テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
10周年の記念ライブが無事に終わって、俺たちは次の日から早速、地方ロケへと出向いていた。
翌日に外でのMV撮影を控えた俺たちは、すぐにホテルへと移動する。
その途中、涼ちゃんが何やらスマホで調べたことをマネージャーに相談していた。マネージャーが確認して、頷く。涼ちゃんが笑顔でペコペコと頭を下げて、その場を離れた。
「さっき、涼ちゃんなに話してたの?」
マネージャーに近づき、それとなく訊く。
「ああ、なんかこの辺りで、夜に蛍を見れるスポットがあるらしいんですよ。それを、見に行きたいんですって。だから、車出しますよーって。」
「…何時に行くの?」
「9時以降ですかね、そこからフリーなんで。」
「ふーん、俺も行っていい?」
「ああもちろん。大丈夫ですよ。」
「ありがとう、涼ちゃんには俺が言っとくから。」
「はい。」
俺は、若井のところに移動して、耳打ちする。
「今日、ちょっと夜、涼ちゃんと出るわ。」
「ん、おっけ。」
若井は、ニコッと笑う。俺たちの、久しぶりのデートだとでも思っているのだろうか。いやしかし、いつもこうして協力してくれるのだから、ありがたい。
夜の9時前、俺はそっと部屋を出た。廊下で待っているマネージャーの元へ近寄る。
「あ、お疲れ様です。」
「お疲れ様です。」
ガチャ、と音がして、涼ちゃんが部屋から出てきた。
「…え?」
「…おつかれ。」
「さ、じゃあ行きましょうか。」
俺がいる事に驚きの表情を見せた涼ちゃんだが、マネージャーの手前、下手な事が言えない。俺はそれを見越して、敢えて何も言わずにここに来たのだ。
「…何しに行くか、わかってる?」
「蛍だろ?」
「…うん。」
涼ちゃんは、少し首を傾げながら、俺に続いて車に乗り込んだ。マネージャーが走らせる車の中で、俺はそっと涼ちゃんの手を握る。涼ちゃんが思わず俺を見るが、俺はというと、ずっと窓の外に視線を向けて素知らぬ顔をしていた。別に外なんて、真っ暗だけど。窓に反射する涼ちゃんの顔を見て、嫌がってはいないだろうことを確認しては、人知れずホッと胸を撫で下ろしていた。
「じゃあ、ここで待ってますので、30分くらいで戻ってきてくださいね。」
ホテルから一時間もかからないで、目的の川沿いの道に到着した。外に出た俺たちに、マネージャーが窓越しに伝える。一応の舗装をされた道路の丁字路で、車のライトを消して待っていてくれるようだ。
俺は、スマホのライトを最弱で付け、涼ちゃんが地図を確認しながら、未舗装の農道を真っ直ぐ歩いていく。
「足元だけ照らしてね。蛍逃げちゃうから。」
「うん。」
「時期がちょっと遅いからなぁ…もしかしたら見られないかも。」
「そうなんだ。」
「うん…7月中旬までが見頃らしいよ。」
「んじゃ、ダメじゃん。」
「わかんないよ、この川沿いなのは確かなんだけど…もう少し奥まで行ってみても良い?」
「うん。」
ザリザリと、東京ではおよそ聞かない足音が夜の闇によく響く。時々脚に触れる長い草が、不快に痒く感じる。どのくらい歩いただろうか。
「あ、多分ここ…。」
涼ちゃんが顔を上げると、にわかに森の木々が一番近くにある川沿いで歩みを止めた。俺は、スマホのライトを消す。しばらくの間、眼が闇に慣れるのを待った。リーリーと虫の鳴く声が周りから聞こえ、サラサラと水の流れる音も耳に心地いい。
「…いないね…やっぱり遅かったのかな…。」
涼ちゃんが寂しそうに呟く。
遅かった。遅すぎたのか。涼ちゃんに別れを告げられてから、急いで貴方を追いかけて、貴方を欲して、貴方を望んで。かつて君が俺に望んでくれていたことを、今更の様に行動に移したりして。
「…遅すぎた…?」
「え?」
「蛍、あの時、一緒に長野行っとけばよかった。」
「………覚えてたんだ…。」
涼ちゃんが、声に嬉しさを乗せて小さく零した。覚えてるよ。貴方が『夏と蛍』を覚えてくれていたように、俺だって本当は貴方の全てを覚えてる。
俺は、涼ちゃんへ手を伸ばし、そっとその細く大きな手を握る。涼ちゃんも、ぎゅ、と優しく握り返してくれた。
涼ちゃんの顔を見つめる。俺より少し上にあるその顔。今は月明かりだけに照らされているが、俺には眩しいくらいに感じる。俺の視線に気付いたのか、それとも耐えられなくなったのか、涼ちゃんがこちらを向いた。何も言わず、じっと見つめ合う。
ざり、と俺が一歩近づくと、涼ちゃんも身体を僅かにこちらへ向ける。少しだけ、繋いだ手をこちらに引き寄せると、涼ちゃんに顔を近づけた。涼ちゃんも、顔を傾けて、俺を迎え入れる体勢に入る。そのまま、ゆっくりと唇を重ねた。柔らかく、暖かなその感触が、外の様々な音や匂いの中で、一際神経を昂らせる。身体中のどの感覚より、触れ合っている手と、唇と、そこだけに意識が集中する。まるで涼ちゃんとそこから溶け合うような感覚まで感じていた。ちゅ、とくっついた唇が離れる。俺は名残り惜しむように、唇を噛み締めた。
「…ぁ…。」
すごく小さな声で、涼ちゃんが呟いて、俺の手を引っ張り、指を差す。その先には、川と森の境で、ごく僅かな光がゆらりと動いていた。
「…ほたる…?」
「…たぶん…。」
2人で、なんとなく身を縮めて、小声で話す。息を顰めてその光を必死に眼で追っていると、また別のところで、ちら、と淡い光が揺れて見えた。
「…すごい、見れたね…。」
「…うん、綺麗…。」
俺がそう零すと、涼ちゃんは俺を見て嬉しそうに笑った。
「あの子達、オスだね。」
「そうなんだ。」
「飛び回るのがオスで、じっと止まって光るのがメス。なんだって。」
「そっか。オスは必死で飛び回るんだ。」
ゆらゆらと光るその二つの蛍は、まるで追いかけっこをしているように、でも少し寂しそうに見えた。
ホテルに帰る頃には、23時を回っていた。明日は朝イチからロケがあるので、マネージャーからも早く寝てくださいね、と念を押された。
「…おやすみ。」
「おやすみ…。」
ドアの前で、挨拶を交わして、それぞれに部屋へ入った。
本当は、抱きしめて眠りたい。明日の朝も、腕の中にいる貴方に、おはよう、と言いたいのに。時間と場所と関係が、それを許してくれない。
ねえ、ここにいて欲しいのは、俺じゃなかった? もう、別の人を想ってたりするの?
さっき、蛍の光を見ながら、そんな事を口走りそうだった。俺は、眼を閉じて、世界の中で俺と涼ちゃんだけだったさっきの記憶を、あのキスの記憶を、何度も何度も心の中で反芻して、寂しくも心地いいような不思議な感覚で眠りに落ちた。
9月の最初の日。いよいよ、俺の誕生日がある月に突入した。
去年の誕生日に、涼ちゃんに別れを告げられた時、その理由がわかるのはこの誕生日だと言われた。俺はあの日から、それを心待ちにしている。知りたい、涼ちゃんの気持ちを。涼ちゃんの理由を。もし、それが改善できるものだったら…。
「お、良いじゃん元貴。」
若井の声にハッとして、その方を見る。若井も、俺と同じように浴衣を着せてもらい、扇子をパタパタと仰いでいた。
ここは、先月末までミセスの夏祭りを開催していた、大型ショッピング施設の屋上庭園だ。真ん中に据えられた櫓には、緑の鮮やかな提灯が並び、大きなロゴが飾られている。そこから頭上をまた提灯の列がそこかしこに伸び、辺りには出店がいくつか並ぶ。
夜になると幾分かマシだが、それでも蒸し暑い。ぬるい風が、所狭しと並べ飾られた風鈴たちをチリンチリンと揺らしている。
俺は、若井と同じように扇子をパタパタと仰ぐが、なんの足しにもならなかった。若井と一緒に、冷たいドリンクを貰いながら、辺りをうろつく。
「いやーいいね、夏祭り。元貴がやりたかったの?」
「…うーん…いや、どうかな…。」
「はーん、涼ちゃんだ。」
若井がニヤリと笑って、俺をパタパタと扇子で仰ぐ。
「…まあ。…まだ付き合いたての頃にさ、涼ちゃんがお祭り行こーぜって行ってたのに、俺嫌がったんだよね。」
「あは、確かに、元貴面倒くさがりそう。んで、涼ちゃんは誘いそうだし。」
「でもさ、今思うと、あの時ぐらいしか行けなかったんだよな、と思って。今なんか、絶対行けないじゃん、普通にお祭りなんて。」
「そーだよなぁ、今じゃどこにも行けないよな、ありがたいことだけどさ。」
「だからさ、じゃあもう自分たちでやるか、と思って、お祭り。」
「規模デカ。」
若井がハハッと笑う。クシャッとした笑顔で、俺を安心させてくれる。涼ちゃんも、こんな風に喜んでくれるだろうか。そんな事を思っていると、後ろの方で、よろしくお願いします、と挨拶が交わされる声がした。振り向き見ると、涼ちゃんが浴衣を着てカラカラと歩いてくる。
俺は、深い藍染。若井は、鮮やかな藍の猪の目模様の総柄。涼ちゃんは、黒地に柔らかな白で波と千鳥が描かれた柄物。三者三様だか、どれも皆よく似合っていた。
「お待たせ、あっついね〜。」
扇子をパタパタ仰ぎ、生ぬるい風に笑顔を少し歪ませる。3人が揃ったところで、生放送の段取りの説明と、音合わせが始まった。
無事に出番を終え、お疲れ様でした、と口々に言葉を交わす。番組スタッフが撤収をかけている中で、マネージャーがこちらにやって来た。
「じゃあ、こっちでもちょっと撮影したいんで、いくつかお店で遊んでもらいましょうか。」
「うわやったあ!」
「わー、なにする?」
「輪投げ勝負しようぜ!」
涼ちゃんと若井が、はしゃぎながら輪投げへ移動する。俺は、ニ人の嬉しそうな姿に顔を綻ばせながら、ゆっくり後ろをついて行く。
三人で遊ぶ様子を、いくつか撮影してから、俺たちも撤収する時間になった。
若井が自撮りをしているのを横目に、俺は櫓を見上げて写真を撮っている涼ちゃんの元へ近づいた。
「どう?」
「うん、すごいよね、これ。ホントにお祭りじゃん、て。」
写真を確認しながら、目尻に笑い皺を湛えて嬉しそうに話す。俺は、周りを見渡して、近くに誰もいない事を確認する。
「…チョコバナナは、無かったな。」
「りんご飴はあるけどね。」
「だから俺食べれないっての。焼きそばも食べたかったな。」
「あと、わたあめね。」
ニ人で、クスクスと笑う。
「やっぱり、元貴それも覚えててくれたんだ。」
「蛍覚えてりゃ、そりゃこれも覚えてるだろ。」
「まあそっか。でも、行けたね、お祭り。」
「…ニ人じゃ、ないけどね。」
「…ううん、ありがとう。なんか最近、元貴に願いを叶えてもらってばっかだ。これは、お誕生日頑張らないとなー。」
俺は、涼ちゃんを見る。
じゃあ、俺の願いもまた叶えてよ。俺とまた、付き合って。その心も、身体も、称号も、全部全部、俺のものになって欲しい。
そう言ったら、貴方はどうする? その願いも、叶えてくれる? それとも、困った笑顔で誤魔化す?
そのどれも、涼ちゃんを困らせる気がして、俺は何も言わずに視線を外した。
もうすぐ、俺の誕生日。その日に、涼ちゃんから話を聞くまでは、俺は大人しく待っておこう。そう、決めていたから。
最近、スタジオで、涼ちゃんと若井がよく一緒にいる。隅の方で、ニ人でギターを抱えて、何やら若井が涼ちゃんにギターを教えているようだ。
「…何してんの?」
休憩中にも、ニ人で寄り合って色んなコードを弾いているところに、炭酸ジュースを飲みながら近寄る。
「なんか、涼ちゃんが友達の結婚式で余興頼まれたんだって。」
「ん…! 余興?!」
俺は、グッと喉が詰まって、咳き込みそうになった。どこの馬鹿が、今のMrs. GREEN APPLEの藤澤涼架に、余興なんてふざけた依頼をしたんだ。それを受ける涼ちゃんも涼ちゃんだけど。
「いや余興って…。それ、マネージャーにオッケーもらってんの?」
「うん、ミセスの曲じゃなければ大丈夫って。」
「ああ…。何やんの?まさかまたCマイナーのカントリー・ロード?」
「はは! 懐かし! 短調のカントリー・ロードね!」
「いや、違うよ。流石に結婚式に短調はね。」
「じゃあ何やんの?」
「長調のカントリー・ロード。」
「結局カントリー・ロードかい!」
「嘘だよ。小田和正さんの『言葉にできない』。」
「ああ、涼ちゃん好きだもんね。」
「うん。でも、やっぱりギターって難しい〜。この手が出来ない、この手が。」
涼ちゃんがコードを押さえる手に苦心していると、若井が横から手を添えた。
「だから違うって、こーだって。」
「く〜…、指攣りそう。もってくれ、俺の指…!」
あはは、とニ人で笑い合うのを、俺は緩く笑って見ていた。
家に帰り、リョウカを抱っこする。静かに尻尾を振って、胡座の中に丸くなって収まった。
お前は、こんなに俺の腕の中に易々と入ってくれるのにな。なんであの人は、するりするりと逃げて行くんだろう。
俺は、いつか撮った、涼ちゃんとリョウカの写真を見返しては、溜め息をつく。その時、スマホがLINEの通知を知らせた。涼ちゃんからだ。
『元貴の誕生日、3人でお祝いするの、13日の夜でもいいかな』
その日は、俺が夕方まで打ち合わせが入っているだけ。そして14日は、必ず一日休みを入れられる。一年の中でも、この日だけは休めと、周りから気を遣われるのだ。
『うん。いいよ。俺んちでいい?』
俺は、メンバーとはいえ、人の家に若干の苦手意識がある。それに、リョウカがいるので、そう易々と家を空けられない。
『うんわかった。鍵使って、先に準備させてもらってもいい?』
これまでの誕生日で、こんな確認をされたことは無かった。だって、付き合ってたから。涼ちゃんが誕生日の準備で俺の家に入ることなんて当たり前だったのに、今はこの確認すらも、寂しさを助長させる。
『うん。夕方まで打ち合わせ入ってるから、18時くらいには帰る』
『はーい、がんばって』
がんばって、涼ちゃんの声で頭の中に響く。頑張ってきたよ、この一年。涼ちゃんと別れても、腐らずに、そばに居続けてくれる残酷さに傷つきながらも、俺は頑張ってきた。
さっきの、涼ちゃんと若井の、ギターのやり取りが頭に浮かんでくる。なんで若井なの? ギターなら俺でもいいじゃん。あんな風に指絡めてさ、俺だって教えるのに。ていうか、小田和正さんの曲なら、むしろピアノの方がいいじゃん。なんで自分の強み出さないの、バカだな涼ちゃんは。
思考がどんどんと悪い方へ向かうのに耐えられず、俺は強く頭を振る。それに釣られてか、リョウカも頭を振ってチリリリと首輪を鳴らした。
「…そう思わない? リョウカ。」
背中を撫でて呟いた俺を、誰かに似た雰囲気で首を傾げてリョウカが見上げた。
コメント
6件
「何で若井なの?ギターなら俺でもいいじゃん」わかる!わかるよ元貴くん。余興を頼まれてるのは嘘で、実は元貴くんの誕生日で披露する方の余興なのでは?と思ったけど外したらめちゃ恥ずいなw こういう読みが当たるか当たらないかどっちにもとれるふわっとした感じを読者に思わせるのが七瀬さん! ラスト幸せになってほしい♡
ギターを練習‥?! スケジュール設定が細部にわたってしっかり作り込まれていて、素晴らしいです🥺 最終話、幸せになってくれるかな‥🥺✨
あとがき この、蛍のシーンの、たった一回のキスシーンに、全神経を注ぎました。 実際にあの県の蛍スポットを探して、地図で見て、車で行くならここまで、歩くならこんな感じ、と頭の中で想像しながら書きました(執念) あの県に行った時に、夜に二人で蛍を見に行ってたから、次の日のロケで涼ちゃんがバスの中で寝ちゃった、という裏設定にしてます笑 そして、実は元貴くんも後ろで一緒に寝ちゃってたから、若井さんが