テラーノベル
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ダンス練習が終わった帰り、俺は家の近くのコンビニに立ち寄った。
汗の残る身体がだるくて、頭の中まで重い。
またライブに向けて食事制限が始まる。 そう思っただけで、胸の奥に鈍い憂鬱が沈んだ。
だったらその前に、好きなだけ食ってやろう。
そんな投げやりな気持ちで、俺は棚からカップ麺やら、明らかに身体に悪そうなものを次々とカゴに放り込んだ。
レジに並び、スマホを眺めながら会計を待つ。
ピッ、という無機質な音が響く中、ふと視線を上げた。 目に入ったのは、レジ横に並ぶ煙草の箱。 その中に、見覚えのある銘柄があった。
あいつが、いつも吸っていた煙草だ。
何度もやめろと言ったのに、結局聞き入れてくれなかったことまで、嫌でも思い出してしまう。
(そんなに美味いんか……?)
胸に浮かんだのは、怒りでも悲しみでもなく、ただの好奇心だった。
理解できなかったものを、少しだけ知りたくなっただけ。
俺は一瞬迷ってから、店員に視線を向ける。
「……それもください」
そうして、カップ麺の隣に、煙草の箱が置かれた。 重たい袋を受け取りながら、俺は自分でもよくわからない気持ちを抱えたまま、コンビニを後にした。
雪の道に足跡を残しながら、俺は家へ向かった。 吐く息は白く、指先はかじかんでいる。
今頃、地元の北海道はもっと深く雪に埋もれているのだろう、そんなことをぼんやりと思いながら歩いていた。
アパートの二階。
ドアの前に立ち、いつものように鍵を差し込もうとして、手が止まる。
「あれ……」
鍵は、すでに開いていた。
一瞬、背筋が冷える。
泥棒か、と身構えながら、俺はできるだけ音を立てないよう慎重に扉を開けた。
玄関に並ぶ靴を見た瞬間、緊張が一気に抜ける。 見覚えがありすぎる靴だった。
「 ………… 」
ガチャ
靴を脱いでリビングへ入ると、そこら中に空のビール缶が転がっている。
むっとする酒の匂いが鼻を突き、犯人はもう確定だった。
「はぁ、…」
ため息をつきながら、俺はソファへ近づく。
そこには、俺のソファを我が物顔で占領して眠りこけている男。
俺と同じグループのメンバーで、相棒で、いちばん距離の近い友達。
「なつ、起きろー?」
肩を軽く揺すって声をかけると、そいつは不機嫌そうに顔をしかめた。
「んん……、……」
酒に潰れて、まだ夢の中らしい。
俺はもう一度ため息をつきながら、散らばった缶を見渡した。 どうせまた、何かあったんだろう。 そう思いながらも、こいつを放っておけない自分が、少しだけ腹が立った。
なつは、合鍵を渡してからというもの、連絡もなしに俺の家へ侵入してくるようになった。
呼び鈴も鳴らさず、メッセージも残さない。
気づいたら、そこにいる。
この前なんて、目を覚ましたらなつが俺の隣で眠っていた。 心臓が跳ねて、しばらく身動きも取れなかったのを覚えている。
そういうふうに、何の前触れもなく現れるときは、だいたい決まっている。 何か嫌なことがあったとき。 気持ちが沈んで、どうしようもなくなったとき。
なつが泣きながら転がり込んできた夜もあった。 言葉はほとんどなくて、ただ肩を震わせていた。 俺は何も聞かず、泣き止むまでずっと頭を撫でていた。
今は、そんななつがソファで眠っている。
起きる気配はない。
仕方なく俺はキッチンへ行き、散らかった空のビール缶を一つずつ片付け始めた。
缶がぶつかる乾いた音が、やけに大きく響く。
「……はぁ、」
こんな夜が、何度目だろう。
ため息をつきながらも、俺は手を止めなかった。 なつが目を覚ましたとき、少しでも楽でいられるように。
「てかこいつ、ダンス練終わったらすぐどっか帰ったと思ったら、俺の家に来てたのかよ……」
ソファで眠るなつを見ながら、小さく呟いた。
勝手に入り込まれているはずなのに、不思議と怒る気にはなれない。
「俺も、なんか食べよ……」
玄関に置きっぱなしだったコンビニのビニール袋を手に取る。
中から酒、カップ麺、ポテチを順に取り出す。
今飲まない酒は冷蔵庫へしまい、ケトルに水を入れてスイッチを押した。
静かな部屋に、湯が沸く音だけが広がる。
「……いるま……?」
背後から、かすれた声がした。
眠気を含んだ、弱々しい声。
妙に胸に引っかかる、なつの声だった。
「起きた?」
俺が振り返ると、なつはソファに座り直し、眠たそうに目をこすっている。
髪はぐしゃぐしゃで、表情はぼんやりしているのに、やけに無防備で。
「ん…」
短く返事をして、視線だけがこっちを追ってきた。
「んしょっと…」
俺はなつの隣に腰を下ろし、跳ねたままの寝癖を直すみたいに、指先でそっと髪を撫でた。
なつは抵抗もせず、ただ目を伏せる。
「……で、今日はどした?」
できるだけ軽く、いつも通りに聞く。
「いや、別に、病んでたわけじゃない…」
少し間を置いてから、なつは続けた。
「ただ、泊まりたい気分だっただけ」
「……そっか」
それ以上は聞かなかった。
けど、目は誤魔化せなかった。
うっすら赤くなった目の下。 床に転がる空のビール缶。 限界が近かったことくらい、嫌でも伝わってくる。
俺は何も言わず、なつの肩を引き寄せた。 驚いたように一瞬だけ身体がこわばって、それから力が抜ける。
頭に手を置いて、いつもみたいにゆっくり撫でる。 言葉はいらなかった。 こうしていれば、そのうち呼吸が落ち着くのを、俺は知っていた。
「……ぁ、」
ふと思い出して、俺はビニール袋に手を伸ばした。 がさ、と音を立てて取り出したのは、煙草の箱。
それを見た瞬間、なつは目を見開いた。
「え、お前、いつも吸ったら怒るじゃん…」
「今日だけ特別な」
そう言って、箱を軽く放る。
本当は、俺自身のお試し用だった。
けど、反射的に、なつの好きな銘柄を選んでしまった。
「ほい、キャッチ」
なつに向かって投げると、
「おわっ!?」
慌てて両手で受け止める。 缶が散らばる床の上で、煙草の箱だけがやけに目立った。
「うぃー、ナイス」
俺がそう言うと、なつは箱を握りしめたまま、少し困った顔をする。
「いるまも、吸う……?」
なつが、遠慮がちに聞いてくる。
「いや、俺はいいわ。肝臓やられにゃ困るし」
軽くそう返すと、なつは一瞬だけ目を伏せた。
「……そう」
残念そうに呟いてから、煙草を一本取り出す。
懐から現れたのは、紫色のライター。
見慣れたそれを指で転がしながら、
「……」
何も言わず、器用に火をつけた。
小さな音と一緒に、先端が赤く灯る。
煙を一口、ゆっくり吸い込む横顔を見て、俺は視線を逸らした。
「吸うなら、ベランダで吸えよ」
「あー……うん……」
素直に返事をして、なつはソファから立ち上がる。 少しよろけながらも体勢を立て直し、そのままベランダへ向かった。
ガラス戸の向こうで、冷たい夜気に煙が溶けていく。 室内に残ったのは、微かに残る煙草の匂いと、妙に静かな空気だけだった。
「……」
なつは何も言わず、満月の夜空を見上げながら、煙草を静かに吸っていた。 吐き出された煙が、白く光って夜に溶けていく。
その横顔は、驚くほど綺麗だった。
そのとき。
着信音が鳴った。
俺は反射的にスマホを手に取り、画面を見て目を見開く。
「……は?」
表示されていた名前は、なつ。
一瞬、頭が追いつかない。 酔っているのかと思って、俺はベランダの方を見る。
なつは、確かにそこにいる。
片手には煙草、もう片方にはスマホ。
それでも、何も言わない。
「なつ……?」
呼びかけても、返事はない。 ただ、こちらを見もせず、煙を吸い続けている。
(出ろ、ってことか?)
そう解釈するしかなくて、俺は親指で画面をタップした。
通話がつながる。
耳元で、微かなノイズだけが響いた。
そして、受話器の向こうから
(……)
なつの、息遣いだけが聞こえてきた。
「いるま……あのな、俺さ、……お前のことやっぱ好き」
その声に、思わず息を飲む。
「……!」
胸の奥で何かが跳ねた。
その告白は、2回目だった。
グループを結成してから2年ほど経った頃、同じ言葉を一度だけ聞いたことがある。 その時は、冗談だと思って軽く受け流した。 「あー、そう」と、冷たく返事をした自分を覚えている。
その瞬間から、俺たちの距離は少しずつ開いていった。 話す回数は減り、家に来る回数も減った。 悩みを相談してくれることもなくなった。
あのとき、真剣に受け止めていれば、こうはならなかったのに。
今こうして改めて告白されて、俺はようやく気づく。 あの時の言葉は、冗談なんかじゃなかったんだ、と。 なのに俺は、軽くあしらってしまった。
ベランダ越しに見えるなつの横顔が、月明かりにぼんやり照らされている。 その表情の先に、あの頃とは違う、少しだけ切実な気持ちが透けて見える。
俺のせいだった。
なつが煙草を吸い始めたのも、酒に逃げたのも。 あいつが消えてしまったのも全部、俺のせいだと思った。
「……俺も」
「 ! 」
震える声で、俺は続ける。
「俺も、なつが好きだ」
電話越しでも伝わる緊張と、震えた言葉。
「………」
しばらく沈黙が続く。
時が止まったみたいに、息だけが聞こえる。
「そっか、…ありがとう」
なつの声が、電話越しでも弾むのが分かる。
嬉しそうで、でもどこか寂しそうな響きが混ざっていた。
ベランダの方を見ると、なつがこちらを振り返った。 月明かりに照らされた横顔は、喜びと哀愁が入り混じっている。 もう二度とここにはいないと思っていたなつが、今、目の前にいる、まるで夢のようだった。
「…なつ、」
近づこうと手を伸ばしたその瞬間、めまいが襲った。 視界がぐらつき、意識が遠のいていく。
俺はそのまま、ベランダのなつに手を伸ばすことも、抱きしめることも、撫でることもできなかった。
目が覚めると、俺はソファに座っていた。
しばらくぼーっと天井を見上げてから、はっと思い、勢いよく体を起こす。
ベランダを確認する。
もう、なつはいない。
靴もない。
ゴミ箱に散らかっていたはずの空き缶も、消えている。
なつが吸っていたはずの煙草も、減っていない。
全部、俺の都合のいい夢だったのか。
肩の力が抜け、胸の奥にぽっかり穴が空いたような感覚。 夢の中の温もりも、声も、手の感触もすべて、指の間から零れ落ちる砂のように消えていった。
あの夜の月明かり、あの告白、あの笑顔は、 現実には、何一つ残っていない。
俺は、机の上に置かれていた煙草をじっと見つめた。 その隣には、あいつが使っていた紫色のライターが無造作に置かれている。
「………」
無意識に手が伸び、煙草を取り出す。
ライターの火を近づけ、先端が赤く灯る瞬間、胸がざわついた。
「…はは、苦…」
苦い。そう思いながらも、俺はリビングのソファに腰を下ろし、煙草を吸った。 煙を吐き出すたびに、どこか切なく、虚しい匂いが部屋に漂う。
あいつが逃げた後に残った、あいつの好きな味、あいつの匂い。 俺にとって、それが何を意味するのかは、正直理解できていなかった。
ただ、手にした煙草を眺めながら、あの夜のこと、あの告白、あの笑顔を、どうしても思い出してしまう。 苦く、そして、どこか甘いそんな感覚だけが、確かに残っていた。
「なつ……すぐ、そっちに行くから」
もう、なつが来ることのない俺の家。 あと少しで、誰もいない空っぽの家になるのだろう。
コメント
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お洒落なやなーと思ってたら最後で泣いた
簡単に説明すると 🍍くんはもうお星様になっていて、📢くんはまだ居ると思いながら生きている。でも今日のことでもうお星様になったという現実を受け止める。 そして、同じくお星様になる。 って感じ。