コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
―――この世界に来てから1ヶ月と4日後。
宿屋で昼過ぎに起きた私は、大きなあくびと共に
階段を降りていく。
「おはようさん。
昼食は出来ているけど、どうする?」
「はい、いただきます」
女将さんに勧められるまま、食堂のテーブルに着き
料理が出されるのを待つ。
漁と猟の4日が終わると、3日の休日―――
たいていその1日目は昼くらいまで眠り、昼食が
そのまま朝食となる。
食事付きで宿泊しているとはいえ、それは朝夕だけで
昼食は有償だ。
それでも、銅貨6枚程度に過ぎないが。
「まったく、あんたの分の鳥や魚を取っておく事も
出来るのに―――」
そう言われていたが、それは断った。
実際問題として、鳥や魚も獲ってきたその日に
ほぼ売り切れてしまう。
ここの料理目当てに、食堂にやってくる人も
いるくらいだ。
そんな状況で、自分用の魚や鳥を確保してもらって、
他の人の目もある中、自分だけで食べる度胸が私に
あるかというと……
私はいつも通りの、穀物と野菜のスープを胃に
流し込んだ。
「ごちそうさまでした」
「もう食べ終わったのかい?
お風呂の準備も出来ているけど」
「あ、じゃあ入ります」
聞くところによると、この町には1泊銀貨3枚から
泊れる宿屋があるらしい。
となると、食事付きとはいえこの『クラン』の
1泊銀貨7枚は、やや割高とも言える。
その割高の理由こそ―――
このお風呂の存在だ。
ここの女将さんであるクレアージュさんは、
『液体の温度を自在に上げる』魔法を使うのだ。
身体強化も短時間なら使えるようで、宿の裏にある
巨大な水桶から水を汲み、五右衛門風呂というか
ドラム缶のような大きさの、人一人入れる風呂桶に
水を張った後、温度を上げる。
直接お湯にするので、火を使う事がなく火事の
心配が無用、おまけに二酸化炭素も出さない。
見かけは古式だが何ともエコかつクリーンだ。
この、好きな時にお風呂を頼めるサービスこそ、
『クラン』最大の売りなのである。
ただし1日1回限定、それ以降は追加料金が
発生するで、そこは要注意だ。
ちなみに、巨大な水桶に補充する仕事は
メルさんの担当であり、彼女は女将さん経由で
知り合う事になった。
そして風魔法を使うリーベンさんも、宿屋の
室内の喚起を担当しており……
と、段々こちらの世界でも人脈が出来つつあった。
「さっぱりしました。
ありがとうございます」
風呂から上がり、体を拭いて―――
新しい衣類に着替える。
「男で風呂好きってのは珍しいね。
あんた、本当はどこかの貴族さんだったんじゃ
ないのかい?
『もっと大きい浴槽があれば』とか言ってたし」
あちらの世界では当たり前だったのだが、
こちらでは少々あのお風呂は手狭だ。
樽状の容器に入るので、足を延ばせないのが
地味にキツい。
ゆくゆくは、防水性の毛皮とかで大きめの浴槽を
作ってみるかな……
なんて事を考えながら、私はギルドへと向かった。
「あ! シンさん、こんにちは。
今日はどうしました?」
「ちょっとギルド長にお話がありまして……
ジャンさんいらっしゃいますか?」
ミリアさんともすっかり顔なじみになった感がある。
ちなみに彼女もギルドの受付嬢のような役割で
ありながら、ゴールドクラスの実力がある。
それは腕力や攻撃ではなく、記憶魔法と
呼ばれるもので―――
書類でも何でも、一度目を通しただけで
覚えてしまう。
このギルドに登録している冒険者はざっと50人
くらいだが、同時にこの町の人口500人分も
彼女は記憶しているのだという。
いわば生きたデータベース、サーバともいうべき
存在であり、内政管理には欠かせない人材なのだ。
さらに、一度見た人間はどのように変装しても
彼女は見破る事が出来る、という能力まで
持っている。
「お仕事の話ですか?」
「いや、自分は今日から休日の日なんで……
ちょっと相談に乗ってもらいたい事があって」
「あ~……そういえば今週の『シンさん期間』は
終わっちゃったんですねえ。
来週まで、魚や鳥はお預けかぁ~」
勝手にそんな期間を作られても困るのだが。
とにかく、取り敢えずギルド長の部屋まで
上がる事にした。
「おう、シンか。何か用か?」
部屋に入ると、書類とにらめっこをしながら
眉間にシワを寄せるジャンさんがいた。
「あ、ちょっと相談に乗ってもらいたい事が
ありまして……
今、大丈夫ですか?」
「問題ない。
最近、賞金首になっている盗賊集団が出るから、
注意してくれって連絡が来たくらいだ」
思わずブーッと漫画みたいな反応をしてしまう。
「大丈夫じゃないでしょう!?
全然大丈夫じゃないでしょう!?」
ジャンさんは頭をガシガシとかきながら、書類を
テーブルの上にパサッと置いて、
「あのな。俺の魔法と能力は説明した事あるだろ。
この町に来るってんなら自殺行為だ」
―――そうだった。
ジャンさんの魔法は『真偽判断』、
それに火・風・水……
ただそれはメインではない。
ギルド長が最も得意としている魔法、それは―――
『身体強化に伴う武器防具強化』だ。
ジャンさん自身の戦闘能力もさる事ながら、
身につけた物までもがすさまじい威力と化す。
一度訓練を見せてもらった事があるが、手にした
小枝くらいの木の棒で、3メートル程の高さの木を
一刀両断してみせた。
小石を投げればちょっとした木の幹なら
貫通するし、ただの皮製の胸当てが、
剣や矢による攻撃を弾き返す。
言うまでもなく、彼もまたゴールドクラスなのだ。
「むしろ来てくれるのなら大歓迎だよ。
人間相手、しかも賞金が入るってんだからな」
ただ、そんな彼でもジャイアント・ボーアといった
魔物は手こずる対象らしい。
例えばボーアのような魔物は、身体強化で全身を
硬化させ、突進してくるのが厄介だとか。
ちなみに、ただの動物と魔物の線引きは―――
脅威の度合いによるものらしく、その辺りは結構
あいまいのようだ。
「で、だ―――
今日は何の用だ?」
「えっと、作りたい物があるんですけど……
材料は石とか使えればいいんですが、木製でも
構いません」
私の言葉に、ジャンさんはしばしアゴに
手をあてて考え―――
「……とすると土魔法か、木を切るなら
風魔法か―――
何をする気なんだ?」
「ま、まあ出来てからのお楽しみという事で」
それからしばらく話し合いが行われ、取り敢えず
それぞれの魔法を使える人を1人ずつ紹介して
もらい、さらに知り合いの加工業者を教えてくれた。
―――2週間後。
完成品を前にした私は、職人たちと共に喜びを
分かち合っていた。
「いやーこんな物、初めて作ったよ」
「でも俺も欲しいな、コレ」
現代人の自分としては、文明レベルを
落とせない物があった。
1つは食事。
これは自らが魚や鳥を調達する事で解決している。
というより、元より食事に関してはあまり気を
使わない方ではあったが、味というより栄養面に
ついて心配する必要があったからだ。
もう1つは―――そう。
トイレ問題である。
アウトドアが趣味だったので、汲み取りだろうが
多少汚かろうが、耐えられる自信はあったのだが……
何でよりによって和式方式なのか。
古代ローマでも座れるトイレはあったというのに。
足腰が弱くなり始めたアラフォーおっさんに取っては
死活問題である。
かくして、出来上がったのは―――
西洋式のトイレであった。
記憶を元に型を作り、まずは土台を木製で作成、
そこへ土魔法が使える人を頼み、コーティング
するように表面を石で囲む。
念のため、火魔法を使える人に一度焼いてもらい、
陶器に近い形で完成させる事が出来たのだった。
そしてついでと言っては何だが、記憶を元に、
携帯式のウオシュレットのような物も
作ってもらった。
放水先を横にした筒状の水鉄砲のようなもので、
試しに職人さんに使ってもらったところ、
なかなか好評であった。
ちなみに便器は全部石で加工出来るか試して
みたのだが、重量がえらい事になってしまい、
実用的ではないという事で却下した。
「あとは水路も作れたらいいんですけどねぇ……」
言うまでもなく、この町のトイレは水洗式ではない。
川に挟まれた立地条件ではあるのだが、
単に水を生み出す水魔法を使う人は結構多いのか、
『水を引き入れる』という概念が無い。
だからなのか、『排水』という概念も無く―――
トイレは宿屋の外にあり、昔の日本の厠よろしく
離れにポツンとあった。
深く掘った穴の上に便器を置くだけ。
それを囲んだ小屋が全てである。
ちなみに、汲み取りという概念も無い。
どうするのかと聞くと、半年ほどで満パイ、
もしくは匂いが限界に達したら埋めてしまう。
そしてまた別の場所にトイレを設置するのだという。
ただ、土に埋めれば分解される事は経験として
わかっているらしく、新たな場所を開拓すると
いうより、決められた場所でローテーションを
組む感じ。
生活排水なども、土の地面か気の利いた人なら
樹木の上にザバーで終わりだ。
宿屋などでは匂いには一応気を使っている。
しかし一般居住区では、公共トイレを町外れに
作るなど、いろいろと苦労しているそうだ。
そして風魔法を使えるリーベンさんのような人に、
週に何度か、匂いを上空へ吹き飛ばしてもらうの
だという。
ちなみにリーベンさんは、宿屋『クラン』を始め
いくつかの建物の喚起も受け持っていると聞いた。
ここより大きな町や、王都では浄化魔法を使う人が
専門にいるとの事だが……
『その魔法を使える人がいないからしゃーない』
という空気は本当にどうにかならないものか。
まあ、宗教だか習慣だかで、魔法を使わない事
そのものが、半ばタブー視されている現状も
あるので、仕方ないのかも知れない。
取り敢えずは宿屋『クラン』と―――
この町の冒険者ギルドに無料で置いてもらう
ようにして……
評判が良ければ、一般居住区にでも売り込むか。
私は職人たちに頼んで、ひとまず宿屋へ3つほど
便器を運んでもらう事にした。
―――2週間後。
この世界に来てから、約2ヵ月が経過した頃……
自分はジャンさんに呼ばれ、ギルドへ向かっていた。
基本的に生活は漁と狩猟の生活に戻り、
トイレ作りは職人さん任せにしていたのだが……
何かあったのだろうか?
受付に入ると、すっかり顔なじみになった
ミリアさんが声をかけてきた。
「あ! シンさん。
ギルド長が上でお待ちです」
「はい。でも、話って何でしょうか……
また私が何かやっちゃったとか―――
身に覚えがないんですけど」
ややネガティブに話すと、ミリアさんは
きょとんとした表情になり、
「詳しくは聞いてませんけど、一般居住区がどうとか
言ってましたから……
多分、あのトイレのお話じゃないかと」
あ、なるほど。
しかしあれから2週間ほどしか経っていないのに、
もう話が進んだのか。
「あのゆっくり座れる形……
そして備え付けの『うおし〇れっと』とかいう
道具……
あれはいいものだ……」
ボソボソと小声で話す彼女に若干恐怖を覚えるが、
好評のようで何より。
その場から逃げるようにして、足早に2階の
ギルド長の部屋へと向かった。
「おう、来たか。シン」
「は、はい。お話とは何でしょう?」
もう何度も座った事のある長イスに座り、
用件を聞く。
やはりあのトイレの話で、一般居住区から
購入と設置の要望が来ているらしい。
「その辺りは職人さんたちにお任せして
あるんですが」
「まあ、お前が発案者だし―――
『ジャイアント・ボーア殺し』に一応話は
通しておこう、って事だろうな」
その言葉に自分は力が抜け、逆にジャンさんは
カラカラと笑う。
「ま、話はそんだけだ。
了承したって事でいいな。
お前の方からは何か無いのか?
俺は明日から、一週間ほど留守にするから、
何かあるのなら今のウチに言ってくれ」
「?? 別にありませんが……
ジャンさんはどちらへ?」
テーブルの上に置かれていた木製のコップを
つかむと、それをグッとあおってから置き、
「領主様のところだ。
堅苦しいのは苦手だが、名目上そこの私兵の
指導訓練を頼まれていてな。
まあ2ヶ月にいっぺんくらいだから
いいんだけどよ。
ゴールドクラスだと、こういうのが
断れないからな」
ああ、地位が上がればそれなりに責任も
発生すると―――
「まあ、シンに取っても遠い未来の話じゃないから、
よく考えておけ。
ゴールドになったらそれなりに権限や稼ぎが
保証される反面―――
王都や領主からの命令拒否権はなくなる。
レイドなんかそれを嫌って、ゴールドになれるのに
シルバーにとどまっているくらいだ」
うーむ。最近流行りの『出世したがらない若者』の
ようなものなのだろうか。
アレ? でも……
ロンさんやマイルさんが言っていた
『すぐ上に行く』……
今までギルド長=ゴールドクラスなのは当たり前だと
思っていたけど、どうしてジャンさんは王都ではなく
この町にいるんだろう?
それとなく聞いてみると、返ってきた答えは―――
「簡単な話だ。
この町が俺の生まれ故郷だからな。
シンも聞いた事があると思うが、魔法の優劣で
全てが決まるともいえるこの世界じゃ、強ければ
何をしてもいいと思っているバカもいる。
俺がゴールドクラスになったのは、単にそれが
ギルド支部長になる条件の1つだったからだ」
……なるほど。
話から察するに、治安のためというのもあるが―――
ここの領主様や権力者が善政を敷くという保証は
どこにもない。
平和な世界のように―――
権利は守られて当然のものではく、気を抜けば
奪われるもの。
ここで生きていく人間に取って、それは徹底して
いるのだろう。
日常を生き抜く『覚悟』というものが違うのだ。
「ま、たった一週間だ。
その間に何か起こるって事は無いだろう。
だが、いざという時は頼むぜ。
『ジャイアント・ボーア殺し』殿!」
こうして、盛大なフラグを立てながら―――
私とギルド長の会話は終わった。
そして3日後―――
フラグが炸裂する事になる。
―――はじめての とうぞく―――
いつもの通り、魚取りから町へ戻ろうとした時、
門のあたりが騒がしい事に気付いた。
ちょうど川向こうまで来ていた私に、橋の向こうの
門が閉じられ、その前に10数人かの集団がいるのが
視界に入ってきた。
その集団の中に―――
明らかに3メートルはあろうかという
巨大な斧が、何者かに持ち上げられ、
体の揺れに合わせて動いている。
「何でしょうか、あれ……」
ろくでもない集団というのはわかるが、情報が無い。
もう少し近付いて状況を詳しく知ろうとすると、
突然肩を掴まれた。
「!?」
「シンさん! 俺ッス!」
振り返るとレイド君がいた。
その目には、焦燥の色が濃く見える。
「レイド君、あれは……!」
「最近、ここらへんに出没すると噂があった
盗賊集団ッス!
よりによって、ギルド長がいない時に……!」
どうやらレイド君は、これから領主のいる―――
つまりジャンさんの元まで報告しに行くところ
だったらしい。
レイド君の使える魔法は、範囲索敵と隠密。
それに身体強化による移動速度アップ。
それで急いで救援を頼みに行くとの事だった。
「だ、だけど……!
俺の足ならともかく、ギルド長が来るまで
片道1日半はかかるッス……
それまで町の防御がもつかどうか」
突然、地響きが音と共にやってきた。
その先を見ると、あの巨大な斧の刃が、門と橋の間の
スペース、その地面に埋まっている。
そして巨大な斧の主と思われる、ヒゲを生やした
筋肉質の30代くらいの男が怒鳴り始めた。
「おい、今から1時間やる!!
その間に女と酒と金を用意しな!
何も命までは取らねえ。
しばらく楽しんだら返してやるよ!
こんな石壁、この斧にかかっちゃ無いも同然だ!
よく考えるんだな!!」
そのボサボサの頭を風になびかせながら、
片手で巨大な斧を振り上げる。
うーむ、これ以上ないほど見事なヒャッハーぶりと
要求だ。
「く……!
このままじゃまずいッス……」
うめくようにレイド君がつぶやく。
「?? 私兵や、ギルドのみなさんでも
何とかなりませんか?」
「相手が悪いッス。
あの巨大な斧を使うのは、『血斧の赤鬼』
と呼ばれているグランツって奴ッス……
ギルド長なら勝てるッスが、他じゃ……
このままじゃ、ミリアが……!」
……そうか。対抗出来なければ―――
相手の言い分を飲んでしまう可能性がある。
となると、メルさんも当然対象内か。
さすがに顔見知りに手を出されるのは、
後味が悪いな……
「レイド君。
いったん町の中にまで戻ってもらえませんか?
ちょっと話し合いをしてみるんで、落ち着く
ようにと伝えてください」
その提案にレイド君は自分と門の方をいったん
交互に見た後―――
「シ、シンさんがッスか!?
いくら『ジャイアント・ボーア殺し』でも……」
「何も戦うとは言ってませんよ。
話し合いで解決出来るのならそうしますから」
彼は意を決したようにうなづくと、門の方へ
体を向け―――
ビュン! という疾風と共にいなくなった。
「お~い、みなさ~ん」
片手に魚を入れた手桶、そしてもう片手を
上に上げてぶんぶんと振りながら、門の前にいる
盗賊集団に近付く。
その声に気付くと、橋を渡り終えた私をぐるりと
囲むように、集団が動く。
みんな手に手に獲物を持ち、臨戦態勢といった
感じだ。
「何だテメェは!?
何しに来た!?」
「あ、魚を獲ってました」
その答えに盗賊一同は沈黙する。
おかしいな、何か変な事を言っただろうか。
すると、例の巨大な斧を持った男が私の前に
出てきた。
身長は私のサイズ、170cmとそう変わらない。
その肩に、あの刃の部分だけで3メートルは
あろうかという、斧の柄を乗っけている。
「いい度胸しているじゃねぇか、おっさん。
俺は『血斧の赤鬼』グランツ様だ。
てめぇは?」
「あ、魚と鳥を獲って、あとトイレを作って
生計を立てているシンと申します。
ギルドではブロンズクラスです。
どうぞよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると、また一同が沈黙する。
おかしいな、事実しか言っていないはずなのだが。
よく見ると、町の石壁の上にギャラリーがおり、
その人たちも目を丸くして静寂を保っていた。
「面白ぇな、てめぇは。
で、何の用だ?」
その問いに、ひとまず魚の入った手桶を降ろし、
横に置いてから頭を上げ―――
「いえ、血生臭い事は苦手なので、私とひとつ
賭けをしてもらおうかと思いまして。
私が勝ったら大人しく降伏してもらいます。
そちらが勝ったら、お好きなように」
「ほぉ~、で、どんな賭けだ?」
ここに来るまでに考えた手がある。
それは、自分の常識外の事を起こさせないという
能力がバレるのを隠し、かつ―――
『ジャイアント・ボーア殺し』として問題を
解決させる方法だ。
どうせ異名は知れ渡っているのだ。
それなら、最大限活用させてもらおう。
「その斧を使った賭けです」
「ほお?」
私はそのまま、人差し指で地面を指差し、
「それ、地面に振り降ろしてもらえませんか?」
と、私の言葉が終わるか終わらないかのうちに―――
彼は横に置いてあった手桶の上に斧を打ち降ろした。
手桶は真っ二つというか原型を留めず、
魚は飛び散り、大地を切り裂くように
斧の刃先が地面にめり込む。
そして彼は斧を放し、両腕を組んでこちらを
見下ろすようにふんぞり返って、
「おうよ。で、どうすんだ?」
その言葉に、私は彼の目の前で、人差し指と親指を
くっつけたり離したりして―――
斧が地面にめり込んだ反対側の刃の部分を、それで
つまんだ。
「私が
・・・・
これだけで斧を押さえますので……
これを振り上げる事が出来たらグランツさんの
勝ち、出来なかったら私の勝ちという事で」
ざわ、と盗賊集団、そして町側にいるギャラリーも
どよめく。
「……面白ぇ。本当に面白ぇよお前さん」
グランツはそう言って、片手で柄の部分を握り直した。
―――ここまでは、彼は自分の勝利を確信して
いただろう。
しかし、不運なのは相手が自分だった事だ。
この巨大な斧―――
どう見ても、300kgは下らないだろう。
下手をしたら400kgくらいはいくかも知れない。
……いわゆる、重量挙げという競技がある。
その世界記録は確か250kg―――
絶対に300kgを超える事は無かったはず。
しかもそれは、持ち上げやすくしてある
バーベルでの話。
さらに一瞬だけ持ち上がればいい条件で……
それが、片手だろうが両手だろうが、
ただ持ち上げるなんて
・・・・・・・・
出来るはずがない。
彼はニヤつきながら、町の方へ顔を向け、
「おう、てめぇらよーっく見ておけよ」
そして力を入れて斧の柄を握りしめ―――
「俺に逆らうヤツはこういう目にあっ……!!」
次の瞬間―――
グランツの顔面は地面とキスするように
密着していた。
手にした斧の柄は彼の頭上にある。
ただ、刃先は地面に埋まったまま。
一瞬両足が浮き、そして顔面からダイブするような
形になった。
私の方はというと―――
ただ、斧の刃先の上部分をつまんでいるだけである。
「ぶぐっ!? はぁっ!?」
柄から手を離して起き上がると、私と対峙する。
土で汚れた顔面の、その目からは怒りとも恐れとも
取れない光が宿る。
信じられなかっただろう。
それまで自在に扱ってきた自分の武器が、ただの
持ち上がらない鉄の塊になってしまったのだから。
「こ、この……!」
今度は両手で持ち上げようとする。
しかし、当然それは無駄に終わる。
彼のウエイトは筋肉質である事を差し引いても、
恐らく80kgを大きく超える事はない。
それが―――
下手をしたら自分の体重の5倍くらいになる物質を、
どうやって持ち上げられるというのか。
「うおぉっ!? うおっ!!」
グランツは、私が押さえているから持ち上がらないと
勘違いしている。
ただ、斧を捨てていきなり肉弾戦になったら、
私に勝ち目はない。
勘違いさせている間に、次の一手を放つ。
「……グランツさん」
「な、何だ!?」
「……聞いた事ありませんか?
このあたりで、ジャイアント・ボーアが出た話を」
すると―――
取り巻きの盗賊たちが顔を見合わせ……
「お、親分、聞いた事があります!
ジャイアント・ボーアを素手で、しかも一撃で
倒したヤツがいるって……!」
「ま、まさか……」
「コイツが噂の
『ジャイアント・ボーア殺し』……!!」
どうも噂が独り歩きしているようだが……
この状況下ではありがたい。
グランツは斧から手を離すと、ぺたりと後ろに
尻餅をついて、弱々しく口を開く。
「は、はひ……そんな……」
そして最後の仕上げに入る。
私はへたり込んでいる彼の位置まで移動し、
斧の柄を握って、
「グランツさん、これ―――
持ち上がらないのでしたら、
私 が も ら っ て も
い い で す か?」
彼は明らかに私を殺そうとしていた。
その私が、武器をよこせという意味は―――
ひっ、と息を漏らすような声が聞こえたかと思うと、
彼はそのまま後ろへ倒れ込んだ。
股間のあたりが濡れて湯気を出し―――
どうやら失神して失禁してしまったらしい。
「お、親分!」
「もうダメだ、逃げろ!!」
リーダーの有様を目の当たりにした盗賊たちが、
散り散りに逃げようとしたその時、レイド君が
瞬間移動のように姿を現した。
「おい! お前ら動くんじゃねーッス!!
もし逃げたらそいつの背中に、シンさんが
この斧を投げつけるッスよ!!」
そんな事はしないし出来ないけど……
ただ、盗賊たちの戦意を完全に失わせる事は
出来たようだ。
そしてレイド君が町の方へ手を振ると、門が開いて
ロンさんやマイルさん、そしてギルドのメンバーが
次々と駆け寄ってきて―――
盗賊たちを捕縛していった。
ちなみに、グランツが残した斧について―――
町の人たちから『シンさんが持ち帰れば?』
と言われて言い訳に四苦八苦する事になった。