永い貴方と儚い貴女
第1話 永い貴方
突然ですが私、幽霊になりました。
目の前には美しい青色の髪を持つ1人の執事。
どんなに近付こうとも、彼に気付いてもらえる日は来ません。
どんなに長い廊下を歩こうとも、 長い髪を揺らす貴方と鉢合わせることはありません。
「くっ…主様…。」
貴方の涙を拭ってあげることも、慰めてあげることも出来ません。
『もう…忘れてくれればいいのに…。』
雲ひとつ浮かばない空に向かって私の名前を何度も呼ぶ彼の隣に立ち、私は届くはずのない声で呟いた。
「はぁ…忘れられねぇよ…。」
『ボスキ…。』
「忘れたくないからな。」
まるで私の呟きに反応するかのような彼の独り言に、思わず目を見開く。
そして、少し期待してしまった。
『ねぇ…ボスキ?』
「…」
“願っていれば彼に声は届くのかもしれない”
そんな期待は虚しく散り、自分にだけ聞こえる彼を呼ぶ声に寂しさを覚えるのだった。
その時、冷たい風が彼の髪を揺らした。
「うっ…寒いな…。」
『…そろそろ部屋に戻ろうよ。』
『風邪…引いちゃうよ。』
「…フッ。」
すると、彼はまるで何かを懐かしむように優しい笑みを浮かべた。
「こんな時主様なら…。」
「そろそろ部屋に戻らないと風邪を引く」
「とか言って心配してくれそうだな。」
『…!』
「なんて…、」
「『…分かってるなら早くそうしてよ。』」
「って怒られちまいそうだ。」
『…っ。』
本当に…流石だよ。
彼には聞こえない2つの声が重なった言葉に応じるようにして、静かに屋敷の中へと向かっていった。
・・・
「まぁ…今日くらいいいだろ。」
2階の執事室の前にワインセラーに向かったと思ったら…。
何を思ったのか、彼は昼間からワインを片手に出てきた。
「別に予定も無いしな。」
「昼間からなんて自分でもどうかと思うが…。」
『ボスキ…?』
彼はふと寂しそうな表情を浮かべて呟いた。
「何となく…今は全部忘れたい…。」
『…程々にね。』
そのまま今度こそ執事室に向かい、彼は椅子に腰を掛けた。
「チッ…はぁ…。」
自分に呆れるかのような溜め息をこぼす彼の手には、ワイングラスが2脚。
「なんで2脚持ってきちまったんだろうな…。」
そんな事を言いつつも、彼はグラス2杯分丁寧にワインを注いでいた。
「ほらよ…主様。」
『えっ…?』
勿論、彼の向かいの椅子には誰も座っていない。
「主様、これ好きだろ?」
『…うん。』
私はそっと椅子に腰を掛け、彼を改めて見つめ直す。
相変わらず、彼にとって椅子は無人であるはずなのに、私も彼に見つめられていた。
「…寂しいもんだな。」
「目の前に居ないだけで…こんなに違うのか。」
『…っ。』
『ねぇ…私はここに居るよ…?』
「当たり前だと思ったことはなかったが…、」
「こうもいきなり居なくなっちまうとはな。」
『…ボスキ…っ!』
「フッ…俺の主は意地悪だな…。」
彼の瞳は揺れていて、それを誤魔化すようにワインを口元に運ぶ。
そして気付いた頃にはグラスは空になっていて、飲み干しては注ぎ直していた。
流石に飲み過ぎではないだろうか。
彼の体が心配になり、思わず声を掛けていた。
『ボスキ…飲み過ぎじゃない?』
「ゴクッ…ゴクッ…っ。」
『…ボスキ?』
いきなり彼の表情が暗くなり、ワインを飲み続ける手が止まった。
「くそっ…やっぱり思い出しちまうな…。」
『…』
「グスッ…主様…。」
「本当にっ…すま…ない…っ。」
『っ…ボスキが悪い訳じゃ…!』
「うぅ…っ…。」
酔いが回っているからなのか、あるいは独りだからなのか、普段滅多に涙を見せない彼が泣き崩れている。
そして遂には、右手に持っていたワイングラスが滑り落ちてしまった。
『あっ…。』
「…っ。」
彼は自分の義手を睨みつける。
「そもそも…!」
「この右手さえ失わなければ…っ!」
「右目も右手も自由だったら…、」
「未来は変わったのか…?」
『…っ。』
床を赤く染めるワインとグラスの破片。
それはまるで、あの日の悲劇という名の血に染った現実を彼に突き付けているようだった。
『変わった…のかな…。』
『でも…いいじゃん。』
『世界が平和になった今。』
『これ以上に喜ばしい事は…、』
『きっとないよ。』
目の前に居るはずなのに、彼に触れることは許されなくて。
どんなに手を伸ばしても貴方には届かない。
それでも・・・
ずっと待ち望んでいた平和が、再びこの世界を訪れた。
争いに犠牲は付き物。
私はあの日を後悔していない。
だって・・・
───貴方の為の最期を迎えられたから。
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