官営市場は順調に機能し始め、江戸を中心に経済が活性化していく兆しが明らかになってきた。だが僕にとっての本当の挑戦はここからだ。
市場の運用開始からひと月が過ぎたある日。
「吉田九郎兵衛殿、お願いがあります」
徳川家から使者がやって来て、緊急会議への出席を求められた。理由も告げられず、慌ただしく江戸城へ赴くことに。
「御用件はなんでしょうか」
待ち受けていたのは家康と秀忠親子だった。二人とも厳しい表情をしている。嫌な予感が頭をよぎった。
「九郎よ。突然呼び立ててすまん。実は今後の政務について相談したいことがある」
家康の口ぶりから一大事であることが伺える。僕は深く一礼した。
「何なりと」
「実は……年齢のせいもあり、頻繁に床に臥せるようになってな。このままでは国の舵取りに支障が出るかもしれん」
衝撃の告白だ。まだ七十歳を超えたばかりと思われる家康は、確かに以前よりも痩せ衰えて見える。
「そこでだ。九郎兵衛。そなたには儂の右腕となって江戸幕府の基盤固めを担って欲しい」
「私が……ですか!?」
突然の申し出に驚愕した。歴史的事実としてこの時点では家康自身が幕閣を掌握していたはずだ。しかも自分みたいな平民上がりが、政治に関与できるはずがない。
「無論強制はせぬ。だが儂はそなたの才覚を高く評価しておる」
その瞳は真剣そのものだった。続いて秀忠も口を開く。
「正直に申せば私も同意見だ。今の九郎兵衛の功績を考えれば当然だと……」
驚いたことに、敵視が嘘のように消えていた。むしろ敬意すら感じられる態度に戸惑うばかり。
「もし受け入れてくれるならば特別な地位を与えようと思う。どうだ? 考え直してくれんか?」
懇願とも取れる言葉に胸が締め付けられる。断れるはずもなかった。
「畏まりました。謹んでお引き受けいたします」
僕は頭を下げて、受け入れる。
こうして僕は異例中の異例として『双頭の将軍』となった。表向きは秀忠が将軍職に就くが、実務面は僕が牛耳ることになる。
この決定には幕府内外からの批判も多かったけれど、「吉田九郎兵衛こそ徳川幕府百年の礎となる者じゃ」という家康の鶴の一声で反対意見は封殺された。
日々の業務は過酷だ。朝早くから夜遅くまで政策立案に追われながらも、全国各地を飛び回って市場整備や交通網拡充を推し進めていく。時には地方大名との交渉に赴き、時には農民代表との意見調整を行う日々。
そんな忙しさのなかでも、唯一安らげる時間が生まれていた。
「九郎さん!今日も疲れているのでしょう?少し休憩しませんか?」
商家の娘であった千代という女性である。彼女とはかつて市場開設時に知り合い、いつしか婚約に至っていた。素朴ながら芯が強く、美しい女性で心強い伴侶となってくれている。
「そうだな……少し横になるとしようか」
庭園で並んで茶菓子を楽しんでいると、彼女がそっと手を握ってくる。
「これからも一緒に乗り越えて行きましょうね。どんな困難があっても」
その微笑みに励まされながら、僕は改めて誓った。
歴史書には記されないけれど、この徳川時代初期において僕が果たすべき役割はまだまだ大きいことを自覚している。秀忠や重臣たちのサポートを受けつつ、江戸経済改革を完遂させる責務が自分にあると思い定めていた。
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