【神焔よ、焼き尽くせ。《オーバーフレア》】が溢す光を見て、女神は勝利を確信した。神の焔は奴隷たちに殺到し、焼き尽くすだろう。
ゼゲルの虫が浮遊城に接近するが、神の焔に近づいては燃えていた。
人も虫も、神の前では塵に等しい。
「ひぃ! おい、アーカード! 何か、何かないのか!!」
ゼゲルの言葉にかぶせるように、アーカードが奴隷魔法を唱える。
「【第三奴隷魔法……起動。】」
この後に及んで第三奴隷魔法?
女神はおかしくて腹がよじれそうになった。
今更、誰を奴隷にしたところで形勢は変わらない。
宙に浮く浮遊城には何人も届かず、焔はすべてを焼き尽くす。
いままで殺さずにいてやったのは単なる気まぐれでしかないことになぜ気づかないのか。
人間とはどうしようもなく愚かなものですね。
「【対象、パンドラのピトス。】」
強大な力に溺れ、悦に入る女神が凍り付いた。
そんな、そんなことはありえない。
神を従える対神奴隷魔法の発動には膨大な魔力が必要になるし、至近距離でなければ効果が無い。だからこんなにも距離をとっているのに。
「【対神奴隷契約、再承認。】」
「【聖痕よ来たれ(スティグマ)!】」
ズズ、ズズズズ。と。
女神の顔に茨の奴隷刻印が刻まれる。
それは隷属の証にして奴隷の印、数多の地獄を生み出した従属の魔法。
女神の頭を支配したのは拒絶だった。
こんなことはありえない、神である私が人間如きの奴隷になるなど、何かの間違いだ。
まさか。
女神の脳裏によぎるのは、はじまりの記憶。
どこまでも続く白い空間で、アーカードにチート能力を与えた日。
そうだ、確かにあの日。アーカードは私に奴隷魔法をかけようとした。
まさか、そんなことが。
殺そう、すぐにアーカードを殺そう。
【神焔よ、焼き尽くせ。《オーバーフレア》】で焼き尽くそう。
何なら帝国も焼こう、周囲にある村も町も国も、全部焼き払おう。
私にこんな思いをさせた罰だ。
殺して、殺して、殺し尽くせば。
人は皆、その罪を思い知るはずだ。
女神は生まれた時から、膨大な魔力と数多の魔法、果てなき寿命を持っていた。
誰よりも何よりも強いが為に、都合が悪いことが起こるとすぐに力でねじ伏せた。
諫めるものは誰も居ない。
縛るのは遙か昔に定められたいくつかのルールだけ。
それも数千年に一度、あるかないかのイレギュラーだ。
女神は王の苦悩も労役の苦労もなく、ただ自由だった。
その自由が、女神からあらゆる成長を奪った。
女神が人間というものを正しく認識していたら。
チートを授ける白い部屋で、アーカードが行使した第十三の奴隷魔法。【対神用強制隷属権《アンチオーバー・ドミニクル》】の事を忘れはしなかっただろう。
その詠唱が今もなお保留状態にあり、自分が奴隷化待機状態にあると気づければ。数十年の時をかけて解呪するすべもあっただろう。
だが、もう遅い。
何もかもが遅かった。
人を見抜けぬ女神に商人の抜け目のなさを見抜くなど、土台無理だったのだ。
『ああ、憎い憎い憎い! 人間の、人間の分際でこの私に刃向かうなど!! 皆殺しだ!! この世界に人など不要! 海を干上がらせ、森を灰に変えてやる! 山を砕き、空を落としてやる! この私をど、奴隷にするなど!! 汚らわしい、汚らわしい、汚らわしいぃぃ!!』
「奴隷の分際でぎゃあぎゃあと。やかましい奴だ」
【痛みを《ペイネス》。】
痛みの呪文。
第一奴隷魔法が女神に激痛を与え、【神焔よ、焼き尽くせ。《オーバーフレア》】が弾けて消える。
その痛みは内臓をすり潰されるようとも、血液を沸騰させたようとも言われ、対象の精神を削ぐ。唱える度に、削ぎ続ける。
『痛っ、痛いっ! やめ、やめなさい! なぜ、なぜこんなことを! 私はただ目障りだっただけなのに!!』
会話するだけ時間の無駄だ。
女神の訴えを無視して、アーカードは続ける。
「ゼゲル、お前の虫が頼りだ。あの城へありったけ送り込め。あの邪神を許すな」
ゼゲルは目を輝かせる。
そうだ、みんなあいつのせいだ!
いけ! みんな!!
膨大な虫が浮遊城に入りこみ、空間を埋め尽くす。
知性など必要ない、ただすべてしらみつぶし探すだけ。
女神の潜む白い空間を探り当てた虫たちが、柔肌にかじりつく。
多重結界を破壊し、空間に穴を開けたのは穿孔虫。
火を噴く火炎虫に、目を潰す光虫、仲間を呼び続ける呼虫。魔力を奪う吸魂虫。数えきれぬほどの虫が複雑に役割を入れ替えながら、女神に襲いかかる。
「虫!? なぜ、虫がこんなに!」
魔法で吹き飛ばし、焼き払っても無限に湧いてくる。
地上を見ると、脳を食われた村人の死体が苗床にされていた。数多の虫が死体を食らって卵を産み、生まれてはまた死体を食らう。
「増えろ! もっと増えろ! 命よ、世にはびこれ!!」
ゼゲルが歓喜し叫ぶ度、生命が加速する。
人間は時に倫理を踏み越える。
同胞を殺し、死体を弄んでなお、正しさを叫ぶ。
破綻した精神を持つゼゲルらしい一手だった。
本来ならここまで苦戦する相手ではない。
支配の魔眼を瞳に宿せば、虫の制圧などひと睨みで済むのだ。
【セ、獣の数字《セブンス・ネイロ……》。】」
【痛みを《ペイネス》!】
アーカードの拷問呪文が女神の瞳を灼く。
「痛っ、痛いぃぃぃぃ!!」
絶え間ない激痛が、魔眼の発現を防ぎ続ける。
アーカードだけでは即座に効果範囲外へ離脱された。
ゼゲルだけではすぐに制圧されたに違いない。
だが、二人なら。
「おい、アーカード! あの潰すやつを出せ!!」
「既に指示は出した。ゼゲルよ。虫を緩めるなよ!!」
敵対し、対策を繰り返したが故に、互いの手の内は理解している。
こいつは油断のならない厄介な奴だ。という認識が、裏返しの信頼となって連携を成立させていた。
「よおし、生き残るぞ!(俺だけは)」
「ああ、生きて帰ろう!(たとえオレ以外のすべてを犠牲にしても)」
薄っぺらな綺麗事を叫びながら、しかし二人の心は完全に一致している。
((絶対こいつ途中で裏切る!))
((出し抜かれてたまるものか!!))
二人が持つのは強固な信頼。
強大な魔力を持ち数多の魔法を保有する女神が、最後まで手にできなかったものだ。
ま、まだだ。
まだ落ちてはいない。
激痛に耐え、まとわりつく虫を払いながら、浮遊城を上昇させるが無駄だった。
「陛下、位置情報来ました!」
「【跪け、頭を垂れよ。《オロ・スプルーグ》】」
宮殿に座す皇帝と宮廷魔道士が重力魔法を展開、浮遊城が重力に引かれていく。
「おのれ! この私が、この私が、人間如きにぃぃ!!」
カピリスの丘に轟音が響く。
こうして女神は墜落し、第三ルナックス戦争は終結した。
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