テラーノベル
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「あ、アルくん……。あの、これは…?」
王宮の園遊会を翌日に控えた、嵐の前の静けさのような穏やかな昼下がり。
魔力酔いの予兆である、全身がざわつくような微かな火照りを感じていた私の前に
アルくんが恭しく差し出してきたのは
光沢のある金色のリボンで飾られた、小さくも上品な箔押しの小箱だった。
「園遊会の準備で、エマちゃんも連日忙しくしていたでしょ?これは僕からの、ささやかな陣中見舞いだよ」
ふわり、とアルくんが目を細めて微笑む。
その柔らかい笑顔は、昨日のあの
捨てられた子犬のような悲しい顔がまるで嘘だったかのように
いつも通り穏やかで、そして直視できないほどに眩しい。
促されるままに、震える指先で箱の蓋を開けると
そこには宝石のように一粒ずつ丁寧に並べられた、艶やかなチョコレートが顔を覗かせた。
「わあ……!これ、街で一番人気のショコラティエの限定品じゃない……!いつも行列で、なかなか手に入らないって有名なものでしょ?」
「エマちゃんが以前、ここのガナッシュを食べてみたいって言っていたのを思い出してね。早非、一粒食べてみて」
さらりと、彼は当然のような所作で、カカオの香りが漂う一粒のショコラを指先で摘み取った。
そして、私の唇へとゆっくりと運んでくる。
……えっ、あ、あーん!?
子供の頃ならいざ知らず、お互い成人した今
この至近距離での「あーん」はあまりにも心臓に悪い。
(アイラの『距離感のバグ』作戦で少し距離を置こうとしていたのに、完全にアルくんに上書きされてる……っ!)
ドクドクと早鐘を打つ心臓の音が、静かな部屋に響いてしまいそうで怖い。
けれど、彼の指先から伝わってくる微かな体温と
私の反応を慈しむような優しい眼差しに抗えるはずもなく。
私は観念して、熱を帯びた顔のまま小さく口を開けた。
「……ん、……甘い。すごく、美味しい……!」
「ふふ、良かった。エマちゃんがそうやって美味しそうに笑ってくれるのが、僕にとって何よりの癒やしだよ」
そう言って、アルくんは流れるような動作で私の背後へと回り込んだ。
私の震える肩を大きな手で包み込み、そっと抱き寄せる。
彼の手が、私の手の上に重ねられた。
指先から流れ込んでくる圧倒的な安心感と、心地よい熱。
舌の上で溶けていくチョコレートの芳醇な甘さと
鼻腔をくすぐるアルくん特有の清涼な香りが混ざり合って、私の思考はとろとろに溶かされていく。
「……アルくん。明日の王宮の園遊会楽しみね」
「そうだね。僕が明日も、エマちゃんのこと守らせてもらうよ」
耳元で囁かれたその声が、一瞬だけ、いつもより低く、湿った熱を帯びて響いた気がした。
その真意を確かめようと、肩越しに彼の顔を覗き込もうとしたけれど
彼はいつもの「優しいお兄ちゃん」のような穏やかな微笑みを浮かべて、私の髪を優しく撫でるだけ。
(こんなに真っ直ぐ、優しくしてくれるアルくんに、ハニートラップを仕掛けるなんて……私、本当にやり遂げられるのかしら)
口の中に残る、甘くて切ないチョコレートの後味。
けれど、今の私の心には、彼を騙しているという罪悪感と───
それでも、この完璧な仮面の下に隠された
私を求めてやまないはずの「独占欲」をぐちゃぐちゃに引きずり出したいという
抑えきれない欲望が複雑に渦巻いていた。
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