テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「柚葉さん、付き合う気になった?」
いつの間にか仕事帰りに我が家へ来ることに躊躇しなくなった望月君が、私のご飯を食べながら何度目かのその問いをする。
「なってない」
まるで面白がっているような気がしてきて、私もいつものように答えた。
今日のメニューは、いたって普通の私の夕飯だ。
味噌汁に、生姜焼きに白米。
とっくに私は食べ終わっており、残っているもので作ったのでこんなものしかできなかった。来ると言ってくれれば、もう少し凝ったものを作ったのに。
そんなことを思ってしまった自分に、内心ため息をつく。
「いつ食べても柚葉さんの料理はうまい。ごちそうさまでした」
パン、と手を合わせ、食器を持って立とうとするのを、私が制して片づけをする。
「いいよ。疲れてるでしょ」
そう言いながら私がキッチンへ行くのを見て、望月君も立ち上がる。
「ねえ、もういいじゃん。付き合おう?」
そっと、私が食器を洗っている背後に立ち、シンクに私を囲うように手をつく。
「ダメ、まだ千堂さんにお断りもしてない」
「じゃあ、断ったら付き合ってもいいんだ」
確かにこれではそう答えたも同然だ。一気に顔が熱くなるのがわかる。
「やばっ。柚葉さん可愛すぎる。うなじ真っ赤」
その言葉と同時に、望月君の指がそっと私の首筋をなでる。
「っ」
つい声が漏れてしまい、私は慌てて口を閉じる。
「ねえ、柚葉さん……」
その時、私のパンツのポケットでスマホが音を立てる。
【千堂さん】
その文字に、私は動きを止めた。あまりにもタイムリーな名前に、出るのを躊躇していると、望月君がひょいっとそのディスプレイに視線を向ける。
「柚葉さん、出て」
真剣な瞳に、私はごくりと唾を飲み込んだ。
「もしもし?」
少し声が上ずってしまったのが、自分でもわかる。
腕の中で囲われたまま電話に出たことを後悔するも、もう遅い。なぜか後ろから、ずっと望月君は私のうなじに触れている。
『今度の日曜日会おう』
相変わらず、まず要件だけを言う彼に、私は唖然としつつ言葉を探す。
「あの……その日はちょっと」
『都合悪い? 俺もその後なかなか時間取れないんだよな』
すぐ後ろにいる彼にも、はっきりではないが千堂さんの声が漏れ聞こえているのだろう。
スマホを当てていない方の耳元で、望月君が囁く。
「その日?」
耳に吐息がかかり、それだけでもう千堂さんに意識を向けることができない。
「断って。全部」
甘く低い声が鼓膜を震わせ、びくっと肩を揺らせば、真っすぐに私を見つめるその瞳に身体が動かなくなる。
「千堂さん、あの……ごめんなさい。もう会えません……」
『え? どういうことだ! おい!』
そんな声が聞こえるスマホを、満足げに望月君は私から取り上げる。
通話のまま、もう片方の手で私の後頭部を引き寄せると、強引に唇を重ねた。
なんで――そう思うも、激しくキスをされ、空気を求めて私が唇を開くと、躊躇なく彼の舌が絡みつく。
「んっ……」
水音とともに漏れた自分の声に、私はようやくハッとして彼の胸を押す。
慌ててスマホを見れば、彼は計画通りと言わんばかりに通話を終了させていた。
「どういうつもり!」
息を切らしながら睨みつければ、彼はどちらのものかもわからない唇についた唾液をぺろりと舐め上げる。
その仕草すら、挑発するようで妖艶な雰囲気に圧倒され、屈しそうになってしまう。
「だって、断ったら付き合えるんですよね?」
不敵に笑う彼に、私は大きく頭を振る。
「無理! ドクターは嫌!」
つい本音を漏らしてしまい、私は彼に背を向けた。
「どうしてですか?」
それは当たり前の問いかもしれない。その答えを探していると、望月君は私の手を引いてソファーへと座らせる。
「じゃあ、質問変えますね。どうしていきなり病棟から異動したんですか?」
その問いにはドクンと胸が音を立てる。
ずっと一緒に仕事をしていたのだから、疑問を持っても仕方がなかった。
美希みなみ
「体調を崩して……。夜勤とかが少し厳しかったのよ」
今までも何人にも聞かれた質問に、用意していた言葉を張り付ける。
まさか、男の人に騙されてメンタルをやられたなど言えない。あの頃は彼がどうというより、人を信じることが怖くなった。それに……。
「あのことがあったからですか?」
初めて聞かれたそのセリフに、私はドキッとしてしまう。
「なんのこと?」
意味がわからないふりをして聞けば、今度は引き下がることなく望月君は言葉を続けた。
「あのことは大事になっていないし、気に病むことは――」
「気にするわよ!」
そこで私は、つい感情を露わにしていた。
もし、あのとき彼が気づいてくれなかったら――そう思っただけで、今でも動悸がする気がした。
自分のバカな行動のせいで、大切な子の未来を壊す可能性だってあったのだ。
そう、あれはショックでよく眠れなかった翌日、指示と違う点滴を用意して、今にも患者さんに投与する寸前、望月君が気づいたのだ。
「あんなミスをするなんて、看護師失格よ。ダブルチェックまで抜けてたのよ」
嘲るように言った私に、彼は小さく息を吐いた。
「でも、何も起きてない」
静かに言った彼の言葉の意味はわかっている。誰だってミスはあるから、チェック体制もあるのだ。
でも、あの時は、自分のプライベートのせいだったことがどうしても自分で許せなかった。
それから、私は夜眠れなくなった。
もともと不規則な生活だったが、うまく眠ることができなくなってしまえば、どんどん体調を崩した。
だから、体調を崩したことが原因なのは本当だ。
嘘ではない。
しかし、望月先生だけは、あの時、私がああなった原因の一端を知っている。
否定することができずにいる私に、そっと望月先生は声をかける。
「あれから眠れてますか?」
「え?」
「眠れてなかったでしょ。あの頃」
ポーカーフェイスのおかげもあり、誰にも気づかれることはなかったのに。
気づいていたの?
そんな思いで彼を見れば、少し苦しげな表情を浮かべていた。
「普段通り装っていたけど、柚葉さん、目に見えてひどい表情をしてた。だからあの日も、なんとなく病室に行ったんですよ」
まさか、私を心配して来てくれていたなんて思ってもみなかった。
「ごめん……」
何の涙かわからないが、止まらなくなってしまう。ずっと張りつめていたものが、身体の中から崩れ落ちるような気がした。
「ずっと一生懸命でしたよね、柚葉さん。いつも患者さんのことばかり考えていて」
私を宥めるように、少しいつものからかうような口調の中にも、優しさが見える。
「いい看護師さんですよ。結衣くんだって、ずっと会いたいって」
「やめて。そんなことを言ってもらえる資格なんてない。私なんて、私なんて」
止めることができない涙に、そっと何かが触れた。それが望月君の指だと気づき、私は顔を上げた。
「もう、泣かないで。柚葉さんは何も悪くない」
どうしてそんなことを言うのかわからない。でも、誰かにこの言葉を言ってほしかったのかもしれない。
ひとしきり泣いて、少しすっきりして、私は口を開いた。
「ごめん、本当に」
謝る私に、望月君は少し苦笑する。
「俺こそ、嫉妬でさっきキスしてすみません」
嫉妬? 千堂さんに嫉妬したの?
驚いて見上げれば、今度は望月君はばつの悪そうな顔をして、ぎゅっと私を抱きしめる。
「こんな俺、見ないで。ねえ、柚葉さん、俺にしようよ」
もう降参だ。
そう思うと、私は望月君の腕の中で小さく頷きながら答える。
「いいよ」
それと同時に顔を上げれば、驚いたように目を見開いたあと、望月君は優しいキスをくれた。