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クロードに運ばれた個室。
レジーナは、部屋の隅にあった簡易ベッドに降ろされた。彼の腕から抜け出し、ベッドの端に腰掛ける。
「……エリカに診てもらったら?」
「ありがとう」よりも先に出た、「可愛くない」言葉。
クロードは「なぜ?」というように首を傾げた。ベッドの前に立ち尽くし、レジーナをジッと見下ろす。
その顔を直視できず、レジーナは顔を伏せた。
(醜いわ……)
クロードが本当にエリカの元へ行ってしまうのは嫌なくせに。
突き放すようなことを言って、彼を試している。
レジーナはため息をついた。それから、ゆっくりとクロードを見上げる。
「……フリッツが言ったこと。私がエリカを階段から突き落としたという話、あなたはどう思った?」
「レジーナは、『違う』と……」
「ええ、そう言ったわ。実際、私は突き落としていない。……だけど、証人がいるのよ? 少しは私を疑ったりしないの?」
「俺は、レジーナを信じている」
その答えを、レジーナは知っていた。
抱き上げている間、クロードは一度もレジーナを疑っていなかったから。
知っていて、彼に言わせたのだ。
レジーナの内に理不尽な怒りが込み上げる。
「どうしてっ!」
感情が溢れて泣きそうになる。口元が歪む。
「あなた、私のこと何も知らないじゃない! 会ったばかりの私のこと、どうして信じられるの!?」
「分からない。でも、レジーナを信じている。不安なら、読んでくれ」
跪いたクロードが両手を差し出した。
「触れて読め」という彼に、けれど、レジーナは首を振って拒絶する。
「違う、違うの!」
彼の言葉を疑っているわけではない。そうではなく――
「……すまない」
クロードは手を引っ込め、謝る。
レジーナを不快にさせたとでも思っているのか。
彼に謝らせたことが悔しくて、レジーナはまた首を振る。
「違う……、ごめんなさい、違うの」
何をどう言葉にすればいいのか。もどかしい思い。
クロードにはちゃんと分かってほしい。だけど、それはレジーナの弱音、我儘。知られるのが恐い。
相反する思い。
高ぶった感情に、言うつもりのなかった願いが零れだす。
「あなたには、私の話を聞いてもらいたかった。私を知って欲しかったの……」
「レジーナ……」
「知った上で、『私なら信じられる』。『私ならそんなことしない』って思ってもらいたかった。……無条件の『信じる』じゃなくて」
口にした途端、レジーナは自分の言葉を後悔した。
そんなことを、なぜ出会ったばかりのクロードに求めるのか。彼にだってそんな義理はない。
レジーナは、伏せた顔を両手で覆った。
「ごめんなさい、意味のわからないこと言って。……今のは忘れて」
「レジーナ、すまない……」
「謝らないで、悪いのは私だから。……クロードが信じてくれたこと、嬉しかった」
「ありがとう」と呟いたレジーナの手が、クロードの手によって顔から離される。
レジーナは、跪いたままのクロードから視線を逸らした。
ただ、繋いだ手から、彼の後悔が伝わってくる。
――自分もリオネル達と同じではないか。
――レジーナの話を聞かない。聞こうともしない彼らと同じ真似をしてしまった……
レジーナはクロードを見た。真摯な碧の瞳。
「あなたはリオネルと違う」
そう伝えようとした時、レジーナの手を握るクロードの力が強まった。
「レジーナ、聞かせて欲しい。あなたたちに何があったのか。……何があなたをそんなに苦しめるのか」
クロードの言葉に導かれ、レジーナの心は過去に戻る。
あの日、エリカがレジーナの目の前で死にかけた日に。
***
あの日――
階段の踊り場には、レジーナとエリカ、そしてシリルの三人がいた。
階段を降りる途中だったレジーナは、シリルを連れたエリカに呼び止められたのだ。
「……レジーナ様、私、今回のことだけはどうしても許せません」
「いきなりなんの話?」
呼び止められた直後の非難。
理由も分からず、レジーナは不快を覚えた。
そこに、彼女が自身の右手首を掲げてみせた。
「このブレスレットです」
細い銀鎖の装飾品。
煌めく光に、レジーナは言いようのない不安を覚えた。
「……それ、まだ持っていたの?」
ここ暫く、エリカは、「シリルからもらった」というそのブレスレットを外していた。
レジーナが再三「外すように」と忠告し、漸く受け入れたのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。
レジーナは忌々しい思いでブレスレットを睨みつけた。
エリカが、レジーナの視線から守るように、ブレスレットを左手で覆い隠す。
「……また、私から奪うおつもりですか?」
「奪う?」
「中庭の噴水に捨てられていました。……もう二度と、このようなことはなさらないで下さい」
そこで漸く、レジーナは彼女が何を言いたいのかを理解した。彼女は、ブレスレットを捨てたのがレジーナだと言っているのだ。
それが最初の「許せません」に繋がるのかと、レジーナは呆れのため息をついた。
「私ではないわ」
「……お言葉ですが、レジーナ様はずっとこのブレスレットを外すようにと仰っていましたよね。その状況で盗られたのですよ?」
「確かに言ったわね。けれど、だからと言って盗んだりしないわ」
「私が外さなかったのが気に入らなかったのでしょう?」
レジーナは鼻白む。
気に入らなかったのではない。恐ろしかったのだ。
レジーナはチラリと、彼女の背後に立つシリルを見る。
柔和な笑み。出しゃばることなく、ただの付き添いとして佇む。
レジーナは彼からそっと視線を外した。
過去に一度。
レジーナは、偶然、シリルの心を読んだことがある。
彼の内には――その外見からは想像できない――ドロドロとした世界が広がっていた。
暗く、重く、寂しい。
そんな世界にあって、ただ一つの光。「エリカ」という名の光を、シリルは愛していた。彼女は、彼にとっての唯一であり、全てだった。
レジーナは、彼の世界が恐ろしくてたまらない。
だから、エリカに忠告した。「好きでもない相手に気を持たせるな」と。
「……あなたはリオネルを愛しているのでしょう? 他の男性からの贈り物を身に着けるべきではないわ」
「前にもいいましたが、シリルくんは大切な友人です。恋愛感情はありません」
エリカの後ろで、シリルが微笑んだまま頷く。
本気で同意しているように見える。
それがまた、レジーナの恐怖を煽った。
私は彼の想いを知っている――
けれど、レジーナは決めていた。
例え――避けられぬ事情で――誰かの心を読んでも、口外は決してしないと。
だから、レジーナはエリカに背を向けた。放っておく。
話の通じない彼女相手には、そうするのが一番楽だから。
いつもと同じ決着。過去何度も繰り返してきたこと。
「レジーナ様! 話はまだ終わっておりません!」
「……離して」
だが、その日はいつもと違った。
エリカがレジーナを引き留めたのだ。
階段の手前。
レジーナは進路を塞がれ、エリカに手首を掴まれた。
「離しません! どうか、私の話を最後まで聞いてください」
「離しなさい……!」
不意の接触。
レジーナはエリカの手を振り払おうとした。
彼女の声を聞きたくない。
ところが、更に横から伸びてきた男の手に腕を掴まれ、ギョッとする。
「まあまあ、エリカもレジーナ様も落ち着いて」
割って入ったのはシリルだった。
仲裁のため二人の間に立ち、両者の腕を掴む。
シリルがレジーナに微笑んだ。
レジーナは恐慌状態に陥る。
「離して!」
かつて見た光景が脳裏をよぎる。
足元から這い上がってくる恐怖に、レジーナの読心の制御が緩んだ。
途端、流れ込んできたのは、シリルの歓喜の声。
――やっと、やっとだ!
暗い暗い闇の中。望み続けた願いが漸く叶う。
彼の心は喜びに打ち震えていた。
呼応するかのように、エリカのブレスレットが淡い光を放ち始める。
「いや! なにこれ、離してっ!」
レジーナは恐怖を抑えきれなくなった。なりふり構わず逃げようとする。エリカに掴まれていた自分の腕を思いきり引き寄せた。
そう、引き寄せたのだ。
なのに――
「キャァアアアアアッ!」
「エリカッ!?」
なのに、エリカの身体は階段の方――腕を引いたのとは逆――に傾いていく。
見開かれた黒の瞳。
レジーナは咄嗟に手を伸ばした。しかし、伸ばした手は空を掴む。
エリカの身体が階段を転げ落ちていく――
レジーナは今でも忘れられなかった。
目の前で、人の身体が物のように、段差に打ち付けられながら落ちていく光景。
途中、シリルが風魔法でエリカの転落を止めなければ、どうなっていたか。
事故の後、激昂したリオネルに散々責められた。
打ち所が悪ければ死んでいた。治癒魔法でもなかなか痛みが消えない。今もなお後遺症に苦しんでいると。
だが、どれだけ責められようと、レジーナにとってあれは事故だ。
エリカ自身、転落時のことをよく覚えておらず、「レジーナのせい」とは言わない。
シリルの証言さえなければ、事故として処理されただろう。
レジーナ様がエリカを突き落とした――
彼が何を以てそう証言したのか――本当にそう見えたのか、別の意図があるのか――は分からない。
ただ、レジーナにとって間の悪いことに、フリッツとアロイスも事故直後を目撃していた。
彼らは、「階段を落ちてくるエリカと手を突き出したレジーナを見た」と証言したのだ。
以降、元々評判の良くなかったレジーナの名は完全に地に落ちる。
リオネルとの仲も修復不可能なまでに壊れてしまった。
***
一部始終を話し終え、レジーナはそこで一旦口を閉じた。クロードの反応を待つ。
だが、彼はなかなか口を開かない。
レジーナは話を続けた。
まだ、誰にも言ってない――誰も聞いてくれなかった――本音を口にする。
「……私、エリカが大嫌いだわ」
クロードの表情は動かない。
レジーナは顔を伏せ、床を見つめた。
「ブレスレットを盗んだって責められた時、『どうせ演技でしょう』、それとも、『他で恨みでも買っているのではないの』って思ったくらいよ」
レジーナは嗤う。
それから、大きく息を吸って、「だけど」と吐き出した。
「だけど別に、彼女に死んで欲しいと思ったことなんてない」
ギュッと目を閉じる。
「……手が届かなかったの。階段から落ちていくのを、ただ見ているしかできなかった……」
瞼の裏に浮かぶ光景。
消し去りたくて、レジーナは目を閉じたまま頭を振る。
「何度も思い出してる。あと一瞬でも速く、あと一歩でも前に、そうしたら、彼女に届いていたかもしれないって」
レジーナの声が震える。
抱えきれなかった罪悪感が溢れ出た。
「あれがエリカじゃなかったら、間に合っていたかもしれないわ。エリカ以外だったら、私、きっと、もっと必死だった。……でも、私、エリカが嫌いだから」
罪を吐露して、レジーナは深く息をついた。
「シリルがいなかったら、彼女、きっと死んでいたわ」
多くの仮定、もしもの話。
けれど、レジーナが胸を張って「無実だ」と言える時は過ぎてしまった。
シリルの証言、リオネルの責めによって、レジーナは自身の醜さに気付かされた。
あれがエリカでなかったら――
レジーナは、膝の上で両手を強く握り締めた。
クロードの手に力がこもる。レジーナの手を包み込むようにギュッと。
「……訓練された騎士でさえ、咄嗟の判断が間に合わないことはある」
レジーナは僅かに顔を上げる。
碧の瞳が瞬いた。
「咄嗟だからこそ、好悪の判断などつくはずもない」
触れた手から、彼の過去――痛みが伝わってくる。
救えなかった後悔、力及ばなかった絶望。
同じ場面を何度も繰り返してしまうのは、レジーナと同じ。
そんな彼が断言する。
「救わなかったのではない、救えなかった……。あなたが気に病む必要はない」
彼の静かな言葉に、レジーナは泣きそうになる。
レジーナの醜悪さ、エリカに対する妬心を知ってなお、彼はレジーナを疑っていなかった。
ただ、「今の言葉で慰めになっただろうか」と、それだけを案じている。
泣きたいような笑いたいような。
良くわからない気持ちで、レジーナは感謝を口にする。
「ありがとう、クロード」
「いや……」
「俺は何も為せていない」と胸中で呟くクロード。
レジーナはユルユルと首を横に振った。
「ありがとう、話を聞いてくれて。ありがとう、私を信じてくれて」
たった一人でも、自分を信じてくれる人がいる強さ。
レジーナの口元が自然に弛む。
「ええ。私は絶対、エリカを傷つけるようなことはしていない。今なら、胸を張って言えるわ」
レジーナは笑った。クロードから、驚きの感情が伝わってくる。
「ありがとう、クロード。あなたのおかげよ」