「ははは、分かってるじゃない」
ドロシーはニヤリと笑う。その笑顔に、俺は戦慄を覚える。
「いやいや、だって顕微鏡で観察したら微細な世界は幾らでも見えるよね……って、それも見た時だけ合成すればいいのか……、え? 本当に?」
俺の声が震えた。自分の認識が根底から覆される感覚に戸惑う。
「だって、太古の昔からそうやってこの世界は回ってるのよ。それで違和感あったかしら?」
ドヤ顔のドロシー。
「いや……全然気づかなかった……」
俺は圧倒され、首を振るしかできなかった。
するとドロシーはニヤッと笑うと俺の手を取り、シャツのすき間から自分の豊満な胸へと導いた。その行動があまりに唐突で、俺は息を呑む。
「どう? これがデータの生み出す世界よ」
絹のようにすべすべでしっとりと柔らかく、手になじむ感触が俺の手のひらいっぱいに広がった。その感触があまりにリアルで、俺は言葉を失う。
「これが……データ……?」
「そう、データの生み出す世界も悪くないでしょ? キャハッ!」
俺は無心に気持ちのいい手触りを一生懸命追っていた。頭の中は真っ白になり、ただその感触だけに集中する。
「データの手触り……」
これがデータ? こんな繊細で優美な手触りをシミュレーションのデータで表現なんてできるのだろうか?
俺は一心不乱に指を動かした。脳髄にヤバい汁がドバっと広がっていく――――。
バシッ!
衝撃が頭に走った。誰かに頭を叩かれた……?
「ちょっとどこ触ってんのよ! エッチ!」
目を開けると真っ赤になったドロシーが怒っている。その表情に、俺は一瞬で現実に引き戻された。
「え?」
気が付くと俺はドロシーにひざ枕をされて寝ていた。そして手はドロシーのふとももをもみもみしていた。柔らかな感触と共に、罪悪感が込み上げてくる。
「あ、ごめん! これは……」
俺は急いで起き上がると平謝りに謝った。頬が熱くなるのを感じる。
「こ、こういうのは恋人同士でやるものよ! ユータ、一体何考えてるの!?」
ドロシーが赤くなって目をそらしたまま怒る。その声にはまだウブな恥ずかしさが混ざっている。
「いや、その通り、夢を見ていたんだ、ごめんなさい。本当に申し訳ない」
平謝りに謝る俺。心臓が早鐘を打つのを感じる。
一体あの夢の中のドロシーは何だったのだろうか?
妙にリアルで的を射ていて……それでメチャクチャなことをしてくれた。その記憶が鮮明すぎて、現実と夢の境界が曖昧になる。
「もう! 責任取ってもらわなくちゃだわ」
ジト目で俺を見るドロシー。
「せ、責任!?」
思わず声が裏返る。冷や汗が背中を伝う。
「冗談よ……、でも、どんな夢見たらこんなエッチなこと……するのかしら?」
ドロシーは膨らみながら俺の目をジッとのぞき込んだ。その鋭い視線に、俺は思わずのけぞる。
「コ、コンピューターって知ってる?」
「ん? カンピョウ……なら知ってるけど……」
「計算する機械のことなんだけどね、それがこの世界を作ってるって話をしていたんだ」
ドロシーは眉をひそめながら俺を見ると、
「……? 何言ってるのか全然わかんないわ。ユータ、大丈夫? 頭打ったりしてない?」
ドロシーは眉をひそめ、心配そうに俺の頭をなでた。
やはり知る訳もないか……。と、なると、あの夢は何だったんだろう……?
「夢の中でドロシーがそう言ってたんだよ。すごくリアルで……」
「ふぅん、その私、変な奴ね。でも、夢の中の私じゃなくて、目の前の私を見てよ」
ドロシーはそう言って笑うと、コーヒーを飲んだ。
「ごめんね。本当に申し訳ない」
「もういいわ。二度としないでね。……、もしくは……」
「もしくは?」
俺が聞き返すと、ドロシーの頬が再び赤くなる。
「なんでもない!」
そう叫んで、タッタッタと砂浜をかけて行ってしまった。
俺は首を傾げ、コーヒーをゴクリと飲む。身体が苦みを欲していたのだ。
「もしくは……?」
波打ち際をバシャバシャと駆けるドロシーを眺めながら、小声でつぶやいた。波の音が、その言葉をかき消すように響く。
それにしても、夢の中のドロシーは非常に興味深いことを言っていた。確かに『見た目だけちゃんとしてればいい』というのであれば必要な計算量は劇的に減らせる。現実解だ。その方法であればこの世界がコンピューターで作られた仮想現実空間であることに違和感はない。もちろん、そう簡単には作れないものの、地球のAI技術やIT技術が発達して百年後……いや、千年後……少なくとも一万年後だったら作れてしまうだろう。
と、なると、誰かが地球とこの世界を作り、日本で生まれた俺はこちらの世界に転生されたということになるのだろう。こちらの神話にも出てくるヴィーナという女神――――俺を転生してくれた、サークルの先輩に似た女性が創ったことになっている。彼女にもう一度会うことができたら謎も解けるに違いない。どうやったら会えるだろうか……?
俺は腕組みをしてキュッと口を結んだ――――。
71. ダンスサークルの姫
先輩は白く透き通る肌で整った目鼻立ち……、琥珀色の瞳が魅惑的なサークルの人気者……というか、姫だった。サークルのみんなから『美奈ちゃん』って呼ばれていて、その笑顔はまるで太陽のようにいつも周りを明るく照らしていた。
ただ、あのダンスの上手い姫がこの世界の根幹に関わっている、なんてことはあるのだろうか……? どう見てもただの女子大生だったのだが……。美奈先輩は今、何をやっているのだろう……。
ん? 『美奈』?
俺は何かが引っかかった。頭の中で歯車が回り始める。
『美奈』……、『美奈』……、音読みだと……『ビナ』!?
そのままじゃないか! やっぱり彼女がヴィーナ、この世界の根底に関わる女神様だったのだ。その閃きに、俺は思わずパンとひざを叩き、立ち上がってしまった。
確かにあの美しさは神がかっているなぁとは思っていたのだ。でもまさか本当に女神様だったとは……。俺は何としてでももう一度先輩に会わねばと思った。その決意が、全身に滾るのを感じる。
「ユータ? どうしたの? 急に立ち上がって」
戻ってきたドロシーの声に、我に返る。
「あ、ごめん。ちょっと思い出しちゃって……」
「もしかして、また変な夢?」
ドロシーの目が細くなる。その表情に、少し罪悪感を覚える。
「いや、そうじゃなくて……昔の知り合いのことを思い出したんだ。その人に会えたら、もしかしたらこの世界のことがもっと分かるかもしれない」
「へぇ、そうなの? その人、どんな人なの?」
ドロシーの目が好奇心で輝く。その純粋な興味に、俺は少し躊躇する。
「それが……。えーと……、俺の先輩でダンスの上手い……女神様?」
「え? 女神様!?」
ドロシーはポカンと口を開け、首をひねった。
俺はしまったと思った。前世のダンスサークルの先輩がこの世界を創った女神様だなんて言ったら、頭オカシイと思われるに決まっているのだ。
「あ、いやいや、女神様に似た人……だよ」
「ふぅん……。綺麗な人?」
ドロシーはジト目で俺を見る。
「あ、いや、まぁ、そのうちにドロシーにも会わせるよ。はははは……」
俺はしどろもどろになりながらごまかすかなかった。
◇
食後にもう一度海を遊泳し、サンゴ礁と熱帯魚を満喫した後、俺たちは帰路についた。ドロシーの頬には幸せそうな心地よい疲労感が映っている。
帰りは偏西風に乗るので行きよりはスピードが出る。雲を切り裂くように飛ぶカヌーに、ドロシーは時折歓声を上げた。
鹿児島が見えてきた頃、ドロシーが突然身を乗り出して叫んだ。
「あれ? 何かが飛んでるわよ! ユータ、見て!」
「え? 何? 鳥?」
見るとポツポツと浮かぶ雲の間を、巨大な何かが羽を広げて飛んでいるのが見えた。その姿は、黄金の光を帯びて輝いている。
鑑定をしてみると――――。
レヴィア レア度:---
神代真龍 レベル:???
「龍!? やばい! ドラゴンだ!」
俺は真っ青になった。背筋に冷たいものが走る。
レア度もレベルも表示されないというのは、そういう概念を超越した存在、この世界の根幹にかかわる存在ということだ。ヌチ・ギと同じクラスだろう、俺では到底勝ち目がない。逃げるしかない。
俺は急いでかじを切り、全力でカヌーを加速した――――。
ギシギシとカヌーは今までになく軋み、今にも壊れそうな音を立てる。
「きゃぁ! ユータ、何があったの?」
ドロシーが俺にしがみつく。その手が震えているのを感じる。
しかし、答える余裕がない。俺は必死に全魔力をカヌーの加速に流していく。
ぬぉぉぉぉ!!
直後、いきなり暗くなった――――。
え……?
慌てて上を向くと、なんと巨大な翼が太陽を遮り、ゆったりとはばたいているではないか。
「ひぃぃぃぃ! ドラゴンだぁぁぁ!」
巨大なウロコに覆われた前足の鋭いカギ爪が、にぎにぎと獲物を狙うように不気味に動くのが目前に見える。その爪は、まるで刀剣のように鋭く輝いた。
さっきまで何キロも離れた所を飛んでいたドラゴンがもう追いついている。その異次元の速さに、絶望が込み上げる。
逃げられない――――。
これがドラゴンというものらしい。常識の通じない超常の存在に、俺は観念せざるを得なかった。
「いやぁぁぁ! ユータぁ!」
ドロシーは叫び、俺にしがみついてくる。しかし、さすがの俺でもこんな伝説上の生物にはなすすべがない。
やがてドラゴンは横にやってきて、三メートルはあろうかと言う巨大な厳つい顔を俺の真横に寄せ、ばかでかい真紅の燃えるような瞳でこちらをにらむ。その眼差しには、人智を超えた圧倒的な迫力が宿っていた。
72. パトカーに続け
ひぃぃぃ!
あまりの恐ろしさにドロシーは失神してしまった。
『おい小僧! 誰の許しを得て飛んでおるのじゃ?』
頭に直接ドラゴンの言葉が飛んでくる。その声は雷鳴のように脳内に響き渡った。
「す、すみません。まさかドラゴン様の縄張りとは知らず、ご無礼をいたしました……」
俺は必死に謝る。冷や汗が背中を伝った。
ドラゴンは口を開いて鋭い牙を光らせる。
『ついて来い! 逃げようとしたら……殺す!』
ドラゴンはゆったりと西の方へと旋回していく。
俺も渋々ついていった。この感覚は……そうだ、スピード違反してパトカーにつかまった時の感覚に似ている。やっちまった――――。
この世界で初めて出会った超常の存在、ドラゴン。その雄大な翼の羽ばたきは、とても優雅で荘厳である。
殺すつもりならとっくに殺されているだろう。であれば、何とか申し開きをして無事に帰してもらう道を探すしかない。
俺は渋い顔でカヌーを操作しながら遅れないようにドラゴンの後を追う。ただ、心のどこかで、この世界の真実に少しでも近づける機会なのではないかという好奇心がうずいていた。
◇
ドラゴンは宮崎の霧島にある火山に近づくと、高度を下げていった。その巨体が雲を切り裂くように進む様は、まさに空の支配者である。
どこへ行くのかと思ったら噴火口の中へと降りていく。ちょっとビビっていると、噴火口の内側の崖に巨大な洞窟がポッカリと開いた。その巨大な入り口は、まるで別世界への門のように見える――――。
ドラゴンはそのまま滑るように洞窟へと入っていく。俺も渋々後を追った。心臓が早鐘を打つのを感じる。
洞窟の中は神殿のようになっており、大理石でできた白く広大なホールがあった。その壮麗さに、思わず息を呑む。周囲の壁には精緻な彫刻が施されており、たくさんの魔法のランプが美しく彩っている。それぞれの彫刻が物語を語りかけてくるかのようだ。なるほどドラゴンの居城にふさわしい荘厳な佇まいだった。
これからどんな話になるのだろうか……、俺は胃がキュッと痛くなりながらカヌーを静かに止めた。まだ気を失っているドロシーにそっと俺の上着をかぶせ、その頬に優しく触れる――――。
「ちょっと待ってて……」
俺は小さくつぶやくと、トボトボとドラゴンの元へと歩いた。足が震えるのを必死に抑える。
ドラゴンは全長三十メートルはあろうかという巨体で、全身は厳ついウロコで覆われ、まさに生物の頂点であった。高い所から真紅の目を光らせ、俺をにらんでいる。その眼差しに、圧倒されてしまう。
「す、素晴らしいお住まいですね!」
俺は何とかヨイショから切り出した。声が震えないよう必死に努める。
「ほほう、おぬしにこの良さが分かるか」
ドラゴンの声は低く、しかし力強く響く。
「周りの彫刻が実に見事です。まるで壮大な宮殿のようです」
俺は真剣に彫刻を見つめ、感想を述べた。
「これは過去にあった出来事を記録した物じゃ。およそ四千年前から記録されておる」
その言葉に、俺は驚きを隠せない。
「え? 四千年前からこちらにお住まいですか?」
「ま、そうなるかのう」
ドラゴンは何か懐かしむような表情を浮かべた。
俺は大きく深呼吸をすると、深々と頭を下げる。
「この度はご無礼をいたしまして、申し訳ありませんでした」
額から冷や汗が流れた。
「お前、いきなり轟音上げながらぶっ飛んでいくとは、失礼じゃろ?」
「まさかドラゴン様のお住まいがあるなど、知らなかったものですから……」
言い訳のように言葉を絞り出す。
「知らなければ許されるわけでもなかろう!」
ドラゴンの怒声が神殿中に響き渡り、ビリビリと体が振動する。マズい、極めてマズい……。
ドラゴンを怒らせた者の末路がどうなるかなんて知らない。なんと言えばいいのか分からず、頭が真っ白になってしまった――――。
「……んん? お主、ヴィーナ様の縁者か?」
ドラゴンは首を下げてきて、俺のすぐそばで大きな目をギョロリと動かした。その目は、まるで俺の魂を見透かすかのようだ。
冷や汗が流れ、喉がカラカラになる。
「あ、ヴィ、ヴィーナ様にこちらの世界へと転生させてもらいました」
やっとのことで言葉を絞り出す。
「ほう、そうかそうか……、まぁヴィーナ様の縁者となれば……無碍にもできんか……」
そう言って、また首を持ち上げていくドラゴン。その表情が少しばかり和らいだように見える。
俺は小さく息をつく。ヴィーナ様の名前が、この危機を救ってくれたようだ。
「ヴィーナ様は確か日本で大学生をやられていましたよね?」
俺は緊張を紛らわすように尋ねた。その瞬間、ドラゴンの瞳がキュッと絞られ、懐かしそうに遠くを見つめる。
「ヴィーナ様はいろいろやられるお方でなぁ、確かに大学生をやられていたのう。その時代のご学友……という訳じゃな……」
その声には、何か切ないものが混じっているように感じた。
「はい、一緒に楽しく過ごさせてもらいました」
ダンスサークルで一緒に踊った、あの頃の楽しい記憶が駆け巡る。今思えば、あれが前世での自分の絶頂期だった――――。
73. 最強のデコピン
「ほう、うらやましいのう……。我も大学生とやらになるかのう……」
「え!?」
こんな恐ろしげな巨体が『大学生をやりたい』というギャップに俺はつい驚いてしまった。
「なんじゃ? 何か文句でもあるのか?」
ドラゴンはギョロリと真紅の目を向けてにらむ。その視線に、背筋が凍る思いがした。
「い、いや、大学生は人間でないと難しいかな……と」
俺はブンブンと首を振り、慎重に言葉を選びながら答える。
「何じゃそんなことか」
そう言うと、ドラゴンは『ボン!』と煙に包まれた――――。
え……?
俺は漂ってくる煙を手のひらではらいながら、渋い顔で後ずさる。
すると、中から金髪でおカッパの可愛い少女が現れた。見た目中学生くらいだが、何も着ていない。彼女はふくらみはじめた綺麗な胸を隠す気もなく、胸を張っている。その姿に、俺は思わず目を逸らしてしまう。
ただ、その真紅の瞳はドラゴンのそれだった。
「え? もしかして……レヴィア……様……ですか?」
声が裏返るのを必死に抑える。
「そうじゃ、可愛いじゃろ?」
そう言ってニッコリと笑う。いわゆる人化の術という奴のようだ。その笑顔には、どこか無邪気さが残っている。
「あの……服を……着ていただけませんか? ちょっと、目のやり場に困るので……」
俺が目を背けながらそう言うと、
「ふふっ、我の肢体に欲情しおったな! キャハッ!」
そう言いながら腕を持ち上げ、斜めに構えてモデルのようなポーズを決めるレヴィア。その仕草に、年齢不相応な艶やかさを感じる。
「いや、私は幼児体形は守備範囲外なので……」
俺はつい本音を漏らしてしまう。
は……?
レヴィアから少女とは思えない重く低い声が響く。
バキッ!
刹那、レヴィアの足元の大理石が砕けてヒビが広がった――――。
え……?
レヴィアは顔を真っ赤にし、目に涙を浮かべ、細かく震えだした。その表情の変化に、俺は言葉を失う。
逆鱗に触れてしまったようだ。ヤバい……。冷や汗が背中を伝う。
「あ、いや、そのぉ……」
俺はしどろもどろになっていると――――。
「バカちんがー!!」
レヴィアは叫びながら瞬歩で俺に迫り、デコピンを一発かました。その素早い動きは、とても人間の目では追えない。
バチィィィン!!
「ぐわぁぁ!」
俺はレベル千もあるのにデコピンをかわすことも出来ず、まともにくらって吹き飛ばされた。頭蓋骨が砕けるかと思うほどの衝撃に激痛が走る。
HPを見れば半分以上持っていかれた。もう一発食らったら即死である。何というデコピン……。ドラゴンの破壊力は反則級だ。
床に転がりながら、俺は自分の不用意な言動を後悔した。神格を持つ存在を怒らせてしまったことの重大さが、身に染みて分かる。
くぅぅぅ……。
俺は痛みに耐えつつ、ゆっくりと体を起こした――――。
「乙女の美しい身体を『幼児体形』とは不遜な! この無礼者が!!」
レヴィアはプンプンと怒っている。その怒りは、まるで嵐のように部屋中に渦巻いていた。
「失言でした、失礼いたしました……」
俺はおでこをさすりながら立ち上がる。頭がズキズキと痛んだ。
「そうじゃ! メッチャ失言じゃ!」
レヴィアの叫び声が神殿中に響き渡る。
「レヴィア様に欲情してしまわぬよう、極端な表現をしてしまいました。申し訳ございません」
俺は必死に言い訳をする。冷や汗が背中を伝った。
「ん……? もう一度言うてみぃ」
「え? レヴィア様に魅了されないように……」
「そうかそうか、なーるほど、なるほど。それじゃ仕方ない、キャハハハ! 服でも着てやろう」
レヴィアは機嫌を直すと、サリーのような布を巻き付ける簡単な服を、するするっと身にまとった。それでも横からのぞいたら胸は見えてしまいそうではあるが……。
「これでどうじゃ?」
ドヤ顔のレヴィア。その表情には、少女特有の無邪気さが混じっている。四千年生きてきたという話はどうなったのだろう?
「ありがとうございます。お美しいです」
俺はそう言って頭を下げた。心の中では安堵のため息をつく。
実際、彼女は美しかった。整った目鼻立ちにボーイッシュな笑顔、もう少し成長したらきっと相当な美人に育つに違いなかった。その姿は、まるで妖精のように神秘的だ。
「そうじゃろう、そうじゃろう、キャハッ!」
『キャハッ!』? 俺はこの独特の笑い方に心当たりがあった。夢の中のドロシーが同じ笑い方をしていたのだ。その瞬間、記憶が蘇る。
「もしかして……夢の中で話されてたのはレヴィア様でしたか?」
「ふふん、つまらぬことに悩んでるから正解を教えてやったのじゃ」
レヴィアは得意げに胸を張った。
74. 海王星の衝撃
「ありがとうございます。でも……ふとももを触らせるのはマズいですよ」
俺は口をとがらせる。
「あれはお主の願望を発現させてやっただけじゃ」
「が、願望!?」
俺の声が裏返り、顔が熱くなるのを感じる。
「さわさわしたかったんじゃろ?」
無邪気に笑うレヴィア。その笑顔に、俺は言葉を失う。
「いや、まぁ……、そのぉ……」
「ふふっ、我にはお見通しなのじゃ」
ドヤ顔のレヴィア。その表情に、俺は完全に降参だった。
「参りました……。で、おっしゃった正解とは、この世界も地球も全部コンピューターの作り出した世界ということなんですね?」
俺は嫌な話題を変え、核心に切り込む。心臓が早鐘を打つのを感じながら。
「そうじゃ。海王星にあるコンピューターが、今この瞬間もこの世界と地球を動かしているのじゃ」
レヴィアの言葉に、俺は息を呑む。その『正解』が、俺の心に圧かかってくる。
「か、海王星……?」
いきなり開示された驚くべき事実に俺は頭の中が真っ白になる。具体的なコンピューター設備のこともこのドラゴンは知っているのだ。さらに、その設置場所がまた想像を絶する所だった。海王星というのは太陽系最果ての惑星。きわめて遠く、地球からは光の速度でも四時間はかかる。その遠さに、現実感がさらに薄れていく。
「か、海王星!? なんでそんなところに?」
俺は唖然とした。声が震えるのを抑えられない。
「太陽系で一番冷たい所だったから……かのう? 知らんけど」
レヴィアは興味なさげに適当に答える。その態度に、この壮大な真実がいかに彼女にとって些細なものかを感じる。
「では、今この瞬間も、私の身体もレヴィア様の身体も海王星で計算されて合成されているってこと……なんですね?」
レヴィアの言う通りなら自分はゲームのキャラ同然ということになる。自分の存在の根幹を問い直すような話に、胸が締め付けられる。
「そうじゃろうな。じゃが、それで困ることなんてあるんかの?」
レヴィアはニヤッと笑い、俺の瞳をのぞきこむ。
「え!? こ、困ること……?」
自分がゲームのキャラだったとして困ること……?
俺は必死に考えた。世界がリアルでないと困ることなんてあるのだろうか? そもそも俺は生まれてからずっと仮想現実空間に住んでいたわけで、リアルな世界など知らないのだ。熱帯魚が群れ泳ぐ海を泳ぎ、雄大なマンタの舞を堪能し、ドロシーの綺麗な銀髪が風でキラキラと煌めくのを見て、手にしっとりとなじむ柔らかな肌を感じる……。この世界に不服なんて全くないのだ。さらに、俺は滅茶苦茶強くなったり空飛んだり、大変に楽しませてもらっている。むしろメリットだらけだろう。
しかし、心の奥底で小さな不安が蠢く――――。
世界の管理者に好き勝手されてしまうこと……は困るのではないだろうか?
ヌチ・ギのような奴がのさばること、管理者側の無双はタチが悪い。その存在が、この完璧な世界に影を落としている。
「ヌチ・ギ……みたいな奴を止められないことくらいでしょうか……」
俺は躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「あー、奴ね。あれは確かに困った存在じゃ……」
レヴィアも腕を組んで首をひねる。
「レヴィア様のお力で何とかなりませんか?」
俺は手を合わせ、頼み込む。ヌチ・ギの存在はいつか必ず面倒な事になる。それを解決できるのは同格のレヴィア以外には考えられなかった。
「それがなぁ……。奴とは相互不可侵条約を結んでいるんじゃ。何もできんのじゃよ」
そう言って肩をすくめる。その言葉に、俺の心は沈む。
「女の子がどんどんと食い物にされているのは、この世界の運用上も問題だと思います」
俺は必死に訴えた。
「まぁ……そうなんじゃが……。あ奴も昔はまじめにこの世界を変えていったんじゃ。魔法も魔物もダンジョンもあ奴の開発した物じゃ。それなりに良くできとるじゃろ?」
なんと、魔法は彼の創造物だという。この精巧なシステムは確かに素晴らしいものではある。
「それは確かに……凄いですね」
俺はその功績の大きさに、複雑な思いがする。
「最初は良かったんじゃ。街にも活気が出てな。じゃが、そのうち頭打ちになってしまってな。幾らいろんな機能を追加しても活気も増えなきゃ進歩もない社会になってしまったんじゃ」
「それで自暴自棄になって女の子漁りに走ってるって……ことですか?」
天才開発者の挫折の成れの果てでの怪物化という経緯に、複雑な想いが混ざる。
「そうなんじゃ」
「でも、そんなの許されないですよね?」
経緯はともあれ、俺としては何とか活路を見出したかった。
「我もそうは思うんじゃが……」
レヴィアの声には、無力感が滲む。
「私からヴィーナ様にお伝えしてもいいですか?」
俺は最後の望みを女神に託そうと考えた。
しかし、レヴィアは目をつぶり、静かに首を振る。
「お主……、ご学友だからと言ってあのお方を軽く見るでないぞ。こないだもある星がヴィーナ様によって消されたのじゃ」
レヴィアの声には、これまでにない凄みがあった。
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