結局裸男の彼女はワンちゃんだと告白した後、岳斗が黙り込んでしまって。
先に弁当を食べ終わっていた羽理は、気まずい空気の中、ひとり手持ち無沙汰。
何事かを考えているのだろうか。
岳斗が時折小さく吐息を落としたり時折中空を見つめたりしながらも、黙々と弁当を食べている横で羽理はずっと、大葉が買ってくれた真新しい保冷機能付きランチバッグの持ち手をモジモジといじっていた。
と、保冷袋のサイドポケットに入れているスマートフォンが、未確認通知ありのランプをピカピカさせているのに気が付いて――。
(あ、そう言えば携帯、朝から全然見てなかった!)
今日は何だかバタバタしていてスマートフォンを見るのをすっかり忘れていたのを思い出した羽理だ。
ソワソワしながら通知画面を開いたら、〝裸男〟からのメッセージが一件、未読のままになっていた。
『何かあったのか?』
たった一言しか書かれていない、それを受信したのは午前九時過ぎ。
羽理は、朝一でどこかへ行って帰ってくるなり、すっごく不機嫌な顔をしてフロアに入ってきた大葉のことをふと思い出した。
確かあの時は、倍相課長とのランチのために、大葉が一生懸命作ってくれた弁当を、仁子に食べてもらおうかな?とか考えていて。
とってもとってもやましかったから、大葉と視線が合うなり思わず目をそらしてしまったのだ。
理由もなく羽理から塩対応されたことを不審に思ったのだろう。
大葉が、部長室に引っ込むなり打ち込んできたと思しきそのメッセージに、何の反応もしないまま昼休みもそろそろ終わりの時刻とか。
未読のままでの放置だから既読スルーよりはマシかも知れないけれど、それすらまるで「はい、お察しの通り何かありました!」と言っているようで落ち着かない。
メッセージアプリの画面を開いたまま(わーん、マズイよ、どうしよう!)と思っていた矢先、ブーッブーッと手の中のスマートフォンが震えて、着信を知らせてくる。
発信者通知には『裸男』と表示されていて。
羽理は心の中で声にならない悲鳴を上げた。
「あ、あの……倍相課長、すみません。電話が掛かってきたので……」
一応岳斗に断ってベンチを立つと、少し離れた場所で通話ボタンをタップする。
「……もしもし?」
言いながら恐る恐る耳に当てた携帯から、
『今頃やっとメッセージを確認したか』
少し音質の悪い音声で、不機嫌そうな大葉の声が聞こえてきた。
恐らく何かの作業をしながら、ハンズフリー通話をしているんだろう。
そのお陰で変に胸がざわつかずに済んで、ホッと胸を撫で下ろした羽理だ。
『昼休みになっても全然既読になんねぇから、帰り、気になって高速使っちまったじゃねぇか』
恨みがましい文言が続くのを聞いて、「えっ? 今日のご出張は片道二〇キロ圏内の近場でしたよね? 三〇キロ以下の場所への移動での高速代は、経費では落ちませんよ?」と、つい経理の立場でお仕事モードになってしまった羽理だ。
下道を使っても比較的交通量の少ない農道がメインの経路。それほど時間の短縮にはならないだろうに、何でわざわざ高速を使いましたかね!?と思った羽理に、『そんな事は言われなくても分かっとるわ。お前が心配させるせいで自腹切っちまっただろ?って嫌味を言ったつもりだったんだが……通じなかったか。この鈍感娘めっ』と叱られてしまった。
そんな大葉から、『一分一秒でも早く帰社して、今朝の挙動不審な態度とメッセの未読スルーについて、理由を問い詰めるつもりだから』と言外に含められた気がして、羽理は恐怖にすくみ上がる。
それを裏付けるように、もう帰社していてちょうど今し方駐車場に車を停めたばかりだと付け加えてきた大葉から、『シャワーと着替えを済ませたら内線で呼び出すから。呼ばれたらすぐ俺の部屋へ来るように。――分かりましたね? 荒木羽理さん』と、部長様モードで念押しされて。
説明出来ないことを目一杯やらかしている自覚のある羽理は、思わず「ひっ」と悲鳴を上げてしまった。
その様子に何か察したんだろう。
大葉から、『ま、やましいことがないならそんなに怯えることはないがな?』と、吐息混じりの不敵な言葉を投げ掛けられた。
***
羽理が電話を終えてベンチの方へ戻ると、岳斗も弁当を食べ終えていた。
「電話、終わった?」
聞かれて「はい」と答えたら怪訝そうに下から顔を見上げられる。
「荒木さん、何か顔色悪いけど平気?」
ベンチそばに立ったままの羽理の顔を座った状態で下からヒョコッと覗き込んできた岳斗に、羽理は「だっ、大丈夫です」と、全くもってそうは見えない態度で言ってしまって。
「心配事があるならいつでも相談に乗るからね?」
立ち上がった岳斗に、ふわりと頭を撫でられた。
「有難うございます」
岳斗にはこんな風に不意打ちで触れられても、さっきみたいに変な下心を感じさせられなければ全然平気だ。
だけど――。
(部長室に呼び出されたら私……屋久蓑部長との距離、絶対近くなっちゃうよね? うー、考えただけで心臓バクバクするんだけどぉー。――大葉は……平気なの?)
そんなことを考えながらギュッと胸のところを押さえて、羽理は小さく吐息を落とした。
***
屋久蓑大葉は社名入りの軽トラを運転して会社に戻ると、駐車場へ車を停めてドアに施錠をしながら、グーンと伸びをした。
(軽トラ、荷物が沢山載せられて便利なんだが、乗り心地が良くねぇんだよな)
リクライニング出来ないシートに、クッション性の高くないサスペンション。
最近の農道は国道や市道なんかよりよっぽど舗装が良いから、走行していてもそれほど車体が跳ねまわったりはしないけれど、それでも長いこと乗るには不向きだ。
大葉はそれほど大柄な男ではないけれど、愛車のSUV――ニチサン自動車のエキュストレイルに比べると、格段に狭いし乗り心地も悪い。
(ケツが痛ぇ)
ギシギシに固まった身体を伸ばすと、あちこちがパキパキ鳴って気持ちよかった。
この身体の疲れ、実は運転のみのせいではない。
今日の出張先でも、大葉はつい出来心から現場の作業をこなしてしまったのだ。
本来ならば売り方などをプロデュースするだけの立場にある土恵商事の人間が、農作業に手出しする必要は皆無なのだけれど、大葉は元々農業に造詣が深い方だったからほとんど無意識、「私にも手伝わせて下さい」なんてセリフを吐いてしまっていた。