自然に目が覚めるまで起きないという贅沢を存分に味わう。
レースのカーテンがかけられた窓からは輝かしいばかりの日が差し込んでいる。
朝ではないが昼でもない。
そんな時間。
向こうにいたら、夫に優しく起こされていただろう。
そのあと一日、ベッドから起きられなくなってしまう方法で。
謝罪するほど優しくされるのが怖いという経験をした女性は、どんな感情を抱くのだろう。
私は嬉しくて恥ずかしくて、少しだけ恐ろしかった。
その、甘く優しい執着が何時か失われてしまう日が来るのが。
ナーバスになってしまった思考を、緩く首を振る動きで払拭する。
そのタイミングでノワールが現れた。
「おはようございます。よくお休みでございましたが、御気分はいかがでございますか?」
「うーん。よく寝たなぁ……っていう感じかな? 気分は良いです」
「アーリーモーニングティーには、ロイヤルミルクティーを用意いたしました」
「あ、穏やかな気分で目覚めたいときにいいって聞きました、ロイヤルミルクティー。ありがとう、ノワール」
昨日というか今日というかの、ごたごたを配慮しての対応だろう。
見事としか言い様がないメイドさんだ。
「朝食は皆で取ろうかしら? 奴隷たちはどんな様子でしょうか?」
「皆、主様がお休みになる前に、食事と入浴はさせてございます。睡眠もたっぷりとは申せませんが取れておるようです。疲れもあって眠りが深かったのでしょう」
「……ネルの様子は?」
「想定したよりは落ち着いているようでございます。短い時間の中でも十分な信頼関係を築けていたと推察申し上げます」
フェリシアとセシリアは、ネルをとても可愛がっているように見えた。
それは愛玩動物を可愛がるものとは別物で、愛らしい友人が不憫な様子を心配して甘やかしているように感じられる。
ネルもそれを嫌がっておらず、素直に甘えているようだ。
彼女の性格からして甘えすぎはしないだろう。
ダンジョン攻略も優秀だったようだし、時間が経てば仲の良い友人で同僚といった理想的な関係にもなれそうな予感がした。
「それは何よりね。ネリの方は?」
「マジックバッグに放り込みこそしておりませんが、三階の個室に隔離しております。まだ現状を理解していないのか、したくないのか、呆けているようでございますね。食事も残さず取っておりますので、問題はございません」
「それは上々というべきなのか……迷うけれど……。そうそう、彩絲たちは帰宅したかしら?」
「実はキャンベル殿から連絡がありまして……いろいろ問題があったので、彩絲殿一行の帰宅前にお知らせできればと、封書を預かってございます」
「本当ですか? キャンベルさんには随分迷惑をかけている気がしますね……何かお詫びがしたいかな……」
「拠点が落ち着きましたら、食事の招待をなさるとよろしいかと」
「それだけでいいものなのかしら?」
「はい。キャンベル殿は栄誉を賜ったと感激なさるに違いありません」
ノワールの言葉は大げさではないのだろう。
人を家に招待するのは基本、好意がなければしないものだ。
こちらでもあちらでも、家に招けという有象無象が、家へ入る無礼は許されない。
あちらでは夫の、こちらでは守護獣や妖精に加え、ドロシアの洗礼を受けるのだ。
そのうち、後ろ暗い理由で訪れるものたちの、難攻不落の要塞として知れ渡りそうな気までしてくる。
ノワールから封書を受け取り、中身に目を通す。
雪華たちに勝るとも劣らぬ、トラブルの連続だったようだ。
帰宅したら、まず彩絲を労いたい。
「……クレアとネラ……どちらも、そこまでの問題児には見えなかったけれど……姉妹を引き離すのって、やはりやめた方がいいのかしら?」
クレアは妹がいなくて暴走した。
ネラは姉がいなくて暴走した。
ネリは論外としても、二人はストッパーが傍にいれば、問題行動に走らないのではないだろうか。
二人に関しては、特に否定的な話を聞かなかった。
「引き離しが最善だと愚見申し上げます。四六時中共に行動させるわけにはまいりませんし、今回の例は離した方がお互いのためになると思われます」
できれば姉妹は仲良くしてほしい。
自分の家族にはできなかった期待をしてしまうのは、主として失格だろうか。
「……書類だけではわからないことも多いと思うの。帰宅後に皆の意見を聞いてから、再度考えるとします」
「もう少しお休みになりますか?」
「起きて、軽く何か食べておこうかな。しっかりした食事は彩絲たちが帰宅してから……」
「良き目覚めじゃったようじゃのぅ、奥方」
「ノックもできぬ、従僕など。いらぬと思われませぬか、主様」
背後にもの凄く真っ黒で怖い何かを背負ったノワールから静かに目線を晒す。
軽い羽音とともに寝室に入ってきたランディーニは、ノワールの怒りなど何処吹く風とばかりに、掛け布団の上、ちょうど私の太もも辺りに降りて腰を据える。
「彩絲たちが帰宅したようじゃぞ。何やらのぅ……酷く荒んでおるようじゃ」
疲れているではなく、荒んでいると聞いて眉根を寄せる。
私の想像した以上に、問題のあるダンジョン攻略だったようだ。
ノワールが出してくれたルームワンピースを手に取る。
デザインは同じだが襟が鈴蘭の透かしレースで作られており、腰から裾にかけて大きな鈴蘭が刺繍された物。
勿論肌触りは最高だ。
髪の毛は襟と同じようなリボンで一つに括られた。
いつの間にか設置されていた等身大より一回りほど大きな姿見に全体像を映して頷いてから、ルームシューズを履いて階段を下りる。
まず目についたのは彩絲。
「あるじよ……妾は……疲れたのじゃ……」
清楚系美女の表情がへにゃりと崩れる。
ギャップ萌え属性を持っていなくとも、庇護欲をそそられそうな幼げな表情だ。
よほど消耗しているのだろう。
「お疲れ様でした。キャンベルさんから書類をいただいたの。大体の話は把握しているから、先にお風呂に入ってくるといいわ」
「……お言葉に甘えさせてもらおうかのぅ」
「クレアとネラはマジックバッグの中かしら?」
「いや。妾の空間収納の中じゃ。二人揃ってうるさいのでな。マジックバッグにしても良かったのじゃがなぁ……それだと、主が慈悲を与えて出してしまうかもしれぬと、危惧したのじゃよ」
「ふふふ。わかったわ。二人の管理は任せますね。それで彩絲のお風呂はどうしましょう……」
「私の風呂魔法で準備いたしましょう。彩絲のあとに奴隷たちに入ってもらえばよろしいかと……」
「報告は早めにすませてしまいたいのでな。皆一緒でよい。広さはあるのじゃろう、ノワール?」
「はい。問題ございません」
広々としたサロンの一角にノワールが風呂魔法で、手早く風呂を設置する。
数人がゆったり入れる浴槽に、簡易結界&覗き防止機能付。
さらにはシャンプー、リンス、ボディーソープ、入浴剤常備という、すばらしいものだ。
既に私も体験している。
彩絲がぽぽぽいっと服を脱いで、さっさと中に入ってしまったのに苦笑しながら、ノワールが服を片付けた。
奴隷たちは少しの間躊躇っていたのだが、彩絲の言葉に従い、脱いだ服を丁寧に畳んでから風呂へ入っていった。
「疲れが軽減されるので入浴剤は必ず入れるように、お願いいたします。着替えは籠に入れておきますので、着替えを終えてから出てきてくださいませ」
ノワールの説明に、うむ、と彩絲の返事が。
ありがとうございます! と三人の返事があった。
「あぁ、彩絲たちも帰宅したんだ。ダンジョン踏破できたのかな?」
「踏破は、できたみたいですよ?」
「おそよう、主! 随分と含みのある言い方だけど……やっぱりあっちもいろいろあったの?」
笑いながら階段を下りてきた雪華に、キャンベルからもらった書類を手渡す。
笑顔が、本来の意味するものと違う種類の、獰猛なものへ変化してしまった。
無理もない。
彩絲と真っ当な三人の負担はそれだけ大きかったのだから。
ノワールが気分がすっきりするお茶を、ランディーニが気分が和らぐお茶を出すべきだと、揉めている間に、セシリア、フェリシア、ネルもきちんと着替えをすませて下りてきた。
「おはようございます、主様。彩絲様たちは戻りましたでしょうか?」
奴隷とは思えぬほどに艶やかで美しい黒髪を、緩く纏めたフェリシアが深々と腰を折る。
「おはようございます、主様。三人ともきちんと勤め上げられましたでしょうか?」
「おはようございます、主様。姉も、妹ちゃんたちも大丈夫だよ、きっと! というか、もう戻ったのですか?」
不安そうなネルを優しく宥めるセシリア。
クレアがあんなことをしでかしたなんて、想像もしていないようだ。
やはりセシリアにとって、クレアは良い姉だったのだろう。
これから告げなければいけない残酷な結果に、胸がきしきしと軋む。
「ええ、戻っておりますよ。主様、よろしゅうございますか?」
「……ええ、見せてあげて?」
確認されるので、私は雪華に目配せをする。
私の口から言うよりは衝撃が軽いと思ったのか、私の負担を慮ったのか。
ノワールの場合、後者で間違いなさそうだ。
フェリシアを中心にして仲良く書類を覗き込んだ三人の表情が、徐々に暗くなってゆく。
セシリアの驚愕が一番酷かった。
「姉さん……確かに前から、男性に頼りがちなところがあった気がしていたけど、これは……やっぱり私が頼りなかったせいだわ!」
「……気がつかなかった。ネラがネマとネイに、こんなにも迷惑をかけていたなんて……私は姉失格だわ!」
「二人とも気負いすぎだ。姉妹だからどうしたって責任を感じてしまうんだろうが、結局本人の考えと行動は、本人しか責任が取れぬものだぞ?」
フェリシアの言葉は、二人の耳にきちんと届いたようだ。
それだけの信頼関係を得られていたのは異例といってもいいかもしれない。
心の底で、本人たちも知らぬ奥深いところで、背負わなくてもいい重荷を、擲《なげう》ってしまいたかったのだとしても。
「そういうことじゃ。主、妾にも書類を」
「テーブルの上に置いてあるのがそうよ」
「うむ」
彩絲が書類を読み込んでいる。
説明の必要がないほど完璧な書類だと太鼓判を押した。
私はノワールに、全員へ飲み物を出す指示をすると、小さく息を吸い込んだ。
ネリにしたのと同じ話を、クレアとネラにもしなければならない。
恐らくネリと同じ結果になるだろうと思いつつも、心の中で僅かな希望を抱きながら、私は新たに注がれたロイヤルミルクティーを口に含んだ。
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