コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
<4>
★丸座内 楽屋裏
_______________________
「お疲れさん!」
舞台裏の楽屋は、まるでまだ本番が続いているかのような熱気に包まれていた。 笑い声、歓声、誰かの高揚した叫び。
空調の低い唸りも、今はまるで効果音のように感じる。 照明を落とした空間に、舞台の光の残像がまだ漂っているような錯覚すらあった。 丸テーブルの上には乱雑に置かれたペットボトルと、飲みかけの缶コーヒー。使い捨ての紙コップには、飲み干されたあとがそのまま残っている。 ソファにもたれるように座った芸人たちの肩からは、タオルがぐったりと垂れていた。汗が滲み、頬にはまだ火照りが残っている。
「笠木たちも良かったよ!」
「ありがとうございます!」
事務所の先輩が声をかけてくる。 そんな言葉をかけられるのは悪くない。いや、正直に言えば、ちょっとくすぐったい。
でも、それ以上に心を奪われたのは——
「秋野、めっちゃウケてたな!」
気づけば、無意識に視線が秋野くんを探していた。 彼の周りには、複数の芸人が集まっていた。
誰もが笑顔で、時折、拍手混じりに肩を軽く叩くような仕草も見える。
「ツッコミ、めっちゃキレてたな!」
「ボケとのバランス、完璧だったわ!」
口々に飛び交う賞賛の言葉。 その中で、秋野くんは少し戸惑っていた。慣れない称賛に、居場所を探すような目をして、手元のペットボトルを何度も握り直していた。 でも——
「ありがとうございます」
小さく、でも確かにそう言って、ほんの少しだけ笑った。 その笑顔は、照れくささを隠しきれない、だけど嬉しさのにじむ、素朴で温かい笑みだった。
(……なんか、いいな)
心のどこかがじんわりとあたたまる。 あのとき、初めて彼のネタを見た瞬間の、直感に近い「こいつは面白い」という感覚。それが今、この場所にいる全員に、ちゃんと伝わった。共有された。それだけで、なんだかうれしい。
「……あ」
ふと、秋野くんと目が合った。 彼は少し驚いたように目を見開き、それから小さく手を上げた。
俺も無言で、顎をくいっとしゃくって応える。 それを合図にしたように、秋野くんが一歩、二歩とこちらへ歩いてきた。足取りはぎこちなくも、確かな決意が見える。
「……笠木さん」
すぐ近くで聞く彼の声は、舞台上よりもずっと静かで、けれど芯のある声だった。
「ん?」
「今日、楽しかったです」
一瞬、胸がきゅっと締めつけられたような感覚になる。 それは感動というよりも、もっと素朴で、正直で、まっすぐな想いに触れたせいかもしれない。
「……だろ?」
言葉が自然に口をついて出た。 自分でも、少し驚くほどやわらかい声だった。 秋野くんはふっと笑って、目尻をわずかに細める。
「……また、一緒にやりましょう」
その一言が、胸の奥に、静かに、確かに染み込んでくる。
(……こいつ、本気なんだ)
舞台上のあの一瞬じゃなくて、それ以外の時間も、ネタを書いてる時間も、きっと大事にしてるんだろう。だからこそ、たった一言で、こんなにも嬉しい。
「おう、またやろうぜ。また爆笑取るぞ」
「はい!」
俺の声が、自然と力を帯びていく。 秋野くんが軽く頷いた瞬間。
周囲の喧騒が、一瞬だけ遠のいた気がした。
たった数秒の、二人だけの静かな約束。 それが、さっきまでのどの舞台よりも、ずっと胸を熱くさせた。