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「あー! 俺これ、食べたかったんよね!」
石畳の坂道、真っ白な湯気を上げる蒸し器の前で、元が足を止めた。
楽しそうに手招きするその笑顔は、夜の温泉街に灯る提灯の明かりよりもずっと眩しい。
「……饅頭か。俺、食べたことないかも」
甘いものが苦手な俺にとって、これはなかなかの難問や。
けど、ここで怖気づくわけにはいかん。これを食べきらんことには克服した事実は消え、元とのカフェの約束も、細く繋がったこの時間も、すべてが指の間からこぼれ落ちてしまう気がしたから。
「食わず嫌いやって。もとちゃん、はい、口開けて?」
昼の教訓を学んだのか、元は俺が自分から口を開くのをじっと待ってから、一口サイズの熱い塊をそっと放り込んできた。
「……え。やっぱ俺、克服してるわ」
……美味い。なんや、この美味い食いもんは!?
口の中に広がる優しい甘さと、ふかふかの生地。こんなにええもん、今までなんで食べてこなかったんやろう。これまでの人生、損してた気分やわ。
「やった!! じゃあ、カフェの約束は続行やねぇ~」
鼻歌まじりに「うまぁ」と幸せそうに頬張る元。
その無防備な横顔を見ていると、重くて、逃げ場のない恋をこの子にしているんやと痛感した。
「……元、これ、お揃いで買わん?」
ふと目に留まったのは、土産物屋の軒先に並ぶ、温泉街のキャラクターらしきキーホルダーやった。
二つ手に取って、元に見せる。「可愛い!」と俺の手から一つとって、子供みたいに笑う彼と、心以外でも通じる2人だけの何かが欲しかった。
「あ、さっきはんちゃんが俺らの分も買ってくれたから、四人分買う?」
元の無邪気な提案に、俺は慌てて首を振る。
「違う。四人じゃなくて、俺と元の思い出。……今、この瞬間の思い出が欲しいって思ってん」
……何言うてんねん、俺。
吐き出した言葉が、冷たい夜風にさらされて急激に熱を失っていく。
今、空がこの状況を見ていたら、「きもー」って確実に吐き捨ててるやろな。自分でも鳥肌が立ちそうや。
こんな独りよがりで気持ち悪い提案、元が受け入れてくれるわけがないのに。
「……うん、ええよ。でも、もとちゃんの奢りな?」
いたずらっぽく目を細めて、元がキーホルダーを俺に手渡してくる。
指先がかすかに触れただけで、心が大きく動く。
元は優しい。俺の好きの意味だって、きっとどこかで気づいているはずや。それやのに、嫌悪感を見せるどころか、こうして当たり前のように隣にいてくれる。
その優しさを利用している自分が、たまらなく嫌になってくる。
温泉街の休憩所。古びたベンチに腰を下ろし、二人で夜の景色を眺めた。
絶対、この気持ちは伝えん方がいい。
そうすれば、この穏やかで、かけがえのない時間は守られる。元のこの柔らかな笑顔を、曇らせることなくずっと見ていられるはずやから。
「……もう、そろそろ戻ってもええかな?」
時計を見れば、外に出てから一時間が経っていた。夜風が少し冷たくなり、流石にお腹も空いてくる。
「あ、俺もご飯の後に、大浴場一緒に行きたい」
「……ふぇ!?」
思わず素っ頓狂な声が漏れた。いや、なんでや? 露天風呂付きの、あんなに高い部屋を借りたのに?でも、ここで拒否するのも逆に気持ち悪いな。めっちゃ下心ありますって言うてるようなもんやもんな。
「……わかった。じゃあ、俺、ちょっとタイミングずらそうか?」
「……え? もとちゃん、俺のこと恥ずかしがり屋の女の子やと勘違いしてない?」
ニヤリと、唇の端を上げて笑う。
それは、元がはんちゃんのことで気づいたのと同じ。俺らも男同士やという事実を突きつけてきたんやと思った。
「……してへんけど。なんか、恥ずかしいやん」
情けない言い訳が口を突いて出た。水族館でのおもんない自分が、頭の中で何度もリフレインする。
「……俺さ、もとちゃんが何かすると、かっこいいなぁとか、おもしろいなぁとか、優しいなぁ、とか……好きやなぁって、毎回思ってる」
ふいに元が足を止めて、静かに言葉を紡ぎ出した。
提灯の淡い光に照らされた元の瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。
「ほんで、たまにドキドキすることもある。……確かめたいんよ。それが、憧れなんか。それとも、恋なんか」
心臓の鼓動が、耳の奥でうるさいほどに跳ねた。
憧れか、恋か。
その境界線をなぞるような元の言葉に、俺は息をすることさえ忘れてしまいそうになる。
普通に可愛らしいだけの子やと思ってた。けれど、そんな俺の勝手な決めつけを嘲笑うかのように、元は突拍子もない熱を俺にぶつけてくる。
「……じゃあ、夜中……とかでもいい? 誰にも、元の事、見られたくないし」
独占欲が、抑えきれずに言葉となって漏れ出した。
自分でも気持ち悪いと感じたけれど、元はそれを拒絶するどころか。
「ん? ええよ。でも、もとちゃんには見られるけどな?」
月明かりの下、元は悪戯っぽく、それでいて破壊的に可愛い笑顔を俺に見せた。
あかん。
思わず鼻血が吹き出すかと思った俺は、慌てて視線を夜の空へと泳がす。熱くなった顔を冷ますには、この夜風でも、まだ少しぬるすぎる気がした。