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1012〇〇〇〇🍀🌸❄️
風宮 むぅまろ(っ'-')╮
深い霧が立ち込める寺院の奥、静寂を切り裂くのは、軽やかな衣擦れの音と、氷のように冷ややかな男の笑い声だけだった。胡蝶しのぶは、目の前で扇を弄ぶ童磨を冷徹な眼差しで見つめていた。彼女が携えているのは、日輪刀ではなく、小さな硝子の瓶。その中には、彼女自身の体内から排泄された「月の血」が満たされている。
「おやおや、しのぶちゃん。またそれを届けてくれるのかい? 妙な匂いがするけれど、君の体の一部だと思うと、なんだかワクワクするね」
童磨は無邪気な子供のような笑みを浮かべ、差し出された瓶を受け取った。彼はそれを一気に飲み干す。人喰いの鬼にとって、人間の血肉は何よりの栄養であり、快楽だ。だが、この血に含まれているのは、滋養だけではなかった。
しのぶは、自らの体を実験台にしていた。藤の花の毒を数年にわたって摂取し、全身の細胞、血液、そして排泄されるあらゆる体液にいたるまで、鬼を殺すための猛毒を浸透させていたのだ。特に、周期的に体外へ排出されるこの血には、凝縮された毒の成分と、しのぶの執念が混ざり合っていた。
「助けて、くれるんだよね? これを飲めば、今夜は誰も喰べないと約束したはずです」
しのぶの声は、氷の表面を撫でるように静かだった。童磨は唇を舐め、満足げに頷く。
「もちろんさ。僕は嘘をつかない。君がこうして定期的に『捧げ物』をくれる間は、この界隈の信者たちには手を出さないよ。君の血は、普通のものよりずっと刺激的で、なんだか胸が焼けるようだ」
そう言って笑う童磨の指先が、わずかに震えていることに彼はまだ気づいていない。
数ヶ月が過ぎた。しのぶは欠かすことなく、自らの血を童磨に与え続けた。それは救済のための儀式であり、同時に緩やかな処刑でもあった。
童磨の体に異変が起き始めたのは、半年が過ぎた頃だった。彼の自慢の再生能力が、目に見えて衰えていた。切り傷一つ治るのに時間がかかり、冷気を作り出す血鬼術のキレが鈍くなっている。
「ねえ、しのぶちゃん……最近、体が熱いんだ。鬼である僕が、熱を出すなんておかしいと思わないかい?」
童磨は力なく笑い、いつものように血を飲もうとしたが、その手が激しく痙攣して瓶を取り落とした。赤い液体が畳に広がる。
「それは、毒があなたの核に届いた証拠です」
しのぶは初めて、仮面のような微笑みを崩した。その瞳には、燃えるような憎悪と、目的を完遂しようとする覚悟が宿っている。
「あなたが美味しいと笑って飲んでいたのは、私の命を削って精製した、あなた専用の致死毒。細胞の一つ一つに、私の呪いが染み渡るように計算して飲ませていたのです」
童磨の顔から余裕が消えた。彼は喉を掻きむしり、内側から体を焼き焦がすような激痛に悶え苦しむ。彼の体は内側から崩壊を始め、美しい容姿は泥のように溶け出していく。
「あは……すごいな、しのぶちゃん。人助けのために自分を毒に浸して、挙句にそんなものまで差し出すなんて……。君の愛は、本当に重くて……痛いよ」
最期まで感情の欠落した言葉を吐きながら、童磨は塵となって消えていった。
静まり返った寺院の中で、しのぶは一人、空になった瓶を見つめていた。人助けのための代償は、彼女の体をひどく蝕んでいたが、その表情には、朝霧が晴れたような清々しさが漂っていた。