テラーノベル
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“バタバタ…”
人通りの多い廊下で、女子生徒が盛大にプリントをぶちまけた。
「大丈夫?」
スマートにプリントを集めて、渡すときはほんの少しだけ微笑む。日頃の成果は今ここで発揮されている。
「あっ…ありがとうございます。」
目の前の女子生徒は頬を赤らめるた瞬間、勝利を確信した……そう思った瞬間だった。
「宏斗、浮気……」
「違うわ!」
背景に薔薇を咲かせ、風まで味方にする男。如月律は、あの秋の花火大会を経て、正真正銘俺の初めての恋人になった。
廊下のど真ん中で繰り広げられた、律による光の速さの「浮気認定」に、俺は顔を真っ赤にして全力で否定をした。
プリントを拾ってもらった女子生徒は、「俺の宏斗に触るな」と言わんばかりの凄まじい威圧感に引き攣った顔をして、お礼もそこそこに音速で逃げ去っていった。
せっかくの俺のヒーローイベントが、一瞬で粉砕された瞬間である。
そもそも、付き合ったからといって、今までの延長線上のような感じだけれど、やっぱり「恋人」という関係を意識した途端……男同士の、その、もっと……大人の関係というか、そういう破廉恥なシミュレーションまでしてしまう自分が、とてつもなく恥ずかしい。
「宏斗、冬服になってる」
恥ずかしさのあまりに悶々としている俺の思考を破るように、律がじっと俺の体を凝視しながら呟いた。
「……あぁ、もうすぐ冬になるからな。」
「そっか。……セーターかわいい、凄く似合ってる」
「おぉ、ありがと……」
「かわいい」
「わーったよ!!!!」
大真面目な顔をして「かわいい」を連呼してくるあいつに、心臓の奥がドクドクと音を立てて暴れ出す。早くなる鼓動をどうにか誤魔化すように、俺は律から一歩距離を取ってプイとそっぽを向いた。
それでも律は、俺を逃がしてくれるわけがなかった。すらりとした長い指先が、俺の首筋にそっと滑り込むように添えられる。
ゾクッ…と、肌に触れる冷たい体温に、思わず肩が跳ね上がる。
これは、律の明確な癖だった。俺の首筋に優しく手を添えて、まるで獲物を捕らえた蛇のようにじわじわと絡みついてくる。こうしてくるときは、大体二つのパターンしかない。
あいつが俺に「かまってほしい時」か、あるいは、内側の「独占欲が溢れ出ている時」だ。
「……なに、」
「ただ、宏斗がかわいいなと思って」
「……。」
こいつは一体、なんなんだ……。恋人になった途端、糖度が増した彼に俺はただただ圧倒されるしかなかった。
_________________
____放課後、いつもの音楽室。
律は、このたった数か月という異常な短期間で完成させたギタースキルを、元部長の先輩へと披露していた。
アンプから響き渡る音は、力強い重低音なのに、どこか繊細。聴いているだけで自然と背筋が伸び、誰もが聞き惚れてしまうような、一分の隙もない見事な演奏だった。
隣で見ていた俺でさえ鳥肌が立つほどの完璧なフレーズ。しかし、演奏が終わり、ジャランと最後の残響が消え去った後も部長は、その優しい表情を一切変えることなく、律のことを真っ直ぐに見つめ返していた。
「完璧だよ。如月くん」
「ありがとうございます」
律は小さく息を吐き、どこか誇らしげにギターのネックを握り直す。しかし、元部長が静かに続けた次の言葉が、音楽室の空気を一瞬で凍りつかせた。
「でもね、如月くん。……君の音は、完璧すぎる」
「……っ」
その予想外の一言に、律の美しく整った顔が一気に険しくしかめられた。褒め言葉ではない。そのニュアンスに含まれた、音楽の先輩としてのシビアな指摘を本能的に察知したように、律の瞳に、鋭い不快の影が走る。
「如月くんは、皐月くんの音楽に心を動かされたんだよね?」
不意に俺の名前を出され、壁際で見守っていた俺の心臓がドクリと跳ねる。
「それって、なんでだと思う?」
元部長からの静かな問いかけに律は言葉を詰まらせ、微かに首を傾げた。
その白銀の髪が夕日に透けて揺れる。
律にとって、俺のギターや歌に惹かれたのは「本能」でしかなく、それを論理的に、しかも自分のギターの完成度と結びつけて説明することなんて、できるはずがなかった。
「僕にはね、君のギターは“譜面通りに正しく処理された綺麗な音”に聴こえるんだ。そこには如月くん、君自身の泥臭い感情が何も乗っていないんだよ」
元部長の言葉は、かつて律が「宏斗へのぐちゃぐちゃな感情を上手く曲に落とし込めない」と挫折した、あの音楽の壁そのものだった。
「皐月くんの音楽があれほど人の心を揺さぶるのは、不器用でも、必死に“伝えたい何か”を音にぶつけているからだ。君が皐月くんの隣で本当に並び立ちたいのなら、その完璧な何かを自分から壊さなきゃいけないんじゃないかな」
揺れる瞳孔の先。ギターのストラップを握る、律の手に力がこもった。
「俺、部長のこと好きじゃないです」
「エッ」
突然の律のセリフに俺は声を漏らした。けれど、部長はそんな言葉を正面から投げかけられても、穏やかに笑ったまま。
「理由はちゃんと分かってないけど、多分」
そこで、律の言葉が一度ピタリと止まる。
次に何を言い出すか本当に分からないこの危うい恋人に、俺の手のひらには嫌な汗がじっとりと滲んで止まらない。俺は一歩足を前に踏み出して身構え、元部長と律の二人を交互に、鋭く見つめた。
「宏斗と対等に並んでいるからだと思います」
俺は、構えた一歩を元に戻し、壁に寄りかかった。
「文化祭で宏斗と部長が背中を合わせている姿が、頭から離れないんです。それってきっと、同じ軽音部だからとかじゃなくて」
小さな風が音楽室を吹き抜ける。
「二人の間にしかない、俺の知らない何かがそこにあった気がしました」
壁に背を預けたまま、俺は喉の奥がツンと熱くなるのを感じていた。
こんなに律が、自分の感情を必死に喋っている姿を見るのは、出会ってから初めてだった。いつも目を伏せて話す癖も、短い単語でしか会話を返さないあの悪癖も、今の律にはどこにも見当たらない。
「それだよ、如月くん」
「え、」
「そういう、泥くさい気持ちを音にするんだ」
予期せぬ肯定に、律の動きがピタリと止まる。
「僕には、如月くんの気持ちは分からない。でも、君の奥底には誰よりも大きな感情がある」
元部長はそう言って、優しく、だけど確かな期待を込めて律の肩をポンと叩いた。
「それを、形にできるかどうかだよ」
「……。」
律は、叩かれた自分の肩をじっと見つめたあと、ゆっくりと手元にあるギターの弦へと視線を落とした。その美しい横顔は、まだどこか腑に落ちていないように困惑の影を残している。
きっと、律にはまだわからない。けれど、もし仮に律が元部長の言っていることを理解した時には、こいつは確実に化ける。
壁に寄りかかったまま、俺の背筋に、ゾクゾクとするような強烈な武者震いが走った。少女漫画のヒーローという枠を自らぶち壊し、一人の狂おしい「表現者」としてあいつが覚醒する瞬間が、すぐそこまで迫っている。
こいつは確実に何かが変わってきている____
そんな、音楽のパートナーとしての深い感慨に浸っていた、まさにその時だった。
「皐月くん! 僕に如月くんを貸してくれてありがとう!」
元部長がパッといつもの朗らかな表情に戻り、俺に向かって手を振った。
「いえ、先輩も受験勉強で忙しい時期なのにありがとうございます」
「ううん、皐月くんの力になれるのなら、僕も光栄だよ」
夕日に照らされながら、優しく目を細める先輩の横顔。あぁ、本当にありがたいなぁ……と、俺が内心で五体投地していた瞬間。視界が不意に暗くなった。夕暮れの光を遮るように、のっそりと大きな影が俺の前に覆いかぶさる。
「部長」
律は子供のように不満げな拗ねた顔を、隠そうともせずに先輩の前に立ちはだかると、俺を背中に隠すようにして言い放った。
「宏斗は、俺のなので」
「ぶふっ!?」
お前は一体何を言っているんだ!!付き合いたての脳内ピンク色全開なセリフを大真面目な顔で吐く恋人に、俺の心臓が本日何度目か分からない非常事態を告げる。
突然の俺のモノ宣言を喰らった元部長は、一瞬きょとんとしたあと、「あはは!」と本当に楽しそうに声を上げて笑った。__が。
「でも如月くん。僕は君に、皐月くんをあげたつもりは一切ないよ?」
「……っは……?」
楽しげな笑顔のまま放たれた元部長の言葉に、律の顔がガチで引き攣った。
え、先輩……? 爽やかで優しい元部長の目が、今一瞬だけ、もの凄く楽しそうに煽る色に変わった気がする。
「ほら、よくあるじゃない。……娘はやらんっ!的な!」
「なっ……!」
いたずらが成功した子供のように笑う元部長。
冗談を完全に真に受けて、この世の終わりみたいな形相で不服そうに顔をしかめる律。そんなあいつの様子を面白そうに眺めていた元部長だったが、ふっとその瞳の奥に、音楽の先輩としての真剣な光を灯した。
「それにね、皐月くんに心を動かされたのは、君だけじゃないよ」
「……っ」
その言葉に、律の身体が僅かに強張る。
先輩もまた、あの文化祭のステージで、宏斗の泥臭くも熱い音楽に魂を震わされた一人なのだ。「皐月宏斗の音楽」という絶対的な光の価値を、誰よりも知っているという誇り。
「そんなの、分かってます」
鋭く尖った律の視線。向けられた敵意すら愛おしそうに、元部長はなぜか嬉しそうに笑った。律の胸の奥にある、その執着という名の「大きな感情」が本物であることを、このやり取りでも確信したのだろう。
「うんうん! じゃあ、如月くんも最高の音楽を作れるようになってから出直してきなさい!」
「……っ…」
元部長から突きつけられた、愛のハードル。
律は悔しそうに拳を握りしめ、前髪の隙間から元部長を睨みつけると、完全に子供のような捨て台詞を吐き捨てた。
「……やっぱ、嫌いです」
「こら!! 律!!!!」
けれど……まだ、律には分からない感情が数えきれないほどあったとしても、律が変わっていく姿を俺は、誰よりも傍で見ていたい。
如月律の恋人として____
コメント
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いやあ……もう、16話、最高でしたわ! 律の「宏斗は、俺のなので」には悶絶必至。 嫉妬深くてストレートな愛情表現、ギャップ萌えが止まらない。 元部長の音楽談義も深くて痺れた。 律がこれからどう「泥臭く」なっていくのか、マジで楽しみ!🔥