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「わー、テレビの時代劇に出てくるお家みたい」
美幸が感嘆するのも無理はない、武家屋敷といった感じの日本家屋。
目の前には、屋根付きの重厚な門。その引き戸を開けると敷石が長く続いていた。灯篭のある庭には、季節の樹木が植えられ、池まである。
個人のお宅というより、料亭や旅館という趣だ。
「はーっ、緊張する」
沙羅は、大きく深呼吸をした。
慶太の父親に招かれて、高良の本家に来たのだ。
寒い冬の日、手切れ金を突き付けられた記憶は、まだ新しい。
ショックで、倒れるほどの痛手を心に負ったのだ。
その元凶である、慶太の父・健一に会うと思えば、緊張するのも仕方がないだろう。
「お母さん、わたしの受験の親子面接の時より、緊張している」
沙羅は無意識のうちに、顔をこわばらせ、門をにらみつけていた。
そんな沙羅の背中に慶太の大きな手がそっと添えられる。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。父もあの後、萌咲の母親の咲子さんからキッチリ〆られて反省しているし、今日は咲子さんも応援で来ているから」
「う、うん」
立派な邸宅を前に、どうしたって家の格差を体感してしまう。
でも、結婚するのに慶太の親御さんにご挨拶をするというのは、通らなければいけない道なのだ。
慶太が玄関引き戸をカラカラと開けた。
「ただいま戻りました」
土間に|沓脱石《くつぬぎいし》が置かれ、その先には上がり框、磨かれた天然木の床が続いている。
一部屋作れそうな広さの玄関だ。
廊下の奥から顔を出したのは、意外にも沙羅の知っている顔だった。
「慶ちゃん、お帰りなさい。沙羅さんも遠い所お越しいただきありがとうございます。美幸ちゃん、わたし慶ちゃんの妹の萌咲です。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
美幸はぺこりと頭を下げた。
萌咲の顔を見て、沙羅の緊張がほぐれる。
「萌咲さん、お久しぶりです。お会いできてうれしいです」
「来ていたなら教えてくれれば良かったのに」
慶太がため息交じりに言うと、萌咲はしてやったりと含み笑いを浮かべる。
「あら、それだとサプライズにならないでしょう。それに味方が多い方が安心できるはずよ」
「そうだな、ありがとう」
「どういたしまして。さあ、上がってください。美幸ちゃんもどうぞ」
「はい、ありがとうございます。お邪魔します」
長い縁側を通り、案内された部屋の前にたどり着く。
もう一度深呼吸をしようと、沙羅は顔を上げた。
すると、芸術的な花や鳥が彫刻された欄間が目に留まる。細かな所にも凝った造りの家に格式を感じ、いよいよ緊張してしまう。
沙羅の様子に気づいた慶太が、そっと耳打ちする。
「一緒に居るから大丈夫だよ」
結婚を反対されるのは、|端《はな》からわかっている事。それをいまさら、突き付けられたとしても、慶太を信じて着いて行くと決めたのだ。
そう沙羅は自分に言い聞かせるようにうなづく。
萌咲が襖に手を掛けようとした。それを見越したようにスッと襖が開く。
襖の向こうに居た縦縞のお召を着た女性、萌咲の母親・咲子が目を丸くしていた。
「あら、萌咲が迎えに行ったきり来ないので、様子を見に行こうと思っていたんですよ。どうぞお入りくださいな」
20畳ほどの部屋の奥には、小手毬や桃の花が生けられた床の間がある。部屋の中央に置かれた欅の大きな座卓、そこには憮然とした表情の慶太の父・健一が座っていた。
その向かい側に腰を下ろした慶太が話しの口火を切る。
「父さん、お話していました。こちらがお付き合いをしている藤井沙羅さんと沙羅さんの娘、美幸さんです」
「初めまして。藤井沙羅と申します。本日は、お忙しいところお時間を作っていただきありがとうございます。よろしくお願いいたします」
沙羅が顔を上げたところで、「あっ」と健一が驚きの声を上げた。
沙羅も改めて健一の顔を見ると、どこかで見覚えがある気がする。
「そうか……慶太の人を見る目は確かだった……」
健一は独り言のようにつぶやいた。そして、姿勢を正し沙羅に向き直る。
「昨年の11月にあったパーティーでは、具合が悪くなった所を助けて頂きありがとうございました。その恩人である人に……秘書の中山を使って、卑劣な真似をして申し訳ない」
改めて、言われて沙羅の中でも記憶が繋がった。
あの時、具合が悪くなって居た人が慶太の父親だったなんて……。ただ驚くばかりだ。
「いえ、助けるなんて大層な事はしていません。それに手切れ金の件は、もう済んだ事ですからお気になさらないでください」
ふたりのやり取りに慶太は不思議そうな顔をして、沙羅に訊ねる。
「父と面識があったの?」
「面識という程じゃなくて……」
沙羅は恐縮しながら、小さく手を振る。
飴玉を一粒あげただけの間柄、たいした事はしていないのだ。
そこで、健一がバツが悪そうに頭を掻きながら説明を始めた。
「昨年末のHotel coucher de soleil のパーティーで、低血糖を起こしてフラフラしていた時に適切な処置をしてくれて、助かったんだよ」
「たまたま、通り掛かっただけですから」
「そんな事はない。具合が悪い時に何人もの人が通り過ぎていったのはわかったが、心配して声を掛けてくれたのは貴女だけだった。それにお礼を申し出ても、遠慮して名前も言わずに去って行ったんだよ。いまどきこんな心の綺麗な人が居るのかと感心したものだ」
それを聞いた咲子が、健一にふふっと笑い掛ける。
「あらあら、そんな優しい方に手切れ金を送り付けて、息子と別れるように脅したなんて。そう言う事をする人をなんていうのか、健一さんはご存じかしら?」
健一は、グッと言葉に詰まりうつむいた。
咲子は笑顔のまま話しを続ける。
「私が教えて差し上げます。そう言う人の事を”人でなし”って言うんですよ」
「それは、……反省している」
まさか、あのパーティーに沙羅が参加していたとは健一は思ってもみなかった。
なぜなら、投資家や会社経営者、政治家などのハイソサエティーな人たちの集まりだった。
一般家庭の家で生まれ育ち、離婚してシングルマザーになった沙羅が、参加出来るような会ではない。
パーティーに出席していた理由は、健一にはわからなかったが、実際、沙羅が居た事に寄って健一は救われたのだ。
興信所からの情報を鵜吞みにし、沙羅の表面上のものしか見ていなかった。内面を知ろうともせずに、バツイチ子持ちの女と非難し、慶太との結婚を反対していた。
だが、沙羅の本質に触れれば、慶太がなぜ沙羅との結婚を熱望したのか理解できた。
健一は座布団を外し、畳に両手を付いた。
そう、土下座の態勢だ。
「沙羅さん、本当に申し訳ない。この過ちの償いは何年掛かってもさせて頂く。だから、どうか、息子の慶太を幸せにしてやってください」
これには、沙羅の方が慌ててしまう。
「高良さん、頭を上げてください。結婚をお許し頂けただけで十分です。これからは家族として、仲良くしてください。よろしくお願いします」
沙羅へ頭を下げた健一の姿に衝撃を受けたのは、沙羅だけではない。
慶太も驚いていた。
「父さん……」
頭ごなしに沙羅との結婚を、反対していた父親の思いも寄らない行動に考えが追い付かない。
慶太にとっての父親の印象は、子供に興味の無い親だった。もう一つの家庭を持つ父。子供の頃、たまに顔を合わせた父親から聞かれたのは、学校の成績。また、大人になってからは、TAKARAの仕事がらみで話をするか、たまに持ち込まれる縁談の話しだけ。
父親にとって、自分はTAKARAのための駒なのだと思っていた。
そんな健一が沙羅に手を着いてまで、自分の幸せを願う姿を拝むことなど、慶太は想像したことすらなかった。
居住まいを正した健一は慶太に向い、おもむろに話しだした。
「私はこれまでの考えの過ちを認め、この先は家族を大切にしていこうと思っている。自分にとって、唯一無二の存在に出会えることは、本当に幸運な事だ。慶太にとって沙羅さんは、喜びを分かち合い、苦しい時には支え合える存在なんだな」
健一の隣で、咲子が微笑を浮かべうなづいた。
目の前に居るのは、傲慢だったTAKARAグループ会長では無く、慶太の父親・高良健一として、ここに居るのだと思った。
今度は慶太が畳に手を付き、頭を下げる。
「父さん、結婚の快諾ありがとうございます。まだまだ未熟な私ですが、これから沙羅さんと一緒に温かい家庭を築いていきたいと思っています」
その言葉を聞いて、健一は嬉しそうに目を細めた。
「ああ、お前なら私と違い、良い家庭が築けるだろう」
「はい、沙羅さんと美幸ちゃんと信頼で結ばれた家庭にします」
家族とは、一番近くにあるからこそ、何よりも大切にしなければならないもの。家族の絆は信頼に寄って結ばれている。
場の雰囲気が和み。一息ついたところで、美幸がコソッと沙羅に耳打ちする。
「ねえ、お母さん、お兄さんと結婚するのOKもらえたんだよね。紀美子さんに知らせてもいいの?」
「うん、後で電話しましょうね」
そこで、健一の声が聞こえてくる。
「ところで、沙羅さんの苗字が……私の記憶が正しければ、佐藤だったと思ったんだが、藤井と名乗っていたのは?」
興信所の調査報告書では、佐藤沙羅との記載だったのを健一は疑問に思ったのだ。
「あっ、実は、母方の従妹叔母から養子縁組のお話を頂きまして、年明け直ぐに手続きをしました。それで、藤井姓を名乗っています」
「父さんも知っている投資家の藤井紀美子さんだよ」
「あの藤井さんか。彼女は人柄も素晴らしいし、こちらとしても良い縁を結べて光栄だ」
偶然の出会いが、思わぬところで繋がっている事もある。
その時は気づかずに、やり過ごしてしまっても、人の縁は奇なり、不思議な縁で繋がっているものだ。
【番外編・合縁奇縁 終わり】