テラーノベル
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放課後のチャイムは、私にとって救いの音のはずだった。
授業が終われば、人と話さなくていい時間が始まる。
なのに今日は違った。
「じゃあ、行こっか」
蒼井 光流は、何事もなかったみたいに言った。
まるで放課後に誰かの家へ行くのが、毎日の習慣であるかのように。
「……はい」
返事をしてから、一瞬だけ後悔した。
断るチャンスは、もうなかった。
校門を出ると、夕方の空が広がっていた。
オレンジ色に染まりかけた雲が、昼と夜の境目で揺れている。
並んで歩いているのに、距離感がわからない。
近すぎると怖いし、離れすぎると不自然な気がする。
「四葉さん」
「……なんですか」
「凪って呼んでもいい?」
「なっ…!」
心臓が、無駄に跳ねた。
「……好きにしてください」
そう答えると、光流は少しだけ嬉しそうに笑った。
「じゃあ、凪」
名前を呼ばれただけなのに、
自分の輪郭が一瞬ぼやけた気がした。
住宅街に入ると、人通りは減っていった。
部活帰りの生徒たちの声も、少しずつ遠ざかる。
「この辺、静かだね」
「……はい」
いつだかと同じ会話。
凪は周囲を見回した。
どこにでもありそうな家、どこにでもありそうな道。
なのに、なぜか胸の奥が落ち着かなかった。
理由はわかっている。
ここは、私の世界じゃない。
「着いた」
光流が立ち止まった先には、古い一軒家があった。
外観は普通。
でも、玄関の前に立った瞬間、違和感を覚えた。
音が、ない。 車の音も、鳥の声も。
風が吹いているはずなのに、妙に静かだった。
「……ここ?」
「うん」
光流は鍵を取り出し、何でもない動作で扉を開けた。
その瞬間。
空気が、変わった。
家の中から流れ出てきたのは、
冷たいとも暖かいとも言えない、不思議な感覚。
「どうしたの?」
立ち止まった私に、光流が振り返る。
「……いえ」
違和感の正体を言葉にできなかった。
言えば、引き返せる気がしてしまったから。
玄関に一歩、足を踏み入れる。
床はきしまず、匂いもしない。
生活の気配が、薄い。
「上がって」
そう言われて靴を脱いで、
私ははっきりと理解した。
ここは、
普通の家じゃない。
そして同時に、
もう戻れない場所に足を踏み入れたのだと。
扉が、静かに閉まる音がした。
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