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公爵家の裏手には、大きな庭園が広がっている。
シャンフレックとアルージエは庭園を歩きながら話していた。
「そこの花畑であなたが倒れていたのよね」
「そうらしい。どうして花畑の中にいたのか、皆目見当もつかないが」
警備体制は何度もチェックさせた。
不正に人が入れそうな余地はなかったが……何者かがアルージエをここに運んだのだろうか?
「それで、どうして庭に来たんだ?」
「作物の管理よ。寒冷地に強い新種の小麦を開発してるの」
フェアシュヴィンデ公爵領自体は、そこまで寒い地域ではない。
ただし主要な交易相手である北方の土地に提供するものとして、趣味の一環で品種改良を行っていた。もしも改良が成功すれば、莫大な富が舞い込むことになる。
「ほう……シャンフレックは博識だな。貴族としての作法や知識のみならず、農業知識にアパレル知識、物流の管理……非常に能力が高い。欠点が見当たらない」
「欠点はできるだけ潰すように教育されてきたから。王太子妃になるためにね。今はその努力も無駄になったけど」
「……すまない」
「どうしてアルージエが謝るのよ? 私は婚約破棄されたことを後悔してないわ」
アルージエは花畑を眺めながら、どこか憂いを帯びた表情を浮かべた。
気まずい沈黙の中、しばらく二人は進んで。
ふと、彼は消え入るような声で呟く。
「僕が貴族だったらな……」
貴族だったら、何だというのか。
彼が貴族の可能性は十分あると思われるが、商人階級かもしれない。
先の有能さを見るに、普段から数字に触れていることは間違いない。
しかしアルージエという名の貴族に覚えがないことを考えると、やはり商人階級だろうか。
「貴族だったら、なに?」
「ああ、聞こえてたか。僕が貴族だったら、きみに婚約を申し込んでいたのに」
「っ!?」
さも当然のように、アルージエは述べた。
要するに結婚したいと言っている。
貴族間では政略結婚が多い。シャンフレックがユリスと婚約を結んでいたのも、公爵家と王家の結びつきを強めるため。決して二人の間に愛はなかった。
大した後ろ盾もないユリスに、フェアシュヴィンデ公爵家が味方をしてやっていたが……彼はそれを自分の手で台無しにしたのだ。
だが、アルージエの言葉はやや意味が異なる。
政略的な目論見なしに、率直に愛情を伝えられた。
記憶喪失の彼がシャンフレックを求めるのは、ただ彼女の本質に惹かれているから。
アルージエは前からシャンフレックの顔を覗き込む。
すさまじく破壊力の高い美貌に、シャンフレックは俯いてしまう。
「──冗談だ。恥ずかしがる反応を見たかっただけ」
冗談だと言うわりに、彼の表情は真剣そのものだった。
じっと見つめられてシャンフレックは顔を逸らす。
「ふざけないで……!」
「でも、僕が貴族だったら本当に婚約を申し込んでいたと思う。きみが新しい婚約者を見つけてしまうことが残念でならない」
「私は……ええと。しばらくは、その……婚約は蹴ると思う」
シャンフレックがそう言うと、アルージエはパッと輝かしい笑顔を見せた。
「では、僕が記憶を取り戻してシャンフレックと釣り合う身分だったのなら……きみに婚約を申し込もう!」
「いや。さすがにあなたが貴族だとしたら、婚約者くらいいるでしょ」
「あー……その可能性は考慮していなかったな」
記憶を取り戻したら、元々愛していた女性も思い出すだろう。
こんな美男子に婚約者がいないわけがない。
だからシャンフレックはあまり深く関係を持つべきではないと思う。
「でも、僕に婚約者なんていない気がする」
「どうして?」
「だって、僕は一途な人間だからね。たとえ記憶を失ったとしても、愛する女性がいたことくらいは覚えているはずだ。覚えてないってことは、婚約者も愛する女性もいなかったってこと」
飛躍した論理に呆れるシャンフレック。
そもそも、アルージエが記憶を失う前にどんな性格をしていたのか疑わしい。
今と正反対の性格かもしれない。
「まあ、せいぜいがんばって記憶を取り戻すことね。婚約がどうこう語るのは、それからでも遅くないわ」
記憶が戻ったらアルージエは去ってしまうのだろう。
記憶を取り戻せと言ったが、取り戻してほしくない側面もあり。
シャンフレックは複雑な心持で花畑を進んだ。