テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
朝霧が独房の中に立ち込める。私はこれから断頭台へと向かう。リバーは助けてくれると言ったがどうやって衛兵の槍から守ってくれるのか。私は自分の体を強く抱きしめ、身慄いした。外に繋がる小さな鉄格子の窓は薄っすらと明るく、馬のいななきと人のざわめきが恐怖心を煽る。もうすぐ明けの刻だ。
「川上……頼んだわよ!」
私は両足で石の床を踏みつけ立ち上がった。するとその時、複数の鋼の鎧と、鋭い剣の音が近づいて来た。その音は一糸乱れぬ速さでゆっくりと私を断頭台へと導く。覚悟を決め、拳を握り仁王立ちで衛兵たちを睨みつける。獅子頭橙子はいつ、どんな時も取り乱さない。それでも衛兵たちは鎧の奥から鋭い視線で睨みつけた。
「おはよう、って感じじゃないわね」
一人の衛兵が腰から鍵束を取り出し、独房の鍵穴に差し込んだ。鈍い音が響き、鍵が軋む音で開く。私は隙をついて飛び出そうとしたが、もう一人の衛兵に呆気なく腕を締め上げられた。
「い、痛いじゃない!離してよ!」
私の悲痛な声が緊迫した空間を切り裂いたが、それは虚しく、魔法陣が描かれた石壁に吸い込まれた。衛兵は槍で私の首を締め上げ、「歩け、何をしても無駄だ」と絶望へと突き落とす。カビ臭い通路を、ハイヒールの鋭い音が響き、重々しい鎧の足音がそれに続いた。
「自分で歩けるわよ」
衛兵は一瞥しただけで何も答えず、私の首には槍が交差したままだ。息苦しさと緊張で、鼓動が早くなる。長い石畳の廊下を歩くと急に視界が開け、その眩しさに思わず目を閉じる。そこにはリバーが言っていた階段が続いていた。石壁に灯る蝋燭、私と衛兵の影が長く伸びる。心臓が今にも破裂しそうだ。その先には鉄の門が佇み、目を細めるとその向こうに青々としたオリーブの枝が風に揺れていた。
「ここね……」
私が階段を登り切ったと同時に、オリーブの樹が激しく揺れ、青い実が土の上に落ちる。
茂みの中から黒い影が剣を振り翳して飛び出してきた。その男性は鎧を脱ぎ、見窄らしいシャツと擦り切れたパンツを履いていた。臙脂色のブーツが石壁を蹴り上げ、宙に高く舞い上がる。乱れる黒髪に厳しく鋭い目、それは確かに川上を思い起こさせた。リバーは鈍く光る剣を振り回し、叫び声を上げ衛兵を切り付ける。剣と鋼の鎧が激しくぶつかり合い、鋭い音を立てた。
「オランジェット様!お逃げください!」
そこまでは良い。確かに格好いい。けれど私の手首と腰は毛羽だった荒縄で、キツく結ばれている。逃げようにも身動きが取れないのだ。
「えーっと……この縄を切ってくれないかなぁ」
私は衛兵と剣を交えるリバーの後ろ姿に呟いた。手首に巻かれた荒縄は、逃げようと足を踏み出そうとするごとに手首に食い込み激しく痛んだ。荒縄を握った衛兵は、意味深に口元を歪ませ、私を引き摺るようにして人垣が出来た広場に連れ出した。
「……忘れていた」
そうなのだ、日本でも川上は役に立たなかった。抗争で敵対する事務所に押し入っても、寸でのところで相手の組長を打ち損じてしまう残念な若頭なのだ。
「忘れていたわ……川上って……ここでも使えないってことか」
衛兵と剣を交えるリバーを尻目に、私は断頭台の前に立たされた。砂埃の舞う広場には、これから始まる残虐なショーを一目見ようと、豪華な衣装を身に纏った貴族や、粗末な身なりの国民が集まっている。その一段上には豪奢な椅子に深々と腰掛けたオルファ侯爵と、扇子で口元を隠すミーア男爵令嬢の姿があった。皆、人ごとだと思い、何やらにやけた顔でヒソヒソと話している。
「マジかよ……」
振り向くとリバーは数人の衛兵に囚われ、槍で動きを封じられていた。その顔は口の端から血を流し、沈んだ暗い目は「無念……!」と項垂れていた。いや、残念無念なのはリバー、お前だよ……と私は脳内でツッコミを入れた。
私は夜明けの空に聳え立つ断頭台を見上げた。木製の階段を踏みしめれば、そこには鋭い刃が血を求めて鈍く輝いている。私の喉はカラカラに渇き、こめかみが押し付けられたように痛んだ。それでも私の目は、厳しくオルファ侯爵を捉える。睨みつけられた彼は気圧されたが、無情にも椅子から立ち上がった。
「これより!ダントン・アンガス王太子、殺害の罪にてオランジェット・ドナーを極刑に処す!」
オルファ侯爵の声を合図に、鼓笛隊が前に進み出た。小刻みに叩くドラムロールがその場を盛り上げ、広場は異様な熱気に包まれる。周囲を見渡すと、誰も彼もが目の色を変えてその時を待っているようだった。背筋を冷たいものが流れた。そこで私は、力の限り叫んだ。
「オルファ!王太子は死んでいないんだよな!?」
彼の白い眉がピクリと動いた。私はその一瞬を見逃さなかった。オルファ侯爵は何かを知っている。いや、彼こそがこの茶番劇の主人公なのだ。私はその罪を被り踊らされているだけの哀れな人形……けれどそんなことは、この獅子頭橙子が許す筈はなかった。
「何を言っているのだ、オランジェット!観念してその階段を登れ!」
「私は嘘をつく奴が大嫌いなんだよ!」
私は、荒縄を握っている衛兵の股間を思い切り足で蹴りあげた。彼は呻き声と共にその場に崩れた。そして私は、わずかな自由を手に入れた。両手の荒縄は今も動きを封じていたが、足は思い通りに動かすことが出来た。私はハイヒールを脱ぎ散らかし、オルファ侯爵に向かって一目散に走った。
「うおぉぉぉ!」
私は地を切り裂くような雄叫びを上げ、足裏は力強く大地を蹴った。砂埃が舞い上がり、風下の見物人たちは咳き込んだ。ドラムロールの音が止む。何人かの衛兵が槍を持って行先を遮ったが、私は容赦無く体当たりをした。鋼の鎧は硬く腕と肩が痛んだが、そんなことに構っている暇はなかった。相手が伯爵令嬢ということもあり、油断していた衛兵たちはドミノのように次々と倒れていった。
「オルファ……お前だけはゆるさねぇ」
私は髪を振り乱し、肩で息をするとオルファ侯爵の前で仁王立ちした。彼は、また頬を殴られるのではないかと慌てて腕で顔を隠す。ミーア男爵令嬢はその滑稽な姿をほくそ笑んで見下ろした。私は彼女を凝視すると、そのドレスを踏みつけにじり寄る。真っ白なドレスを着ていたミーア男爵令嬢は、私がつけた泥の足跡を見て眉間にシワを寄せ、扇子を勢いよく閉じた。
「ミーア、お前も何か知っているな?」
「あら?何のことかしら……私、何のことか分からなくってよ?」
「てめぇ……!」
荒縄で縛られた拳を振りかぶり、オルファ侯爵目掛け振り下ろそうとした瞬間、私の腕は屈強な衛兵に捻り上げられていた。
「痛っ!離せよ!」
無駄な足掻きと知りながら暴れてみたが、黒い鎧の奥は鋭く厳しい眼差しで、もがいてもそれは意味を為さなかった。それどころか、肉食獣が獲物を仕留めたように舌舐めずりをしている。背筋に怖気が走った。気を取り直したオルファ侯爵が、わざとらしく咳払いをし片手を挙げると、その合図でふたたびドラムロールが鳴り響き、広場に高揚感と悲壮感が入り混じる。
「リ、リバーは!?」
オリーブの樹を見遣ると、リバーは衛兵の槍で拘束され身動きが取れない。やはりリバーは川上で間違いない……。私は体をばたつかせながら「冤罪だ!私は何もしていない!」と声を大にしたが、その声も虚しく広場の中央に放り出された。「オランジェ様!オランジェ様!」リバーは何度も私の名前を叫んだが……もう遅い。目の前には断頭台の階段が、私が登るのを待っている。
「マジかよ……」
私は衛兵の槍で背中を突かれ断頭台へと向かった。震える足を踏み出すごとに、古びた木製の階段が軋んだ。足裏に、ささくれが当たり痛む。遂に最後の段に足を掛け、広場を見渡す台の上に登った。誰も彼もが好奇の眼差しで私の見窄らしい姿を見上げている。オルファ侯爵は実に満足そうに、椅子の肘掛けに体を預けていた。オランジェット・ドナーは一体何を見てしまったのか……私は益々、興味が湧いた。こうなれば意地でもこの窮地から逃れなければならない。だが、今、私は木製の床に座らされ、処刑人に首を掴まれている。呼吸が浅くなる、握った手のひらが汗でじっとりと濡れた。万事休す。
「オランジェ!」
その時、私の頭上を荒縄が掠め、陰鬱とした空間を切り裂いた。太く頑丈そうな荒縄は、広場の中央に聳え立つ銅のポールに音を立て、大蛇のように絡みついた。
「……え、なに!?」
私は処刑人の脚を蹴り上げ、声のする方へと振り向いた。荒縄の行方を目で辿ると、二階建ての屋敷のバルコニーに、一人の青年が含み笑いでその端を力強く握っていた。青年はリバーと同じく見窄らしい格好をしていたが、どこか気品が漂っていた。ブロンドの髪、金色の瞳。それは牢獄で、隣の独房にいたレオンだった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!