私の時間は、確かにその瞬間に止まっていた。
ナイフの一本一本を確実に留まらせる。
私も、神経一本一本が動いていない感覚があった。
emptyの能力で時間停止が可能だと言うことは分かっていたが、これほどまでに強力で、かつ精密な停止とは思っていなかった。
それもそのはず、彼は上によって戦闘用に改造された、いわば戦闘狂ロボット。
図体だけは人間の体でいるくせに、中身はすっかりAIだ。
ただの黄落人が勝てるはずなんてない。
……でも、私にも勝算はある。
私が黄落人であるということは、実はあまり明かしていない。
霧斗くんによれば、私の情報は上に特段重要視されていないらしく、emptyにまで知られていないかもしれない。
変身するメカニズムは分かっていないが、自分としては神経を介さずに変身しているような感覚だ。
衝動的に、かつ体が追いつかないようなスピードで変身している。
事前に脳で変身の伝令を行っていたら、時間停止を無視して変身し、攻撃を加えることも出来るかもしれない。
例え黄落人であるとバレていても、その全ての変身を知っていることはないだろう。
私には、色々な私がいる。
斬人の花芽に、卯人としての花芽に、音端みたいに他人に変身することだってできる。
そう考えれば、私という存在が私ではない存在に変わる可能性なんて無限大なんだ。
相手が上に作られたAIであっても。
おそらく、時間停止能力を使った後、彼は私に歩み寄って攻撃してくる。
まさか私が動くとは思っていないだろうから、油断して襲い掛かってくる。
そこを撃てれば。
ほんの一瞬でいいから、相手の隙を素早く突けるあの種族に。
「う……」
耳元でうめき声が聞こえて、もしやと思って辺りを見回す。
私のすぐそばまで接近していたemptyは、腹をナイフに貫かれ、ほどなくして倒れこんだ。
卯人に変身するのが間に合ったということか。
何故間に合ったのだろう。思えば、相当不可能なことを思案していたように感じる。
いや、今はそんなことどうでもいい。
私が動くに十分な事実がそこにはあるから。
私は、emptyに勝利した。
小さくガッツポーズをした私は、その数秒後に自分の体の惨状に気付く。
私の体もまた、emptyに貫かれていた。
おかしい。
私は確実にemptyを殺した。
腹を一瞬で突かれたemptyは、今も私の足元に転がっている。
しかし、それと同時に私も痛みを感じている。
出血している。負傷している。ダメージを負っている。
勝ったはずなのに、負けている。
へたりとしりもちをついた私は、やっと今の状況に気付いた。
相打ちだ。
私がemptyを攻撃したのと同じ時に、私もemptyから攻撃を受けていた。
私達は引き分けだ。この戦いに、勝者などいなかった。
いかにも恨めしそうな表情をしたemptyが意識を失ってから、私には少し時間があった。
その間、私は彼とは対照的に達成感に満ち溢れていた。
私の最後の目的は、emptyを止めることだったからだ。
私の大好きな人に言われた、最も大事な目的。
その目的を達成できたのなら、命なんてどうでもいいだろう。
それに、私は彼の事が好きでも、彼はきっと私なんて眼中にない。
だって、彼は本当に忙しいから。
逆に、私との恋慕にうつつを抜かされては困る。
私としても、彼の目的が達成されるなら本望だし、そのためなら駒として扱われても構わない。
むしろ、駒として扱われても垣間見えるそのやさしさに惚れたのだから。
*
私の本当の能力の話はしたと思うが、代償の話はしてこなかったと思う。
私の代償は、「過去を覗いてしまう」ことだった。
それのどれが代償なのかと言えば、その膨大な情報量にある。
神化人育成プロジェクトは、今現在194回目を迎えた。
時間としては90年が経過したと言える。
それほどの膨大な情報量を大量に持ち込まれる。
それもたった1時間で。
だから、私はその全てを覚えていることはできなかった。
逆に言えば、一部の印象に残った記憶は覚えていることができた。
その一部の記憶というのが、私が大好きな人の記憶だ。
家族に、友達に、青春に。全てを奪われた彼は復讐を決意する。
しかし、加害者はあの輝煌グループ。私達で言う、上。
親の圧力に負け、彼はネームドに繰り出される。
被害者でありながら加害者のグループに属さないといけない。
まるで映画のワンシーンかのように、彼の人生は悲劇そのものだった。
その悲劇を見て、何を感じたのか分からないが、私は何故か彼に惹かれていた。
多分、そんな悲劇を感じさせないほど彼は明るく、何の問題もないように表面上は取り繕っている、そのギャップにやられたのだろう。
ネームドの中でも大して交友関係を持ってこなかった私だが、その代償のおかげで初めて愛憎に入り込むことができた。
代償の話をダシに使い、私は彼に接触した。
最初は、ただ単に少し気になっているだけだと信じて、少しでも役に立ちたいだけだと彼に伝えた。
彼も最初は信頼してくれなかったけれど、次第に信頼してくれるようになり、ついに彼の計画を教えてくれた。
私は、彼の計画を聞いて驚いた。
彼、霧斗くんの計画はいたってシンプルだった。
まず、星斗くんをなるべく強くして、その間に神化香を手に入れる。
神化香が手に入ったら、切斗くんを攻撃してきそうなambitionを抑えて、切斗くんを黄楽天から解放する。
そして、ここからが最重要ポイントなのだが、
彼の体質……超霊媒体質を利用してbloodの神器になる。
超霊媒体質とは、通常の霊媒体質よりも神化人や霊を引き付ける力が大きい体質。
霊媒体質の人は神化人の同意がないと神器になれなかったが、超霊媒体質だと同意なしで無理やり神器になることができる。
なので、例えbloodから同意されなくても確定で神器になれると言うのだ。
それにより霊媒体質でない星斗くんにもbloodが見えるようになる。
そして、bloodを星斗君を中心とした生存メンバーで倒してもらう。
黄楽天が神器を獲得していないので、黄楽天の力は使えない。
そのため、飛行船は墜落し、bloodもいないので妨害を受けることなく飛行船から脱出できる。
……霧斗くん以外は。そういう計画だった。
私は、その計画を聞いたとき、本気で止めたいと思った。
なんせ、最愛の人が死ぬなんてやめてほしかったからだ。
それに、神器になったらあとは悲惨そのもの。
自身の臓器を大量に吐き出して、血反吐を吐いていかないといけない。
それを戦いながら経験する。あまりにもひどいじゃないか。
何度か口論を重ねた。お互いに気持ちがエスカレートして、手が出てしまうこともあった。
私は何度も「みんなの敵になってほしくない」と伝えたはずだ。
私に出来ることは全て行った。
でも。でも、彼には届かなかった。
ある日、霧斗くんに呼び出されて、私は彼の部屋に来ていた。
好きな人の部屋に入れるなんてとてもうれしかったが、それどころではないほどのピリピリとした雰囲気があたりを満たしていた。
そんな雰囲気の中、彼は私の目を見てこう言った。
「やっぱり計画はやめることにした」と。
その言葉を待っていたと言わんばかりに、私は体を乗り出したが、はっとして体を元の位置に戻した。
彼の目は、明らかに光を映していなかった。
その後、彼は計画をやめることにした経緯などを話し始めたが、私にはまったく内容が入ってこなかった。
視線を私から明らかに逸らして、抑揚のない声で”言葉を読む”ものだから、流石の私も察してしまった。
彼は、私に諦めてもらうためにここにいるのだ。
彼は計画を進める気でいる。
私は止めようとした。
いつもみたいに喧嘩にしようとした。
思いを話そうとした。
でも、なぜかこの日だけは、
どうしても止められなかった。
……どうしてだろう。
いつもは如何ってことなく言えるのに。
「あなたには死んでほしくない」「みんなの敵になんてなっちゃだめ」
好きな人が目の前で自殺宣言してるような物なのに。
私はどうして止められないの?
彼の計画も、私の瞳から零れ落ちる涙も。
「おい、どうしてお前が泣いてんだ。自分の部屋で女の子泣かせちゃったとか、文春砲ものなんですけど」
「……だって……」
「だって?」
「……死んでほしくなかったの……!」
私は、彼の元に駆け寄って、思いっきり抱き着いた。
彼は、少し体勢を崩したが、そっと私の体に手をまわしてくれた。
この包み込むようなやさしさに、私は惚れたんだろうな。
「ずっと貴方の幸せを願ってた……!貴方が笑顔でいれるならどんな結末も受け入れるって、信じてた!でも、でも……こんなの貴方にとってのハッピーエンドじゃない……!!バッドエンドだ!!」
そこまで言い切って、私は子供のように泣き出した。
彼の腕の力が強くなった。一瞬息苦しさを覚えたが、それもすぐになくなった。
「俺だって……死にたくなんかないよ。本当は兄弟で……みんなで脱出したかった」
「じゃあ」
「でも、ダメだって気づいたんだよ、俺は。お前だって、俺の記憶を見たじゃないか。何回も頑張って、思いつく限りいろんな方法を試したよ。でも結果はどうだった?全部似たり寄ったりの、誰も幸せにならない結末だっただろ?」
「でも、でも私は……!」
「俺は、誰も不幸じゃないが誰も幸せにならない結末より、誰かが不幸な代わりに誰かが幸せな結末のがよっぽどましだと思うけどな。お前だって、そう思うだろ」
「……思うけど、でもそれで貴方が不幸になる様な事ないじゃん!君は。君は十分不幸になりすぎてる!!」
「もういい。もういいんだ、花芽。全部、俺は決めた。決めちまった。もうこれ以上……俺が不幸なことを思い出させないでくれ」
そこまで言うと、彼は私の体に顔をうずめ、しばらくして私を解放した。
私は、直感的に、これが彼に出会える最後の機会だと感じた。
私は立ち上がった。
彼のわがままにつきあうのだから、私の我儘に付き合ってくれ。
彼の背後の窓に映るその球体に、私は人質になってもらった。
「月が……綺麗だね、霧斗くん」
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