寝たことで、昨日、あれほど混乱していた頭は意外なほどクリアになっていた。
そうなると襲ってくるのは、穴に潜りたくなるほどの、羞恥と後悔の波。
わたしを追いかけて、店に来てくれた玲伊さんの顔が浮かんでくる。
なんで、あんなに頑なに拒絶してしまったんだろう。
あれほど真剣な表情で話がしたいと言ってくれていたのに。
洗面所の鏡に、ひどい顔が映っている。
寝不足の上に目が腫れている。
水で濡らしたタオルを絞り、目に当てる。
昨日のおばあちゃんの言葉も、脳裏によみがえる。
(全部、自分ひとりで考えていることだね。玲ちゃんと話し合ったことはないんだろう)
タオルの冷たさとともに、おばあちゃんの言葉が心にしみてゆく。
本当にその通りだと、今ならわかる。
玲伊さんに失礼な態度を取ったことをきちんと謝って、それから自分の気持ちを伝えよう。
悩むのはそれから後のことだ。
それに、最初からつらくなることを覚悟でモデルを引き受けたのだ。
彼が笹岡さんと付き合っていたとしても、それを理由にやめることなんてできない。
最後まで責任を持ってやりとおさなければ。
そこまで考えがまとまり、気持ちが少しだけ上向いた。
朝食を済ませて、店の開店準備を終え、〈リインカネーション〉に出かける支度が整ったころ、スマホに電話がかかってきた。
「あ、優紀さん。つながって良かった」
律さんだった。
普段の連絡はメールなので、電話は珍しい。
なにか、緊急のこと?
わたしは少し緊張して「はい」と応答した。
「これから5階の会議室に来てもらいたいと、オーナーからの伝言です」
「何かあったんですか」
「わたしもまだ詳しい話は聞いていないんですよ。KALENの紀田さんも来られるそうです」
「わかりました。ではこれから向かいます」
「待ってますね」
いったい何が待ちうけているのだろうという不安な気持ちを抱えたまま、わたしは会議室に向かった。
***
ノックをしてドアを開けたとたん、紀田さんが「加藤さん」と言いながら沈痛な面持ちで歩み寄ってきた。
訳もわからず、とりあえず「おはようございます」と挨拶した。
すると彼女は わたしの目の前で、額が膝につきそうなほど深く頭を下げた。
「加藤さん、すみません」
「え、あの、頭を上げてください。いったい、どうされたんですか」
「本当にごめんなさい。実はモデルを……降りていただかなければならなくなってしまって」
紀田さんは絞りだすような声でそう言った。
モデルを降りる……って?
その言葉にいち早く反応したのは、岩崎さんのほうで、すぐに抗議の声を上げた。
「えーーーっ、なんでですか? 優紀さん、めちゃくちゃ頑張ってるじゃないですか。わたし、いつも感心してるんです。あれほどストイックな要求をきちんとこなしてくれる人はそうそういないです!」
紀田さんは慌てて言い添えた。
「もちろん、加藤さんになんの不足もありませんよ。ただただ、うちの社内の問題で」
わたしは戸惑って、部屋を見回した。
一番奥の席で玲伊さんが今まで見たことのないような険しい顔をしている。
その横は、いつものように笹岡さん。
ふたりの姿を見て、少し胸が痛んだけれど、今はそれどころではない空気が、この狭い会議室中にみなぎっていた。
なかなか頭を上げようとしない紀田さんに、玲伊さんは声をかけた。
「紀田さん、とにかく座ってください」
彼女ははっとした様子で椅子に座り、わたしと律さんも席についたことを確かめてから、事情を話しはじめた。
「〈シンデレラ・プロジェクト〉のことを漏れ知った副社長が、編集長に圧力をかけてきまして、今のモデルは降ろして、香坂さんの大ファンである自分の孫をモデルに使えと……」
紀田さんは言いづらそうだった。
やりきれない気持ちが表情に濃く表れていた。
「もちろん、編集長に抗議しましたよ。加藤さんがとても頑張ってくださっていることを必死で訴えたんですが……」
「信じられない」
律さんは心底、呆れた様子でそう言い捨てた。
副社長だからというだけでなく、その人物は雑誌のスポンサーにも顔が利くとのことで、どうしても逆らうことができなかったらしい。
玲伊さんのファンというのなら、別にモデルにならなくても客として来ればいいようなものだけれど、そのお嬢さんいわく“自分以外の一般人が香坂玲伊の手で美しくなる”というのが気に入らないらしい。
玲伊さんが言った。
「くだらない話だろう。その話を聞いて、俺は企画自体、白紙にしたかったんだが」
「それがそう簡単には行かなくて」と笹岡さんが補足した。
今回は〈リインカネーション〉にとっても宣伝効果が高い企画ということで、広告費を払わない代わりに特殊な契約を結んでいて、簡単に破棄できないそうだ。