テラーノベル
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冬の低い陽光が、遮光カーテンの隙間から寝室に細い線を引いていた。意識が浮上すると同時に、仁人は全身を襲う鉛のような重だるさと、特定の部位に残る熱い鈍痛に眉を寄せた。
「……っ、……ん、」
身動きを取ろうとして、腰をがっしりと拘束している腕の存在に気づく。
背後から覆い被さるように、自分を逃がさないという意思を持って抱き寄せているのは、昨夜、獣のような剥き出しの欲望で自分を貫いた男――佐野勇斗だった。
仁人は止まっていた呼吸をゆっくりと吐き出し、天井を見つめた。
昨夜の記憶が、断片的に脳裏をよぎる。ローションのぬめり、指で抉られた感覚、そして、自分でも信じられないほど掠れた声で勇斗を求めた自分の姿。
(……俺、何やってんだよ……)
撮影終了という解放感に身を任せた結果にしては、代償が大きすぎる。
仁人はそっと勇斗の腕を退けようとしたが、その瞬間、腕にさらに力が込められ、耳元で低く、掠れた笑い声が響いた。
「……起きてんなら、大人しくしてろよ」
心臓が跳ねる。勇斗はまだ目を閉じているようだったが、その声には昨夜の熱情の余韻が色濃く残っていた。
「……勇斗。もう朝だぞ。離せよ」
「やだね。……お前、昨夜あんなに俺にしがみついてた癖に、朝になったらまたそうやって澄ました顔すんのか」
勇斗は目を開けると、仁人の肩に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
自分の匂いを上書きするように。仁人は首筋に当たる勇斗の吐息にゾクりと震え、必死に顔を背ける。
「……あれは、その。……役から、抜けきってなかっただけで……」
「まだそんな嘘つくんだ? ……お前を中から滅茶苦茶にしたのは航平じゃない。俺だよ、仁人」
勇斗は仁人の身体を無理やり自分の方へ向かせた。
至近距離で合う視線。勇斗の瞳には、撮影中のような優しさはない。そこにあるのは、一人の男を完全に手中に収めたという、静かな、けれど苛烈な独占欲だった。
「……はぁ。……わかった、わかったから。……もう、仕事行かなきゃ。今日は午後からレッスンでしょ」
「ああ、そうだな。……でもその前に、」
勇斗は仁人の顎をクイと持ち上げると、逃げ場を奪うように深いキスを落とした。
「んっ…………、ふ……ぁ…」
昨夜のような激しさはないが、仁人の内側を支配しようとするような、執拗な舌の動き。
仁人は腕を突っぱねて抵抗しようとするが、身体の節々が悲鳴を上げ、結局は勇斗の胸板を弱々しく掴むことしかできなかった。
ようやく唇が離れたとき、仁人は息を弾ませながら勇斗を睨みつけた。
「……本当、お前……いい加減にしろよ」
「無理。……お前、鏡見てこいよ。……すごいことになってるから」
勇斗が勝ち誇ったように笑って、仁人の首筋を指さした。
嫌な予感がして、仁人は重い身体を引きずって洗面所へ向かった。鏡に映った自分を見て、仁人は思わず絶句した。
白皙の首筋から鎖骨にかけて、数え切れないほどの赤い痕が点々と刻まれていた。
それは、服を着ても隠しきれないほど、残酷なまでに鮮明な「印」だった。
「……っ、勇斗!! これ、どうすんだよ!」
「どうもしねぇよ。……隠したきゃタートルネックでも着れば? ま、俺は隠さなくてもいいと思ってるけど」
後から入ってきた勇斗は、仁人の背後に立ち、鏡越しにその痕を満足げに眺めた。
仁人は頭を抱えた。
これからスタジオで、メンバーたちの前に立たなければならない。
吉田仁人としてのプライドと、佐野勇斗に刻まれた身体。
その矛盾を抱えたまま、仁人は逃げるようにシャワーへと駆け込んだ。
ダンススタジオの重いドアを開ける前、仁人はもう一度タートルネックの襟を引き上げた。
外気は冷たいはずなのに、首元は勇斗の残した熱で火照っている気がしてならない。
「……よし。大丈夫。いつも通りだ」
覚悟を決めて中に入ると、すでに他のメンバー三人が揃っていた。
「おはよー! 仁ちゃん、クランクアップお疲れ!」
舜太がいつものように無邪気に駆け寄ってくる。太智はスマホをいじりながら「仁ちゃん、顔色悪いよ? 飲みすぎ?」とニヤニヤしている。
「……おはよう。まあ、ちょっとね。……勇斗は?」
「勇ちゃんなら、さっき自販機行ったよ。……てかよっしー、」
ストレッチをしていた柔太朗が、ふと動きを止めて立ち上がった。
彼の目は、グループの中でも一際鋭い。
「……今日、そんなに寒くないでしょ。なんでタートルネックなんて着てるの」
「えっ? あ、いや……喉だよ、喉。撮影も終わったし、気が緩んで風邪引いたら困るだろ」
「ふーん。……喉、ね」
柔太朗の視線が、仁人の襟元のわずかな「浮き」を捉えた気がして、仁人は背中に冷や汗をかいた。
そこへ、勇斗がスポーツドリンクを片手に戻ってきた。
「お、仁人。来たか」
勇斗は平然とした顔で仁人の隣に立ち、当たり前のようにその肩に腕を回した。
「……勇斗、近い。離れろ」
「いいじゃん。……お前、さっきから首元触りすぎ。そんなに気になるなら、俺がもっと上手く隠してやろうか?」
勇斗が耳元で、周りには聞こえない音量で囁く。
仁人は耳を真っ赤にして勇斗の腹を肘で突いた。
「……黙れ、バカ。……レッスン、始めるぞ!」
強引に会話を打ち切り、練習を開始する。
レッスンが始まっても、仁人の受難は続いた。
新曲の振り付けで、勇斗と視線を合わせる場面。以前なら「仕事」として完璧にこなせていたはずのその瞬間、勇斗がふと、カメラにもメンバーにも見えない角度で、仁人にだけわかる熱っぽい眼差しを向けたのだ。
「……っ」
仁人は一瞬、ステップを忘れて足をもつれさせた。
「おっと、危ない。……仁人、集中しろよ」
すかさず勇斗が仁人の腰を支える。
掌から伝わる熱。昨夜、何度も自分を抱き寄せたあの大きな手の感触。
仁人は「……お前のせいだろ」と蚊の鳴くような声で毒づくのが精一杯だった。
休憩時間。仁人が一人で水を飲んでいると、柔太朗が隣に座った。
「……隠し通せると思ってるの?」
静かなトーン。仁人は吹き出しそうになったのを堪え、視線を泳がせた。
「……何のこと?」
「別に、否定しなくていいよ。……勇ちゃんのあの顔。撮影中も凄かったけど、今日はもう、獲物を手に入れた後の顔してるもん」
柔太朗は苦笑して、仁人の肩を軽く叩いた。
「色々大変なのはわかるけどさ。……あんまり無茶しないでよ。五人でM!LKなんだから」
その言葉には、茶化す意図ではなく、二人を支えようとする温かい配慮が込められていた。
仁人はようやく、張り詰めていた肩の力を抜いた。
「……ありがと、柔太朗。……でも、本当に勇斗が、全然空気読まないから……」
「あはは。それはよっしーが可愛いからでしょ。諦めなよ」
柔太朗が去った後、今度は勇斗がタオルを持ってやってきた。
彼は隣にどっかりと座ると、誰の目も憚らず、仁人の肩に頭を預けた。
「……疲れたぁ」
「……離れろって。みんな見てるだろ」
「いいじゃん、休憩中なんだし。……仁人、さっきの振り、もっと力抜けよ。緊張しすぎ」
「誰のせいだと思ってるんだよ……。お前が、変な目で見るから……」
仁人が小声で文句を言うと、勇斗はクスクスと喉を鳴らして笑った。
そして、仁人の手をギュッと握りしめる。
「……映画が終わって、寂しくなるかと思ったけど。……昨日より、今日の方がずっとお前が近くに感じるわ」
勇斗の声は、いつになく優しかった。
仁人は握られた手を振り返し、窓の外の冬空を見上げた。
役を脱ぎ捨てて、現実に戻る。
それは、失うことではなく、もっと確かなものを積み上げていくことだったのだ。
隣で笑うメンバーたちの声。自分を離さない勇斗の熱量。
それがこれからの日常になるのだと思うと、仁人の胸の奥には、どんな演技でも表現できなかった本物の幸福感が満ちていった。
「……ねぇ、勇斗」
「ん?」
「……今日の帰り。……また、お前の家、行っていい?」
精一杯の勇気を出した仁人の誘いに、勇斗は一瞬目を見開いたあと、これまでで一番幸せそうな「佐野勇斗」の顔で笑った。
「……当たり前だろ。一生帰さないつもりだけど、いい?」
「……バカ」
コメント
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わ〜!!!😭 エピローグまで、、、胸がいっぱいです。 本当にお疲れ様でした!!!