テラーノベル
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保健室は、外の喧噪が嘘のように静かだった。
すちはみことをベッドに座らせ、そっと袖をまくる。
切り傷は浅いが、昨日の傷が開いて血が滲んでいる。
「少ししみるかもしれないけど……我慢してね」
そう言って消毒液をコットンに含ませる。
みことは虚ろな目を伏せたまま、微動だにしない。
それでも先ほど掴んだすちの手を離そうとはせず、指先はまだ彼の制服を握っていた。
すちはそのぬくもりを片手で包み返しながら、慎重に手当てを続けた。
「……何があったの?」
包帯を取りに行っていた保健の先生が、問いかける。
その目はただ事ではないと悟っているようだった。
すちは一瞬、迷わずに口を開いた。
「……弟は、クラスで酷いいじめを受けているみたいです。 今日は教師にも腕を強く掴まれ、傷が開きました」
保健室の空気が一気に張り詰める。
先生は目を丸くし、すぐに眉を寄せた。
「……あなた、高等部の奏すち君よね。正直に話してくれてありがとう」
包帯を巻きながら、すちは静かに続けた。
「弟は、痛くても泣きません。……それが余計にエスカレートしたのかもしれません。 だから、俺が代わりに伝えます。弟を守るのは、俺の役目ですから」
その瞳は真っ直ぐで、言葉の端々から固い決意がにじみ出ていた。
先生は深く頷き、「すぐに担任と学年主任に伝えるわ」と声を落とした。
すちは小さく礼をし、そっとみことの手を握り直した。
すちは包帯を巻き終え、そっと手を拭きながら立ち上がった。
「……これで大丈夫。少し休もうね」
短く告げ、携帯を取り出してらんに連絡しようと保健室のドアに向かう。
その時、保健の先生が何かに気づいたように顔を上げた。
「……奏くん?」
すちは振り返り、何に気づいたのか目を向けると――
みことの瞳に、いつもは見せない光が宿っていた。
滲む涙が頬を伝い、震える指先が空中で止まる。
そして、恐る恐る、しかし必死に、すちの手を求めるように伸ばしていた。
「……っ」
すちはその姿を見て、瞬間的に心臓を強く打たれた。
「みこ────!」
すちの声が届くよりも早く、みことは細い体を震わせながらすちに飛びついた。
小さく震える肩を抱きしめると、か細い声で、絞り出すように呟いた。
「…置いていかないで……」
その声はかすかで、しかし胸に直接突き刺さるほど切実だった。
すちは両手でみことの背中を包み込み、優しく撫でた。
肩から背中、首筋まで、指先で丁寧に伝えるように触れ、温かさを伝える。
「大丈夫だよ……どこにも行かない。 俺はずっと、ここにいるから」
その声にみことはさらに身を委ね、肩を震わせながら小さく泣いた。
すちはそっと額をみことの頭に近づけ、胸の中に引き寄せる。
保健室の静けさの中、二人の間だけが、微かに波打つ呼吸と心音で満たされていった。
みことの肩を優しく抱き寄せ、背中を撫でるすちは、微かに震える彼の体を感じながら携帯を手に取った。
「……らんに連絡するね」
小さな声で呟き、画面を開く。
みことはすちの胸に顔をうずめ、まだ涙を拭うこともせず、ただ静かにすちの存在に寄り添っていた。
すちは短く、しかし必要な情報を整理して打ち込む。
『ちょっと相談したいことがある。みことがクラスでいじめに遭って、教師にも強く腕を掴まれて傷が開いた。今、保健室で手当してる。帰宅の前に相談したい』
送信ボタンを押す手も、みことの肩から手を離さない。
画面の光が二人の影を淡く壁に映し出していた。
ほどなくして、らんから短い返信が来る。
『わかった。すぐそっち行く』
すちは胸の奥で安堵の息をつき、軽く肩を揺らしてみことを安心させる。
「もうすぐ、らんも来るからね」
優しい声が、保健室に静かに響いた。
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