夜に彼から連絡が来るのはめずらしい話ではなかった。ただ今回、いつもと異なっていた点といえば、家に行っていいか聞かれたことと、……その声が今にも泣き出しそうに震えていたこと。怪訝に思いながらも二つ返事で了承すると、電話口で彼が少しほっとしたように息を吐いたのが聞こえた。
「ごめんね、夜遅くに」
外は雨が降っていたらしかった。電話から30分と経たずにやって来た元貴は、黒いトートを肩から下げ、雨に濡れた傘と白いケーキ屋の箱を手にしていた。
「これ、手土産」
そう言って、箱を差し出す。
「えーありがとう、どうしたの?めずらしい」
この「めずらしい」には手土産のことだけでなく夜遅くに突然訪ねてきたことも含まれている。その意図を汲んだらしい元貴は僕から視線を逸らした。
「ケーキは……俺が食べたい気分だった」
どうやら後者は答えにくいことらしい。まぁ大体想像はつくのだけれど。
「とりあえず上がりなよ。冷蔵庫に麦茶あるけど、あったかいお茶の方がいいかな」
「あ、いや……」
元貴は靴を脱ぎながら、トートの中からコンビニの袋を取り出す。
「お酒買ってあって……」
僕は思わず眉根を顰める。普段はあまり好んで酒を飲まない彼が自ら飲もうとするなんて、あまりいい理由ではない気がしたのだ。
「飲まなきゃ話しにくいこと?」
元貴は僕から目を逸らしたまま、頷く。
「付き合ってくれる……?」
不安そうにこちらの様子を伺う彼に、僕は仕方なく了承した。
よくあるチューハイ缶の甘味料のまとわりつくような甘ったるさと粗悪なアルコール特有の苦さを喉に感じながら、ソファに並んで座る彼がぽつりぽつりと紡ぐ話に耳を傾けていた。話をまとめてしまえば簡単で、ずっと長いこと片思いをしている相手である若井に恋人ができてしまった。それを週刊誌にすっぱ抜かれたものだから、仕事のことを考えて別れろと迫ったところ喧嘩になり、別れろといった自分に個人的な嫉妬や後ろ暗い感情がまったくないとは言えなかったことが苦しいというのだ。
「ごめん、涼ちゃんにこんな話……。でも涼ちゃんにしか話せなくて……」
大丈夫だよ、分かるから。と僕は頷く。メンバーのパーソナルな話なんてできる相手は限られている。それが例え、かつて自分に告白してきた相手だったとしても。そう、僕は過去に元貴に想いを伝えて、振られているのだ。大丈夫だよ、分かるから。その後に片思いの辛さは、なんてつけ加えたらさすがに嫌味ったらしいだろうか。
「ごめん……ありがとう……本当にごめんね……」
アルコールの入っている彼はいつもより少し感情の起伏が激しくて、ぼろぼろと涙をこぼしている。僕は黙って缶に手を伸ばしたが、自分のそれはもう空っぽだった。こういう時、なにか上手に言葉を選べたら君は僕を選んでくれるんだろうか、なんて狡いことを考えてみたりもするけれど、僕は不器用だから、気の利いた台詞なんてひとつも浮かびはしないのだ。
沈黙をどうしたらいいか分からなくて、何となく手付かずにしていたケーキの箱に手を伸ばす。箱を開けると、そこには、いちご、ぶどう、ブルーベリー、オレンジ……色とりどりのフルーツが敷き詰められた、まるでジュエリーボックスみたいなフルーツタルトが二切れ。手土産にフルーツタルトなんて珍しい。食べにくさから敬遠されがちなそれは、僕も嫌いではないが自分からは選ばない。
「すごっ、めちゃくちゃおいしそう」
箱から出して用意してあったお皿にそれぞれ載せる。膝を抱え込んだままの彼の前にもタルトを載せたお皿をおいてやり、僕はお皿を手にして美しく完成されたそれにフォークを突き立てる。タルト生地は醜く崩れる。タルトを上手に食べられない不器用な僕は、誰かの居場所になれないままでいる。彼ならこのタルト生地を上手にフォークで食べることが出来るのだろうか。みんなはもっと器用に生きているのかな。どうしたら君を、大丈夫にできるんだろう。
「ね、元貴もせっかくだし食べよ、おいしいよ」
泣き腫らして真っ赤になった目元が微かに笑む。
「も〜、涼ちゃんだなぁ」
「だってこういう時こその甘いものでしょ」
呆れたように君は笑う。そして少しの間、躊躇うようにフルーツタルトをみていたが、やがてお皿を持ち上げ、タルトを手掴みにして豪快にかぶりついた。派手に崩れるかと思いきや、案外タルトはその形状を維持している。
「あっま!でも、うっま!」
口の周りにカスタードクリームやらタルト生地のかすやらをいっぱいにつけたまま、彼は笑顔とも泣き顔ともとれるような表情を作った。
「ね〜おいしいでしょ」
「買ってきたの俺だけどな」
なんで涼ちゃんが得意そうなんだよ、と笑いながら彼はもうひとくち、大きく口を開けてかぶりつく。
「やべ、フルーツ落ちる」
土台が崩れるのに合わせてこぼれそうになったフルーツを慌てて器用に唇で押さえて、一見とんでもない食べ方なのに随分と器用だ。
「ふふ、タルト手づかみで食べる人初めてみたんだけど」
そう言って笑うと
「だってフォークだとうまくこのタルト生地が切れないじゃん、ほら、涼ちゃんのぐちゃぐちゃ」
元貴が顎で僕の皿の方をしゃくる。たしかにね、と頷くと、なぜか目頭が熱くなった。
「僕も手で食べちゃお!」
フォークを皿のふちに置いて、左手でばらばらになったフルーツタルトの欠片たちを掴む。フルーツについたジュレやカスタードクリームのひんやりとして柔らかい感覚が指先に伝わる。フォークではあれほど捕らえられなかったタルト生地は簡単に僕のものになってしまう。
「わぁ、なんか背徳感」
「いまさら作法もねぇだろうがよ」
クリームのついた指を見せると、元貴は口悪くツッコミをいれてくる。
「ふふ、でも楽しい」
最高に美しく、おしゃれなフルーツタルトを、僕らは今まったく美しくなく、かっこ悪く食べている。
「涼ちゃんはなんでも楽しそうだよね」
「そうかなぁ」
そんなことないよ、君が気づいていないだけで、僕は世の中のいろんなことを楽しむには不器用すぎるんだ。
「……涼ちゃんを好きだったら良かったのに」
「ふふ、僕にしたらいいじゃない」
ここでごめんねなんて言わないところが君の優しいところで、狡いところでもある。
ねぇ、軽く言ってみせているけれど、本当は苦しいよ。でも、気づかなくていいよ。君に見えている部分が綺麗なものだけなら、そのままがいい。
元貴はタルトの最後のひとくちを頬張ってから
「俺、涼ちゃんみたいだって思ったんだこれ」
もごもごと咀嚼しながら言う。
「フルーツタルト?」
なんで?素っ頓狂な声を上げると、彼はうーん、と唸ってから
「きらきらとしててさ、カラフルで……なんだろう。でもなんだか涼ちゃんみたいって思ったんだよ」
嬉しいな、と言って僕は笑う。だって本当にぴったりだ。カラフルで人を惹きつける見た目。でもその実は、脆くて扱いにくくて。自分では選ばない。そう、僕は選んでもらえない。彼にそんなつもりは無いだろうけど、そんなところまでひどく僕に似合っている。そう思った。
※※※
GWいかがお過ごしですかー!!
天国MV公開になりましたね、情緒がいっこうに落ち着いてくれません
タルト生地大好きなのでタルトケーキも好きなのですが、作者は食べるの下手くそマンなのでいつもぼろっぼろにします()
コメント
14件
フルーツタルトからこんなに綺麗で切ないお話がかけるなんて、すごすぎる、、 不器用な涼ちゃんのフルーツタルトが上手に食べられない描写から自身を重ね合わせる発想が好きすぎた、、😭✨ どのお話もめっちゃ好きだけどこれとくに好きだった~!
片思いは辛いよね( ; ; ) でも作品は最高に良きやで! 涼ちゃんの優しさに涙が🥲︎
つらぁぁぁ