洋子が砂時計を最大限に遡行させた瞬間、彼女は既知の物理的世界から切り離された。
空間と時間の概念は消え、存在の座標はすべて流動的になった。
その場所には上下も前後もなく、距離という概念すら意味を失っていた。
光も音もなく、唯一存在しているのは無数の青い粒子である。
粒子はそれぞれ、過去の出来事の断片を内包していた。
倒れたコーヒー、笑う洋子の顔、机の上の書きかけのノート——
瞬間の情報が、時間的順序とは無関係に浮かんでいる。
その中で洋子は、観測する者としてではなく、干渉者として存在していた。
手を伸ばせば、粒子の流れに触れ、世界の局所的現象を書き換えることができる。
この空間に干渉する者は限られている。
存在の中心に介入できる者のみが、記録層の粒子に影響を及ぼす。
洋子は意識の集中により、特定の粒子を選択し、消失した同僚の存在を再生しようと試みた。
しかし、その行為に伴い、別の記録が上書きされ、別の誰かの存在が薄れる。
これは観測と干渉の基本法則であり、この世界における必然的現象である。
青い粒子は砂時計の砂と同質である。
それらは、物理的時間に沿った過去ではなく、記録層に蓄積されたすべての観測情報を象徴する。
使用するたびに粒子が移動し、世界の局所的な状態が書き換えられる。
砂時計の容量は有限であり、粒子が尽きれば、現実への干渉は停止する。
つまり、この層での力は消耗する性質を持つ。
存在する粒子は過去の連続的時間を保持しない。
それぞれは独立した瞬間であり、観測者の意思によって連結され、世界の秩序として認知される。
外界の出来事は再生され、同時に変化する。
洋子が一粒を操作すれば、複数の因果が微細に変化し、記録層内の他の粒子が連動する。
これが、時間遡行の副作用であり、観測者の選択が他者に不可避的な影響を与える構造である。
この空間では、洋子の意識もまた記録の一部として同化していた。
自身の存在は、観測対象ではなく、層の中に漂う粒子の連鎖に含まれる。
意識が粒子に重なり、干渉と再生の過程が可視化される。
その結果、消えた同僚の断片や、修正された世界の痕跡が一目で識別可能となる。
層の構造は階層的ではなく、多層の情報が球状に浮遊している。
任意の粒子を選ぶと、過去の瞬間が現実のように再生され、しかし別の層の粒子は静止する。
洋子は理解した。
時間を戻すとは、単に流れを逆行させるのではなく、観測者の意思によって記録が再構築される過程であると。
粒子の中には、彼女が砂時計を手に入れる前の世界の断片も存在する。
青の粒子は、彼らの収集した世界の記録断片であり、観測されない場合は層内に保存される。
失われた存在や、上書きされた現実もまた、消滅したわけではない。
それらは粒子の一部として保持され、他の干渉者がアクセス可能な状態で存在する。
砂時計の残量は少ない。
再び遡行を行えば、さらに多くの粒子が消費され、現実への干渉は加速する。
しかし、残量を使い切ることで、洋子は一度完全に世界の状態を巻き戻すことができる。
その結果、彼女は再び外界に戻ると、微妙に異なる現在が再構築される。
この空間において、観測者は選択の主体であると同時に、犠牲の起点でもある。
誰かを取り戻すことは、別の誰かの記録の薄化を伴い、不可逆的な現象を生む。
干渉者の行動は、層全体の均衡を微細に揺るがす。
青の粒子はその証拠であり、観測の痕跡として光を帯びる。
層の中では時間も物理法則も相対化される。
外界の物理現象はここにおける再生に過ぎず、粒子が集まる限り無限に観測可能である。
洋子の存在は、この世界における観測行為の中心であり、彼女が選ぶ粒子によって、外界の現実が再構築される。
それは、観測者の意思が世界を形作るという究極的事実の証左である。
無数の青い粒子の中、洋子は一つの粒子を選んだ。
「砂時計を受け取る前夜」の断片である。
粒子の中には、まだ再構築されていない微細な差異が残る。
それは、彼女が再び現実に戻るとき、微妙に異なる“現在”を生む要素であった。
彼女がその粒子に意識を重ねた瞬間、世界は吸い込まれるように再配置された。
外界に戻る道筋は既に形成され、青の粒子は淡く光を残して層に沈む。
観測者の意思が、全ての記録層に影響を及ぼすことを示す最後の現象だった。
この瞬間、記録層の観察と干渉の法則は完全に証明された。
洋子は、もはや外界の時間に従属する存在ではない。
彼女は選択の結果として現実を再構築する主体であり、同時に、青の記録層に統合された存在となった。
層の中の青は、依然として静かに輝いている。
世界の断片は保存され、外界に戻った洋子の微妙に異なる“現在”を支える。
観測者の干渉が、世界を動かす。
しかし、干渉を止め、流れとして受け入れる限り、現実は安定する。
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