これは、とあるイギリスの小さな街で起きた誰も知らない、ある少女と少年のお話。
いつものように空には雲一つなく、青い空が広がっていた。
街の道を行き交う人々の楽しげな声が響き、子どもたちがはしゃぐ、活気が溢れた街。
その街の中に、一人の少女を見て恋に落ちた少年がいた。
銀髪で、おおらかな性格を持ち、街の子どもたちのお兄さん代わりの少年、名前は「ルディア」。
彼はいつものように街の子どもたちと共に街を駆け回ったり、時には本を読み聞かせたり、いつもの日常を過ごしていた。
しかし、その生活はある出来事で変わった。
最近になってルディアのいる街へと引っ越してきた家族がいた。
ルディアはその家族の娘である少女をひと目見た瞬間に惚れてしまった。
艷やかな長い黒髪に、同じ黒い瞳、声は小鳥のさえずりのように優しく、向日葵のように明る笑顔を持つその少女の名は「アリス」。
街の皆もその少女の存在に釘付けになっていた。
少女が笑えば街の皆までもが釣られて微笑み、少女が歌えばその優しい歌声に聞き惚れ、いつしかその少女が街の中心となっていった。
そんな少女に恋をしたのがルディアだった。
初めてあった際に挨拶をしてもらったときのあの明るい微笑みが忘れられないほどに好きだった。
街の子どもたちも次第にルディアと同じようにアリスを自分たちのお姉ちゃんと呼び、親しく接していた。
ルディアは街の子どもたちと触れ合い、笑うその少女の姿をまるで女神のようだと感じていた。
純粋なルディアは少女に一目惚れした次の日、少女を自分の好きな街から少し離れた花畑に呼んだ。
理由はもちろん、告白のためだ。
「ぼ、僕は…君が好きだ!笑っている表情も、君の姿も、声も!だ、だから…!僕と…つ、付き合ってくれないか…!」
耳にまで響くほど鼓動が早くなり、緊張で息は乱れ、声も少しばかり上擦ってしまった。
しばらくの間、沈黙が続いた後、少女は口を開く。
「もちろんよ、ルディア。あなたのような素敵な人にそう言われるなんて…私は、なんて…幸せ者なのかしら…」
断られるのが怖くて閉じていた目をゆっくりと開くと、そこには頬を赤くし、嬉しさのあまりなのか目に涙を浮かべているアリスの姿があった。
ルディアは思わず嬉しくなってしまい、ギュッとアリスを優しくながらもその嬉しさを噛みしめるように抱きしめた。
アリスも少し驚いていたが、ゆっくりと抱きしめ返し、暖かな日差しが二人を照らす中、花畑の中心で二人は結ばれたのだ。
それからというものの、ルディアとアリスは毎日を共に過ごし、笑い合い、時にはゆっくりと近づいていく距離に一緒に照れてしまったりと幸せな日常を過ごしていた。
二人は、これからもこの幸せな毎日がいつまでも続くのだろうと思い続けていた。
しかし、現実はそうは行かなかった。
時が経つたびにルディアのアリスへの愛は深まっていき、それがゆっくりと捻れていく。
二人きりで過ごしているというのに、街の子達はアリスに一緒に遊ぼうと声をかけ、アリスはその子達の方へ行ってしまう。
それが、毎日続いた。
なぜ、アリスは僕だけを見てくれないんだ?
なぜ、アリスは僕だけに微笑んでくれないんだ?
なぜ、アリスは僕だけを愛してくれないんだ?
ルディアの捻れた愛情は、更に捻れていく。
アリスを自分だけのものに、誰にも触れられないようにしたいという独占欲が暴走を始めた。
だが、アリスに嫌われてはいけないと自分を抑え、笑顔で見送ったり、時には自分も行こうと言って共に遊んでいた。
しかし、衝動は抑えられなくなっていく。
子供たちが、街の人々が、アリスの頭を撫でたり、アリスに声をかけたり、アリスの視界に入ったりするだけで虫唾が走った。
憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。
すべてが憎い。
僕だけのアリスに話しかけるな、触るな、視界に入るな。
次第に押さえ込んでいた感情が吹き出し、ルディアの愛情は狂っていってしまった。
しかし、街の人々はそんなルディアに気づきもせずにいつものようにアリスを中心に変わりのない日常を過ごしていた。
そんなある日の事、ルディアは珍しく誰もいない街の教会に訪れていた。
誰もいないせいか、教会の中でルディアの靴の音だけが響く。
そうして、教壇の前へと到着し、太陽の光が当たりステンドガラスの様々な光が祭壇前を照らすその光の中心に片膝をつき、手を組み、祈りを捧げた。
いや、祈りではなく願いに近しい何かだった。
「神よ、僕の愛するアリスへ、彼女が望む以上の幸福を与えください。」
そんな事を祈った後に、ルディアは教会を後にした。
それこそが、悲劇の始まりだった。
幸福とは常に喜ばしいものではなく、時にはその幸福が不幸へと変わることもある。
それを、ルディアは知らなかった。
いや、「知らない」ではない、「知っていた」のだ。
次の日にはアリスの姿は変わっていた。
美しい艷やかな黒髪は薄いブロンドへと変わり、瞳はまるで向日葵の花びらのような黄色へと変わっていた。
その髪色と目の色はアリスが絵本の中で見たヒロインのお姫様の色であり、いつしか自分もこんな髪と目の色になって、お姫様のようになってみたいと言っていた。
ルディアは早速願いが聞き届けられたんだと嬉しそうにしていたが、突然として変わってしまった事にアリスとアリスの両親は慌てて、教会へと走っていった。
ルディアはそれを見てどうしてだろうと何も知らないような雰囲気で少しばかり首を傾げた。
それに、いつも晴れている空は今日に限って曇っており街も、薄暗くなっていた。
そんな不吉な予感が引き寄せるように、アリスに最悪の不幸が訪れた。
教会に行き、神父へと聞きにいった。
髪と目が突然と変わってしまったことについて、何かあったんじゃないかと。
神父はしばらくアリスを見た後にひどく顔を歪ませて後ずさりながらアリスを指差してこう叫んだ。
「化物だ!!その娘は、化物だ!!」
教会の昼の12時を告げる鐘と共にその言葉は教会内に酷く響いた。
アリスは信じられず、震える声でそんなのは嘘だと言いながら両隣にいる父親と母親を見る。
二人なら、そんな事はないと言ってくれるはずだと願いながら。
しかし、そんな願いは容易く打ち壊された。
父親と母親は神父の言葉を真に受け、アリスに手を差し伸べることなく先に教会を出ようと歩き始める。
アリスは涙を流しながら必死に待ってくれと声をかけるも、変わってしまった父親と母親にはその声は届かなかった。
次の日にはアリスが化物だという噂は街全体に広がっており、今まで暖かく接してきてくれていた街の全員がアリスを冷ややかな目で見つめ、時には罵声を浴びせるものもいた。
アリスは涙ながらも自分を愛してくれたルディアを見つけ、貴方なら信じてくれるよね?と問いかけた。
しかし、帰ってきた答えは。
「…みんなが怖がっているんだ、近づかないでくれ。」
そんな冷たい言葉だけだった。
アリスは酷くショックを受け、その場で座り込んでしまう。
ルディアは周りにいた子ども達を誘導して、別の場所に行こうとしていた。
しかし、ルディアは内心では喜んでいた。
これでもう、誰もアリスに触れないし、アリスを見ないし、アリスに近づこうと声もかけない、自分だけが密かに声をかけれると。
そして、初めて見るアリスの絶望した表情。
アリスが絶望で悲しんでいる中、ルディアはその歪んだ愛情のせいか、自分の願いがかなったからか、影に隠れて嬉しそうな表情を浮かべていた。
何もかもに裏切られ、絶望へと突き落とされたあの悲痛な顔がルディアの中で何度も何度も思い出され、その度に愛おしさと見たことのない表情を見れたことの興奮で口元が緩んでいく。
あぁ、神様。素敵なプレゼントをありがとう。
そんな言葉を今にでも叫んでしまいたいほど、ルディアは興奮と歪んだ喜びに包まれていた。
それからも、アリスが人々に化物だと扱われ、悲しむ中、自分だけが影でアリスに寄り添い、自分は君が化物だとしても愛すと優しい言葉をかけ、アリスが自分だけが唯一信じてくれる人と認識させていた。
何もかもが上手く行き、ルディアは幸せの絶頂の中にいた。
アリスが自分だけのものになり、アリスは自分だけにしか頼れない、まるで、共依存のようだと喜んでいた。
アリスが求めればルディアが答え、ルディアが求めればアリスが答える。
そんな、完璧な共依存のような関係が生まれていた。
誰も知らない、二人だけの関係が。
毎日毎日、ルディアは今まで満たされなかった欲を埋めていく。
アリスを抱きしめ、アリスの鼓動を感じ、アリスの優しい匂いを肺いっぱいに吸い、自分だけしか今は触れられないんだという特別感を味わいながら。
だが、そんな幸せの絶頂の中、ついにルディアにも不幸が訪れた。
言葉というものは不思議で、昔から人が言い続けた物事には言霊というものが宿り、それを現実にしてしまうことがあった。
アリスはそのとおり、皆が化物だと言い続けているうちに本当に化物へと変わってしまった。
血肉を求める、化物に。
ある日の美しい満月が闇に包まれた街を優しく照らすその夜に化物となってしまったアリスは動き始めた。
求める衝動に従い、ゆっくりと歩いていく。
アリスは目の前に映る人間を、赤子を、犬を、猫を、鳥を、全てを食らい尽くしていく。
親を食らい、街の一つ一つの家の中に入り、その家の者たちを食らい、ペットを食らい、挙げ句の果てには膨らんだ腹を裂き、中にいた赤子までもを食らい尽くす。
そうして、食うたびにぬくもりを感じていく。その人が持つそのぬくもりを、食べることでしかアリスは感じられなくなってしまっていた。
そうして、食べ終え、その場所が血に染まり次第一つ一つの家に火を付け、ゆっくりと街を火の海と変えていく。
ルディアはその明るさに気づき、まだ眠い眼を擦りながらも開いた。
燃え盛る街を見てルディアは呆然となってしまう。
誰がやっているのかはわかっていた。
街は明るい炎に包まれ、以前あった街の明るさのように輝き、揺らめいていた。
そんな変わり果ててゆく街をみながらも、ルディアの家の1階から、ルディアの父親と母親の叫び声が聞こえ、すぐにその声は消え去った。
そして次に響く階段を登ってくる軽い足音。
ルディアは感じていた、その足音の正体がアリスだと。
そうして、部屋の中へと入ってきたアリスの口周りには赤いものが付着し、目はかつての輝きを無くしたままルディアを見つめていた。
ルディアはそんなアリスを見てまた新しい表情が見れたと頬を赤くしながら、アリスの方へと向き、真実を告げた。
あの日に自分が祈ったからこうなったのだと、君をそんな姿にして欲しいと神に願ったと。
その時のルディアは頬を染めたまま嬉しそうに言っていた。
また最後に、君の見たことのない表情を見て、君と一つになれるのだからと。
恨みで憎くて怒るのか?それとも、真顔なのか?それとも、僕と同じように狂い笑うのか?
期待と興奮で鼓動が早くなりながらも、早く見せてくれと言わんばかりの眼差しを向けていた。
しかし、アリスはルディアにいつも向けている優しい微笑みを見せた。
ルディアはその表情に恐怖ではないが、何か気持ち悪い感覚を覚えた。
自分がこんなことをしたのに、自分が全て狂わせた原因だというのに。
なぜ、いつも僕に向けてくれたあの優しい笑みを向けるのか。
その向日葵のような明るくも、すべてを包み込むようなその優しい微笑みを。
「くっ…来るなっ…!来ないでくれっ…!!その微笑みを…僕に向けるな!!」
ルディアはその得体のしれない感覚に乱れ、いつもは出ないような荒い言葉と怒鳴るような声が出た。
しかし、アリスは気にせず優しく微笑んだままルディアへと近づいていく。
その歩みはゆっくりとしながらも、確実に床に足をついて歩いてくる。
1歩、1歩と近づいてくるその足音にルディアの震えは止まらなくなり、気づけば目に涙を浮かべながら恐怖していた。
そうして、ルディアが部屋の壁際まで追い詰められ、あまりの恐ろしさに座り込むと、アリスはゆっくりとしゃがんでルディアの頬に優しく手を添えてこう言った。
「あなたがこんな事になるまで…私は…あなたの愛に気づけなかったのね…、ごめんなさい、ルディア。」
優しくて、いつも聞いていた声。
その優しい声が、今は酷く恐ろしく感じる。
なぜ、今になってそんなことが言えるんだ。
なぜ、今の状態で僕に謝ってくるんだ。
アリスの意思も考えもわからず、混乱し、その混乱がさらにルディアの中の恐怖を増していく。
「やめろっ…やめてくれっ…、僕を見るなっ…、僕は…僕は──」
声が震え、アリスの存在感に肺が押しつぶされるように苦しくてまともに息が吸えない。
目の前にいる親よりも、街の子どもたちよりも愛したアリスを目の前にして、ルディアは体を震え上がらせ、顔を青ざめさせる。
そんな中でもアリスは優しく微笑み続けながら、愛を囁くように喋る。
「私は、貴方を愛しているわ。誰よりも、この地球上の誰よりも。あなたを愛しているわ。」
「──」
ルディアが一番欲しかった言葉を、ルディアの目を見て、今度は両手でルディアの頬を包み込みながら優しく囁く。
ルディアは言葉を発せれず、息をか細く吐き、ただ目の前で微笑む少女を見ることしかできなかった。
ゆっくりと開いていくアリスの口は飲み込まれそうなほどの口の中の暗闇に、人間とは思えない鋭い牙、そして鼻につくような血なまぐさい鉄の香り。
全てがアリスがアリスでなくなってしまった事をルディアに伝えていた。
自分の意志でこんなことをしてしまった後悔が今更になって波のように押し寄せてくる。
いくら命乞いをしたとて既に届かない。
「あぁ…ぁッ…あぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ルディアの謝罪をしようと、命乞いをしようとして開いた口からはその両方の言葉すら出ず、出たのは恐怖に染まった叫び声だった。
二人は、満月がよく出るその夜に一つになった。
街はアリスの手によって全焼し、騒ぎになる頃には既に瓦礫と灰だけになっていた。
その事件はニュースになり、なぜこんなことが起きたのかと数日、数カ月によって議題になっていた。
そんな騒ぎの中、少女は微笑んでいた。
自分の中で静かに鼓動する自分の心臓と友に聞こえる彼の鼓動を聞いて何とも例えにくいような心の底から湧き上がる愛おしさに包まれていた。
片時もそばを離れることはなく、何があったとしても二人はいつも共にいた。
その日の窓から見る満月は美しく、部屋の中にいる少女をまるで祝福するかのように淡く青く照らす。
そうして、一人、少女は呟いた。
「ねぇ、ルディア、今日は月が綺麗ね。あなたと一つになれたあの日のように輝いているわ。」
薄いブロンドの長髪を夜風になびかせ、向日葵のような黄色の瞳で月を見上げながら。
その少女は誰もいないはずの部屋の中で誰かに喋りかけるように呟いた。
青く輝いていた月にゆっくりと赤みが増していく。
まるで、二人を結びつけるように。
二人を、その運命に縛り付けるように。
この物語は誰にも知られない、二人だけの秘密。
だが、この物語の結末が、
そう、それこそが、
そう、これこそが、
「二人の願った未来」。






