テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「ワハハ! 肉だ肉! 肉を持ってこい! ウチの胃袋に不可能はないのだ!」
町で一番人気の食堂『満腹亭』。
ティルは僕から奪い取ったシルクハットを被ったまま、テーブルを叩いて咆哮した。運ばれてきた大皿の肉を両手で掴み、骨ごと噛み砕かんばかりの勢いで食らいつく。その食いっぷりは、まさに野獣そのものだ。
「ちょっと! 少しは行儀よく食べなさいよ! ソースが私の服に飛んだじゃない!」
「うるさいぞ女! ウチは今、奴隷商から逃げて以来、最高の『食の黄金時代』を迎えているのだ! 邪魔をする者は、このウチの鋭い爪の錆びにしてくれるわ!」
「爪より先にその口のサビ(ソース)を拭きなさいよ……」
ルーシーが頭を抱えている横で、僕はのんびりと香草の効いたスープを口に運んだ。喧騒の中、隣のテーブルからひそひそと話す声が漏れ聞こえてくる。
「……おい、聞いたか? あの『魔女』が、また南の広場に現れたらしいぞ」
「ああ、不老不死のメリルだろ? 何を探してるんだか知らないが、彼女が通った後は空気が凍りついたみたいに重くなるって噂だ」
「最近、町の外で魔物の動きが活発なのも、あの魔女のせいなんじゃないかって……」
「命知らずな衛兵が切りかかったって。深手を負ったはずなのに、回復魔法で自分を一瞬で治して、その後衛兵は……」
不穏な噂。ルーシーが顔を強張らせ、僕を見た。魔女メリル――あの女の影が町を覆い始めている。
「ワハハ! 魔女だか美女だか知らんが、ウチの腹を満たす邪魔をするなら容赦はせんぞ! ……あ、おい、あいつらを見ろ!」
ティルが脂ぎった指で指差したのは、入り口近くの席に座っていた男だった。彼らは周囲を伺うようにキョロキョロと見回すと、店員が奥に引っ込んだ瞬間、立ち上がって出口へと走り出した。
食い逃げだ。
「オホッ! あいつ、いい度胸してるな! なぁ、ショウ! ウチらも今のうちにズラかろうぜ! あいつらに紛れて逃げれば、この山盛りの肉もタダになる! 天才的な提案だろう! ワハハ!」
「……ティル。僕はこれでも自警団の特別顧問に採用される身なんだ」
「そうよ! 顧問をクビにされるなんて冗談じゃないわ! あんた、これ以上恥の上塗りをしたら、その尻尾を古文書の栞にしてやるから!」
ルーシーが激怒して立ち上がろうとした、その時だった。
出口に向かって全力で疾走していた食い逃げ犯の動きが、ピタッと止まった。
躓いたわけでも、何かにぶつかったわけでもない。まるで、彼がいた空間の「時間」そのものが、物理的に凍結したかのような異様な静止。片足を上げたまま、あるいは手をドアにかけたままの姿勢で、彼らは彫像のように固まっていた。
「……えっ? なに? あいつ、急に止まったぞ?」
「……どういうこと? 魔法の気配はなかったのに」
ティルとルーシーが呆気にとられている間に、店の用心棒たちが「おい、逃がすかよ!」と男たちをあっさりと捕縛した。用心棒が身体を揺らした瞬間、ようやく男たちの「停止」が解けたようで、彼らは腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
「……ショウ、あなた、今何かした?」
ルーシーの疑いの眼差しが僕に向く。僕はといえば、スープの入ったスプーンを口元に運んだまま、一歩も動かずに座っていた。
「さあね。急に良心が痛んで、足が動かなくなったんじゃないかな。罪の重さというのは、時に物理的な制約を生むものだよ」
「はぐらかさないでよ……。てか今、ショウも止まってなかった?」
僕は静かにスプーンを置いた。ルーシーの言う通り、今のは僕の仕業だ。でも、今度はマジックじゃない。
「おい、何を黙り込んでるんだ! あいつら捕まったから、もう逃げられないじゃないか! ちっ、ウチの肉代が……!」
ティルが悔しそうに骨を齧る。僕はそんな彼女を横目に、窓の外を眺めた。
食堂の入り口に、銀色の髪が揺れるのが見えた。人混みの中でそこだけがポッカリと空いたかのような、異様な存在感。不老不死の魔女、メリル。
「……ステージは、向こうからやってきたみたいだね」
僕は燕尾服の襟を正した。スープの味は、もう分からなくなっていた。