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第3話 白花に触れる指先
朝の光が、薄いカーテンの隙間から部屋へ差し込んでいた。
マリは寝台から降りると、窓辺に置かれた白い薔薇を覗き込んだ。
マリ:「おはよう」
花びらに触れないよう、そっと顔を近づける。
村にいたころは、こんなふうに誰かが自分のために花を飾ってくれることなどなかった。誰も訪れない花畑で、ひとり咲いていた白い花。それだけが、マリの小さな楽しみだった。
だからこそ、この部屋に白い薔薇があることが嬉しかった。
扉が三度、控えめに鳴る。
セシル:「マリ様。お目覚めでしょうか?」
マリ:「起きてるよー」
セシル:「失礼いたします」
扉の向こうから現れたセシルは、いつもと変わらずきちんとした装いだった。赤みを帯びた茶色の髪に、丸い眼鏡。眼鏡の奥では、鮮やかな赤い瞳が穏やかに細められている。
セシル:「よくお休みになれましたか?」
マリ:「うん。寝台がふかふかだった」
セシル:「それは何よりでございます」
マリ:「でも、ちょっと広かったよ。寝てる間に、端っこまで転がっちゃいそう」
セシル:「それでは、枕をもうひとつご用意いたしましょうか。寝台の端に置けば、少しは安心できるかと」
マリ:「ほんと? じゃあ、お願い!」
セシル:「かしこまりました」
マリが嬉しそうに笑う。
それを見て、セシルの口元にも自然と笑みが浮かんだ。
彼はそのことを、特に気に留めなかった。
マリがこの館で安心して過ごせるように気を配るのは、自分の役目なのだから。
セシル:「ところでマリ様。本日は、新しいお召し物をお試しいただこうと思っております」
マリ:「新しい服?」
セシル:「はい。こちらでお過ごしになるために、何着かご用意いたしました」
マリ:「……ぼくの?」
セシル:「もちろんでございます」
マリは少しだけ目を丸くした。
マリ:「そっか。ぼくの服なんだ」
その言い方が妙に心に残り、セシルは返事をするまでに一拍置いた。
セシル:「ええ。マリ様のためにご用意したものです」
マリは、嬉しそうに頷いた。
*
セシルが用意したのは、白いシャツに黒を基調とした上着、細身の黒いズボンという組み合わせだった。
襟元には小さなリボンが添えられ、袖口には控えめな刺繍が施されている。華美すぎず、それでいて仕立てのよさが伝わる一着だった。
マリ:「……きれい」
セシル:「お気に召しましたか?」
マリ:「うん。でも、これ、どうやって着るの?」
セシルは一瞬だけ言葉に詰まった。
マリが昨日まで着ていた服は、ずいぶんと簡素なものだった。丁寧に手入れされた様子もなく、長く同じものを身につけていたように見えた。
セシル:「よろしければ、お手伝いいたしましょうか?」
マリ:「うん。お願い」
マリは何のためらいもなく、セシルに背を向けた。
セシルは衣服を整え、袖を通し、襟元を直していく。マリが動くたび、上着の裾が小さく揺れた。
セシル:「少々、失礼いたします。襟元を整えますね」
マリ:「くすぐったい」
セシル:「申し訳ございません。もう少しだけ、お待ちください」
マリ:「ううん。だいじょうぶ」
着替え終えたマリは、鏡を覗き込んだ。
マリ:「なんか、ぼくじゃないみたい」
セシル:「いいえ。マリ様でございますよ。とてもよくお似合いです」
マリ:「ほんと?」
セシル:「もちろんでございます」
マリは照れくさそうに笑った。
セシルはその笑顔を眺めてから、マリの顔を覆う黒いレースへと視線を移した。
セシル:「マリ様。そのレースも、少し整えてよろしいでしょうか?」
マリ:「これ?」
セシル:「はい。結び目が緩んでおりますので」
マリは少し考え、それから頷いた。
マリ:「いいよ」
セシルは背後へ回り、黒い布の結び目に指をかけた。
するりと解けたレースが、音もなく彼の手の中へ落ちる。
そして、隠されていたマリの顔が朝の光にさらされた。
セシルは、思わず手を止めた。
初めて見る顔だった。
柔らかな髪。まだ幼さの残る輪郭。そして、こちらを不思議そうに見つめる瞳。
長いあいだ黒いレースの向こうに隠されていたその顔には、セシルが想像していたような恐ろしさも、忌まわしさもなかった。
ただ、目の前の世界を知ろうとする、まっすぐな眼差しがあった。
マリ:「……どうしたの?」
セシル:「……失礼いたしました。少々、見入ってしまいました」
マリ:「ぼくの顔?」
セシル:「……はい」
マリ:「変?」
セシル:「いいえ。少しも変ではございません」
セシルは静かに微笑んだ。
セシル:「とても、よくお似合いですよ」
マリ:「服が?」
セシル:「……服も、です」
マリはぱっと笑った。
マリ:「よかった!」
その笑顔に、セシルの胸が小さく揺れた。
見惚れたのは、顔立ちが美しかったからだろうか。
それとも、自分の言葉ひとつでこんなにも嬉しそうに笑ってくれるからだろうか。
セシルには、まだわからなかった。
ただ、その笑顔をもう一度見たいと思った。
セシル:「では、参りましょう。皆様にも、新しいお召し物を見ていただきましょうか」
マリ:「みんなに?」
セシル:「はい。きっと、よくお似合いだとおっしゃるでしょう」
マリ:「……変じゃないかな」
マリは自分の袖口を握った。
セシルはその手元に目を落とし、穏やかに告げた。
セシル:「ご心配には及びません。どうか、堂々となさってくださいませ」
マリ:「うん。セシルがそう言うなら、いいや」
疑いもせずに、マリは笑った。
その無防備な信頼が、セシルの心に小さな痕を残した。
*
七人が集まっていたのは、館の談話室だった。
大きな窓からは庭が見渡せ、壁際には深い色のソファが並んでいる。テーブルには紅茶と、手をつけられていない菓子が置かれていた。
ルカは書類に目を通し、レイは傍らの本を閉じた。ニコは窓辺の花を眺め、ジンはソファの背にもたれている。ルイは退屈そうに足を揺らし、朔は静かに茶器を手にしていた。
扉の向こうから、セシルの声が響く。
セシル:「皆様。少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
ジン:「ん? どうした、セシル。ずいぶん改まってるじゃないか」
セシル:「マリ様のお召し物を新しくいたしましたので、お披露目をと思いまして」
ルイ:「えっ、マリが来るの!?」
ルイが勢いよく立ち上がる。
レイ:「ルイ。騒ぐな」
ルイ:「だって、気になるじゃん!」
そんなやり取りのあと、扉が開いた。
セシルに促され、マリが一歩、室内へ踏み出す。
白いシャツに黒い上着。整えられた襟元。これまで顔を覆っていた黒いレースはなく、柔らかな表情がはっきりと見えていた。
談話室が、一瞬だけ静まり返った。
ジン:「……おお」
最初に声を上げたのはジンだった。
ジン:「ずいぶん雰囲気が変わったじゃん。似合ってるぜ、マリ」
マリ:「ほんと?」
ジン:「ああ。いつもその格好でいればいいのに」
セシル:「ジン様。マリ様が着慣れていないこともございますので、どうか急かさないでくださいませ」
ジン:「はいはい。相変わらず過保護だなあ」
セシル:「当然のお世話をしているだけでございます」
いつものように返したつもりだった。
けれど、ジンがマリを眺めながら笑っているのを見て、セシルはなぜか落ち着かないものを感じた。
それが何なのか、考える前にニコが立ち上がる。
ニコ:「とても素敵だね、マリくん」
マリ:「ニコ!」
ニコ:「白い花みたい。柔らかくて、きれいだ」
マリ:「お花?」
ニコ:「うん。君には、白い色がよく似合うね」
ニコは穏やかに微笑んだ。
マリも嬉しそうに笑い返す。
マリ:「ありがとう!」
その様子を、セシルは黙って見ていた。
ニコの言葉に喜ぶマリの顔は、自分に向けられた笑顔と同じものだった。
当たり前のことだ。
そうわかっているのに、胸の奥が小さくざわめく。
ルイ:「ねえねえ、マリ! こっち来て!」
ルイはマリの手を引くように招いた。
ルイ:「その服、すっごくいいじゃん! 前よりずっと顔が見える!」
マリ:「前は隠れてたからね」
ルイ:「うん! だから、もっと早く外せばよかったのに!」
レイ:「ルイ。事情も知らずに、好き勝手を言うな」
ルイ:「えー、褒めてるだけだよ?」
レイは小さく息を吐き、マリへ視線を向けた。
レイ:「……よく似合っている」
マリ:「ほんと? ありがとう、レイ」
短い言葉だった。
けれど、レイはそれ以上何も言わず、静かに頷いた。
ルイは満足そうに笑い、今度はマリの襟元を覗き込む。
ルイ:「このリボンもかわいいね!」
マリ:「かわいい?」
ルイ:「うん!」
レイ:「ルイ。近い」
ルイ:「兄さん、いいじゃん!」
兄弟のやり取りに、マリはくすくすと笑った。
その笑い声が談話室に広がる。
セシルは、その光景を見つめていた。
マリが笑っている。
それは喜ばしいことのはずだった。
自分以外の者たちとも打ち解け、館での暮らしを楽しんでくれるなら、それ以上のことはない。
それなのに、胸の奥には、説明のつかない小さな引っかかりが残っていた。
ルカ:「……マリ」
書類を置いたルカが、静かに声をかけた。
ルカ:「そのレースは、もう着けないのか?」
マリは手に持っていた黒い布へ目を落とした。
マリ:「ううん。持ってるよ」
ルカ:「そうか」
マリ:「ずっと着けてたものだから。捨てるのは、なんか違うかなって」
ルカは少しだけ目を細めた。
ルカ:「なるほど。君にとっては、ただの布ではないのだな」
マリ:「……うん。そうかも」
ルカはそれ以上尋ねなかった。
ただ、黒いレースを大切そうに持つマリの様子を、静かに観察していた。
その横から、朔が口を開く。
朔:「似合っている」
マリ:「朔も? ありがとう!」
朔:「ああ」
朔はそれだけ言うと、再び茶器へ目を落とした。
短い言葉だったが、マリは嬉しそうだった。
最後に、マリは窓辺にいたニコの隣へ歩み寄った。
マリ:「ニコ、あのお花、昨日のと同じ?」
ニコ:「そうだよ。よく覚えていたね」
マリ:「うん。きれいだったから」
ニコは嬉しそうに微笑んだ。
七人それぞれの視線が、マリへ向けられていた。
彼らが見ているのは、伝承に記された特別な血を持つ少年。
けれど今、この場にいるマリは、ただ新しい服を褒められて嬉しそうに笑っている、ひとりの少年に見えた。
セシルはその姿を見つめながら、静かに思った。
この笑顔を、もっと見ていたい。
誰かに褒められて嬉しそうにする顔も、花を見つけて目を輝かせる顔も。
できることなら、これからもずっと。
その願いが、少しずつ自分の中で大きくなっていることに、彼はまだ気づかないふりをしていた。
*
談話室を出たあと、セシルはマリを温室へ案内した。
七人に会ったことで、マリは少し疲れたらしい。歩きながら、何度も袖口を眺めている。
セシル:「皆様に褒めていただけて、よろしゅうございましたね」
マリ:「うん! みんな、優しかった」
セシル:「それは何よりでございます」
マリ:「ねえ、セシル」
セシル:「はい、マリ様」
マリ:「この服、汚しちゃったらどうするの?」
セシル:「お洗濯をいたします」
マリ:「破れちゃったら?」
セシル:「お直しいたします」
マリ:「……なくしちゃったら?」
セシル:「それは、少々困りますね」
セシルが微笑むと、マリも笑った。
マリ:「そっか。じゃあ、大事にする」
セシル:「ありがとうございます。ですが、マリ様。服は、着てこそ意味があるものです。あまり気にしすぎず、どうか自由にお過ごしください」
マリ:「自由に?」
セシル:「はい」
マリはしばらく考えていた。
マリ:「……セシルって、優しいね」
セシルは歩みを止めそうになった。
褒められることなら、珍しくもない。
仕事ぶりを評価されることも、礼を言われることも、これまで幾度となくあった。
それなのに、マリの言葉は不思議なほど深く胸に残った。
セシル:「……恐れ入ります」
マリ:「ぼく、セシルがいてくれてよかった」
あまりにも無邪気な声だった。
マリはただ、自分に親切にしてくれる人がいることを嬉しく思っているだけなのだろう。
けれどセシルは、その言葉を何度も心の中で繰り返してしまった。
いてくれてよかった。
自分が。
マリのそばに。
*
温室には、色とりどりの花が咲いていた。
マリは白い花を見つけると、嬉しそうに駆け寄った。
マリ:「あっ、これ!」
セシル:「お気に入りの花でございますか?」
マリ:「うん。昨日のより、ちょっと小さい!」
セシル:「本当ですね。よくお気づきになりました」
マリ:「こっちも白いよ。こっちは、ちょっと黄色い」
マリは次々と花を指さした。
セシルは、そのひとつひとつに丁寧に答えた。
普段なら、これほど長く足を止めることはない。館には仕事があり、確認すべきこともある。
それでも今日は、急ぐ気になれなかった。
マリ:「……セシル?」
セシル:「はい?」
マリ:「疲れた?」
セシル:「いいえ。どうしてですか?」
マリ:「ずっと立ってるから」
マリは温室の椅子を指さした。
マリ:「あそこで休もうよ」
セシル:「お気遣いありがとうございます。ですが、私は大丈夫でございます」
マリ:「ぼくが休みたいの。だから、一緒に座ろう?」
セシルは少しだけ迷い、それから頷いた。
セシル:「……かしこまりました」
二人で並んで腰を下ろす。
マリは満足そうに足を揺らしていた。
マリ:「ここ、好きだなあ。お花がいっぱいあるからね」
セシル:「マリ様は、本当に花がお好きなのですね」
マリ:「うん。お花は、ぼくのこと嫌いじゃないから」
昨日も聞いた言葉だった。
けれど、改めて耳にすると、セシルの胸には小さな痛みが広がった。
セシル:「……マリ様」
マリ:「なぁに?」
セシル:「ここでは、誰かに嫌われることを恐れる必要はございません」
マリはきょとんとした。
マリ:「……そうなの?」
セシル:「はい」
マリ:「じゃあ、ぼくがここにいてもいいの?」
あまりにも静かな問いだった。
セシルは、すぐには答えられなかった。
マリは、自分がここにいていいのかどうか、本当に知らないのだ。
だからこそ、こんな小さなことを確かめる。
セシル:「もちろんでございます」
セシルは、今度こそ迷わず答えた。
セシル:「マリ様は、この館にいらしてよいのです。どうか、安心してお過ごしください」
マリはしばらくセシルを見つめていた。
それから、ふわりと笑った。
マリ:「……そっか。よかった」
その笑顔を見た瞬間、セシルは胸の奥が温かくなるのを感じた。
この笑顔が、好きだ。
そう思った。
まだ、それが恋だとは認められなかった。
けれど、ただの客人に向ける感情ではないことだけは、少しずつわかり始めていた。
*
夕刻。
マリを部屋へ送り届けたあと、セシルは廊下を歩いていた。
窓の外では、空が赤から紫へと変わり始めている。
明日の仕事を整理しなければならない。
夕食の準備も確認する必要がある。
そう考えているはずなのに、頭に浮かぶのは、マリのことばかりだった。
新しい服を見て嬉しそうにしていた顔。
黒いレースを外したときの、無防備な眼差し。
七人に褒められ、照れくさそうに笑っていた姿。
温室で花を見つめていた横顔。
そして、ここにいてもいいのかと尋ねた声。
セシル:「……困りましたね」
セシルは足を止めた。
どうして、あの少年のことばかり考えてしまうのだろう。
彼の血が特別だからか。
それとも、長いあいだ人間と深く関わることを避けてきた反動なのか。
いくつもの理由を考えてみても、どれも腑に落ちなかった。
もし、マリが特別な血を持っていなかったとしても。
もし、伝承に記された存在でなかったとしても。
自分は、あの笑顔を見たいと思っただろうか。
明日も声を聞きたいと願っただろうか。
――きっと、そうだ。
答えが浮かんだ瞬間、セシルは目を伏せた。
セシル:「……私は」
言葉が続かない。
マリが笑えば嬉しい。
マリが寂しそうにすれば、そばにいたい。
マリが何かを望むなら、叶えてあげたいと思う。
それは、職務だからという理由だけでは、もう説明できなかった。
*
夜。
セシルがマリの部屋へ向かうと、扉の向こうから小さな声が聞こえた。
マリ:「……明日は、どこに行こうかな」
どうやら、独り言らしい。
セシルは扉を叩いた。
セシル:「マリ様。まだお休みではございませんか?」
マリ:「あっ、セシル!」
すぐに扉が開いた。
マリは寝間着に着替え、昼間に外した黒いレースを手に持っていた。
セシル:「お休み前に、何かございましたか?」
マリ:「ううん。なんにも」
マリは少し笑った。
マリ:「でも、明日も来てね」
セシルは息を呑んだ。
それは、何気ないお願いだった。
マリにとっては、今日一日を一緒に過ごした相手が、明日もそばにいてくれたら嬉しいというだけなのだろう。
けれどセシルには、その言葉が胸の奥にしまい込んでいた何かを、そっと解いていくように感じられた。
セシル:「……もちろんでございます」
マリ:「ほんと?」
セシル:「お約束いたします」
マリ:「やった。おやすみ、セシル」
セシル:「おやすみなさいませ。どうか、よい夢を」
扉が閉じた。
セシルは、その場にしばらく立ち尽くしていた。
明日も会いたい。
その言葉を、何度も心の中で繰り返す。
今までなら、誰かに会うことを待ち遠しいと思ったりはしなかった。
仕事があれば会う。用事があれば話す。
それだけで十分だった。
けれど今は違う。
マリが何を見て、何を感じ、どんな顔で笑うのか。
明日も、その先も、知りたいと思っている。
セシル:「……あなたに、惹かれているのですね」
静かな廊下に、セシルの声が落ちた。
自分で口にして初めて、その気持ちが確かな形を持った気がした。
長い夜を生きてきた吸血鬼にとって、心など、とうに置き去りにしたものだと思っていた。
けれど、黒いレースの向こうから現れた眼差しも、白い花を見つめる横顔も、何気なく差し出された言葉も。
そのすべてが、いつの間にか心の中に残っている。
セシルは眼鏡の位置を直し、そっと微笑んだ。
明日も、彼のもとへ行こう。
今度は、どんな話をしようか。
そんなことを考える自分を、もう否定する気にはなれなかった。
恋というものを、セシルはまだ知らない。
けれど、その始まりはきっと、こんなにも静かで、ささやかなものなのだろう。
月明かりの差す廊下を、セシルはゆっくりと歩き出した。
その胸に、小さな白い花を抱くような気持ちを隠しながら。
コメント
1件
うわあ、セシルの「困りましたね」がもう完全に恋に落ちる前の最後の抵抗って感じで…そこから「惹かれている」って自覚するところまで、静かで丁寧な心情描写がすごく良かったです。特にレースを外す場面、あの一瞬の静寂が読んでて伝わってきました。マリの無邪気な信頼がじわじわ効いてくる展開も素敵でしたね。白い花のモチーフも綺麗でした。