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香村洸希かむら こうきという同級生への第一印象は『当たり障りのない影の薄いやつ』だった。
影が薄い、というのは良い意味でも悪い意味でもある。
存在感があまりないといえばいいのか、自己主張が少なく同調するのが上手い。いつでも輪の中心にいて、色んな人から頼られているものの、必要以上に目立つことはない。
だから、余計にそう思ったのかもしれない。
あまり興味がなかったから、深く観察することもなかった。
そもそも彼は俺のことを避けているようだったし、俺も『来るもの拒まず、去る者追わず』のスタンスだったから、あえて絡みに行くことはなかった。一生関わらずに終わる人間なんて、人生の中でいくらでもいる。だからきっと彼もそうなのだろうと思っていた。
しかし、その絶妙な距離感を壊したのは、香村洸希の方だった。
いや、正確に言うなら『壊した』というよりも『踏み込んで来た』が正しい。
忘れもしない、あの高二の夏の夕暮れ。
誰もいないから、と当時恋人だった同級生の仲持縁なかもち よりがキスをねだってきた。その日は丁度期末考査テストの最終日で、先生たちの都合で部活動もなかった。
テストが終わったのに、教室で勉強するなんて生真面目なヤツはいなかったし、がらんどうの真っ赤に染まった教室の中で二人きり。
俺も大概気が緩んでいたと思う。
男同士で付き合ってる、なんてクラスメイトに言えるはずもなかったし、仲持がとにかく嫌がった。
みんなが言う『普通』と違うと、好奇の目に晒される。
ひどい時には揶揄いのネタにされて、笑い者にされることだってある。噂として学校中を回って、尾ひれがついたありもしないことを、影で言われる。
それを俺自身も良く知っていた。
万が一誰かに見られたら、次の日には学校中に噂が回って、晒し者になることは必然。
そう思ったけれど、俺だって恋人のおねだりを無下にするほど甲斐性ナシではなかったし、油断もしていたと思う。
一回だけな、とキスをした。
それを、香村に目撃されてしまったのだ。
目を開けた時には、すでに彼は扉の前に口をぽかんと開けて立っていた。
バチリ。
そう音が鳴ったと錯覚するくらいに目が合う。心臓が嫌な音を立てたのを感じながら、仲持を引き剥がした。え、と声を漏らした仲持が恐る恐る振り返ったのと、香村に俺が声を掛けたのは、多分同時だったと思う。
「何見てんの」
その声は出した俺ですら、低く刺々しく感じた。
肩を震わせたのは仲持で、香村は特に動じることなく、一度瞬きを寄越しただけだった。それから返ってきたのは、あー、という気の抜けた声。
「悪い。邪魔した。忘れ物取りに来ただけだから」
そそくさと窓際の一番後ろの席へたどり着き、数学の教科書を取り出した彼は、こちらには見向きもせずにまた同じように扉へと戻っていく。
そんな香村を見ている間、嫌な汗が背中を伝っていって、どんどんと体が冷えていくような感覚に襲われた。
口止めをするべきだろうか。香村にはたくさんのオトモダチがいる。噂好きのそいつらに、もしも今日のことがバラされたらどうする。俺はいいとして、仲持はきっと傷付く。最悪の場合、学校に来られなくなる可能性だって。
「あ、あの! 香村くん!」
声を上げたのは仲持だった。香村は律儀に振り返って、なに、と聞いてきた。
「変なところ見せて、ごめん。でも、今見たこと……ッ、誰にも言わないでほしい」
お願いします、と頭を下げた仲持の声は震えていた。
握り締めた拳が震える。
別に誰にも迷惑掛けてないのに、なんでこっちがお願いしなきゃいけないんだ。別に俺たちは悪いことなんてしてない。誰彼構わず手を出したりしない。仲持は同性が好きなだけだ。俺は同性も異性も好きなだけ。なのになんでこんなに、肩身の狭い思いをしなきゃいけないのか分からない。理不尽だ。
少しの沈黙の後、香村が口を開く。
「見られて困るなら、ここでキスしない方がいいと思う」
全くの正論だった。香村の言ってることは正しい。見られて嫌なら教室でキスなんてするべきじゃなかった。でもこの時の俺は、そんな冷静ではいられなかった。
勝手に見ていたお前がそう言うのか。お前が来なければ。
そんな思いのまま睨みつけた直後、香村はなんてことはないように言った。
「でも、別に頭下げる必要ないだろ。悪いことしてるわけじゃねーし」
は? と呆けてしまった。まさかそんな言葉が返ってくるとは、少しも思わなかったからだ。
別に頭を下げる必要はない?
悪いことしてるわけじゃない?
そんな俺たちを肯定してくれるような言葉、ただの一度だって掛けてもらったことがない。きっと仲持も同じ気持ちだったのだろう、ワンテンポ空けた後すぐに、慌てた様に声を掛けていた。
「で、でも! 不快に思ったり、とか」
「まあ驚きはしたけど、別に不快とかでは。それに一応聞くけど、二人とも同意の上だろ?」
「それはそうだけど……」
「ならいいじゃん。じゃ、俺行くから。ごゆっくり~」
戸締りはちゃんとしろよ~、なんて間の抜けた声を置いて、香村はさっさと行ってしまった。
教室にぽつんと残された俺は、しばらくそのまま固まってしまった。
香村の言葉を、頭の中で何度も繰り返す。もしかしたら夢だったのか、と思うけれど抓った太ももの痛さは本物だったし、帰ろうか、と声を掛けてきた仲持も本物だった。
初めてだった。
同性が好きなことを嫌悪されなかったのは。この人なら大丈夫だろう、と思って正直に言っても、次の日には避けられるなんてこともザラにあった。陰口を叩かれて、コソコソ笑われて、真正面から、キモいよお前、と蔑まれたことだってある。
だからきっと香村にも、面白がられて否定される。
そう思っていたのに。簡単に受け入れてくれるなんて。