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「力に頼り過ぎっ!」
投げられる瞬間に自らジャンプ。空中で一回転して、そのまま足から着地する。
「ついでに投げたあとの姿勢が悪いから踏ん張りが効かず、簡単にバランスを崩される!」
掴まれていた手首を逆に掴み返しつつ、投げられた勢いを利用して同じ技――逆一本背負いで投げ返す。
「ぐへっ!」
仰向けにダウンする江畑さんの背後から上体を起こしつつ、首に腕を回してスリーパーホールドで頸動脈を絞め上げる。
「ち、ちょ……テメェ……逆一本からの裸絞めって……俺ッチの……」
「その通り。自分の得意技でヤラレたく無かったら、ガンバってロープまでエスケープしようか」
「くっ……くそ……」
スリーパーホールド――裸絞めは元々柔道の技だけあり、防御の基本は出来ているようだ。しっかりアゴを引き、ジリジリと身体をズラしながら懸命に右足をロープへと伸す。
「よし! よく頑張りました。今のエスケープは80点」
再び、智子さんからブレイクのコールが掛かる前に技を解いて、間合いを開けるオレ。
「はぁ、はぁ、はぁ、けほっ……」
江畑さんは不足した酸素を脳に送り込もうと、小刻みな呼吸を繰り返す。そしてロープに捕まり、頭を振りながらユラリと立ち上がった。
「でもそのあとがダメ、不用意に立ち上がらないっ! 立ち上がる時は、相手の位置を確認して視線を外さずに立ち上がることっ!」
オレは江畑さんの視界から死角になる、斜め後ろから右腕を取りつつバックへと回る。
そして、左腕を――って、これは危険か……
取っていた右腕を放して、後ろから腰に抱きつくように腕を回す。
「ジャーマンいくから、しっかり受身を取りなよ」
ジャーマン――正式名称、ジャーマンスープレックスホールド(*01)。背後から胴回りを両手でクラッチして、ブリッジをしながら反り投げ、そのままフォールを奪う大技。
「ジャ、ジャーマンって……そのちっこい身体で、重量級の俺ッチを――」
「しゃべるなっ! 舌噛むぞっ!!」
胴に回した腕をシッカリとクラッチして、江畑さんの身体を斜め下に引き寄せバランスを崩す。そしてその勢いを使い、ヘソで投げるイメージで後方へと持ち上げた。
「投げ技は力じゃなく、バランスとタイミングッ! バランスさえ崩したら、相手の力と体重を利用して投げればいい!」
そして逆に重量級の選手は、一度投げられる体勢に入られると自分の体重がそのままダメージになる。
「かは……っ!」
豪快に後頭部からマットへ落下する江畑さん。オレは、胴に回したクラッチを切らずブリッジの姿勢をキープしてフォールの体勢に――って!
「智子さん、仕事して下さいよ!」
フォールに入っているのに、カウントを取らないでいる智子さん。
「あぁ? 落ちてるみたいだし、必要ないと思うがな――ほれ、ワン、ツー、スリー」
手ではなく足踏みで、正に手抜きなカウントを取る、手抜きレフリー……って結構、上手いこと言った?
※※ ※※ ※※
「全然うまくないわよ、バカ……」
「はぁ? なんか言ったかい、かぐや?」
「なんでもないわよ」
佐野の頭の中にツッコミを入れるかぐやと、そのかぐやにツッコミを入れる絵梨奈。
試合中、殆ど会話する事なく試合を観ていたかぐや達四人。
「あの男の娘――バックに回る時、最初は腕を取りましたよね?」
「ああ、タイガースープレックス(*02)に入ろうとして、やめたんだろ。確かに佐野のタイガーは、ルーキーにはキツ過ぎる」
タイガースープレックス。ジャーマンスープレックスの派生技。
投げる時に両腕をチキンウイングにロックして投げるので、充分な受け身が取れずダメージも大きい。
当然その分、技の難易度も高くなるわけだが――
『ルーキーにはキツ過ぎる……』
佳華の言い分では、投げる気になれば投げられたと言う事だ。
この中で言えば、詩織の次に小さい佐野。その彼が、身長にして二十センチ以上の差、体重は倍近い相手を投げるなど、簡単に出来る事ではない。
「投げ技はバランスとタイミング……柔道で言うところの『柔よく剛を制す』ですか……」
「まっ、実際には『言う易し行う難し』だかな」
柔よく剛を制す――柔道の創始者である嘉納治五郎が説いたとされる柔道の理論。決して机上の空論ではないけれど、口で言うほど簡単なモノではない。
しかし佐野は、それをみんなの前で体現して見せたのだ。彼のファイトを見慣れている佳華や智子、それにかぐやはともかく、初めて見る者には少なからず衝撃を与えていた。
特に、重量級を相手にする大変さをよく知っている詩織には、その衝撃が大きかった。
「なるほど……佳華さんや栗原が、あの男の娘に固執する気持ちが分かりました」
「だろ?」
詩織の呟きに、佳華は無邪気な笑顔を見せる。
そんな感情を素直に見せる佳華に対して、詩織はその内心を隠すように無表情でリングを見つめていた。
※※ ※※ ※※
気絶していた江畑さんは、智子さんに活を入れられ目を覚ました。
「大丈夫か美幸?」
「ウッス……問題ないッス……」
智子さんに肩を借りて立ち上がる江畑さん。ちょっと意識が朦朧としている感じだ。
「じゃあ、明日から下半身の強化な。ランニング五キロとスクワット五百回追加だ」
「うっ……ウッス……」
智子さんの提示する追加メニューを、顔をしかめながらも承諾してリングを降りる江畑さん。
「舞華っ! そっちのベンチに寝かせて、首をアイシングしてやれ」
「は、はいっ!」
テキパキと指示を出す智子さん。こうゆうところは、頼れるお姉さんといった感じだ。
「で、佐野――ご休憩はするか?」
「いえ、必要ないッス」
てか、変なところに『ご』を付けるのは、別の意味に聞こえるので、やめて下さい……
「愛理沙は? 準備出来てるか?」
「ええ、問題ありませんわ」
オープンフィンガーグローブ――いわゆる拳サポを着けて、リングへと上がって来る新鍋のお嬢さま。
基本的にプロレスは、素手の拳で相手を殴るのが反則となっている。なので、拳での打撃を行うのであれば、その拳にサポーターを着けるのは必須なのだ。
キックボクシングがベースの新鍋さん。高校時代にはアマチュアの大会で、何度も優勝の経験がある。また、総合格闘技の経験もあり、ファイトスタイルは打撃で倒して関節を取るタイプだ。
得意技は自称、消失する拳『バニッシュメント・ナックル』。長いリーチを活かして、相手の死角からノーモーションで繰り出されるアッパーカットだ。
さて、どう戦おうかな?
と、考えがまとまる前に、試合開始のゴングが響いた。
お互い間合いを測りつつ、左回りにユックリとリングを回って行くオレ達。
そして、、ちょうどリングを一回転した辺りで新鍋さんは歩みを止めた。上体を軽く反らし、両の拳をコメカミ辺りまで上げる。いわゆるアップライトの構え。
対するオレは、それを見て軽く左手を突き出しつつ、右腕を引いて構えた。
(*01)ジャーマンスープレックスホールド
相手の背後から、相手の腰を両手でしっかりとクラッチする。そして、ブリッジしながら相手を後方に反り投げる。そのままブリッジを保つ事でフォールを奪う大技。
(*02)タイガースープレックス
ジャーマンスープレックスの派生技。相手の腕を背後からダブル・チキンウィングに極め、そのままブリッジしながら相手を後方に反り投げる。投げられた相手は腕を固定されているために受身が取れず、大ダメージとなる。