すっかり静かになったヨークスフィルン。街並みには大量のバルナバの実が転がり、ほのかに甘い匂いを充満させている。
夜の氷がまだ少し残る早朝から、少し暖かい恰好をした人々が家付近や浜辺に落ちている実を拾っていく。しばらくは食卓に甘いモノばかり並ぶと、ぼやいている者もいる。
シーカー達や兵士達も、起きてからは道や塔などの重要な部分から撤去作業を始めていた。夜の間に総長と王妃から特別任務を言い渡されていたのである。
ヨークスフィルンは元々は人が住んでいない寒暖の激しいリージョンだった為、様々なリージョンから人々が移住し、旅行に来る。その為、撤去する方法もまた様々。両手で抱えて近くに集める者、自前の『雲塊』でまとめて運ぶ者、網を作り出して周囲の人々に配る者、魔法で潰れた実を洗い流す者。早くリゾート地を復興させたいと思っている人々が、お互いの能力を上手く活用し、協力していく。
そんな光景を、フレアが部屋から嬉しそうに眺めていた。
「ふふ、これもセグリッパ家の努力の結晶でしょうね。ピアーニャ先生はまだ寝ているかしら」
多数のリージョンとの交流を始めたのは、ピアーニャの祖先による働きによるもの。その成果が、外にいる人々の姿である。
王と婚約してからの付き合いだが、それでも20年以上世話になっているピアーニャの気持ちを思い、まるで自分の事のように喜んでいた。
そのピアーニャは、寝ている間にアリエッタから解放され、今も安らかに眠っている。昨日の事を思えば、しばらくは出来る限り休ませてあげたい……それが『スラッタル』を直接見たフレアの考えだ。
しかし、起きてしまえば昨日の出来事をまとめる必要がある。ピアーニャとネフテリアは特にだが、パフィやツーファン達もしばらく忙しい事になるであろう事は分かっている。それ程までに今回の騒動は異常だったのだ。
それに重要な情報を持つパフィ達と書類をまとめるには、1つ大きな問題がある。
「……アリエッタちゃんのやり場に困るわね」
託児である。
いくら賢いといっても、会話がままならない少女を1人で放置は出来ない。一番聴取が必要ないクリムも、帰れば生活の為に仕事をする必要が出てくる。他人の生活を支えている食堂なので、これ以上休ませるのも憚られるのだ。
かといって、リージョンシーカーは大忙し、王城も忙しいついでに変態王子ディランがいるのでアウト。あとはフラウリージェだが、ノエラが商談の続きに向かう為、他の店員にアリエッタが怯える未来しか思い浮かばない。
「パフィちゃんと一緒にいてもらって、駄目だったらその時考えよう……」
結局、無計画な保護者同伴に落ち着くのだった。
「ん~……」
むくりと起き上がったピアーニャ。目を覚ますと同時に、甘いバルナバの香りが鼻をつく。呼吸を整えた後、むにむにと顔を揉み、思いっきり背伸び。
「あ゛ぁ~…よ゛く゛ね゛た゛ぁ……」
幼女にあるまじきダミ声を、気だるそうに吐き出した。
そこでようやく、横にアリエッタがいない事に気付く。昨晩の様子なら、目を覚ましたと同時に甲斐甲斐しく世話されてもおかしくない……そう思っていたピアーニャは、その天敵の姿を探した。
「……なるほどな」
ミューゼとパフィの間にピッタリと収まり、しっかりと上半身を固定されながらも、スヤスヤと眠り続ける少女を発見。程よい柔らかさと2人の体温が気持ち良いのか、その寝顔はとても幸せそうである。
「まったく、コドモはそうやってあまえていればいいのだ」
「本当なのよ。凄く可愛いのよ」
「おぉぅ、おきていたのか」
「幼女総長おはようだし」
ポツリと呟いたピアーニャに反応したのは、パフィとクリム。
疲労が少なかったクリムは、少し前に起きて部屋を出る準備を進めていた。パフィの方は『スラッタル』と戦ってはいたが、ずっと対峙していたネフテリア達や、魔力を使い切ったミューゼ程疲れていなかった為、少し早めに目を覚ましてアリエッタを堪能していた。
「しかし、スゴイものにだきついてるな」
「これがお乳を与える母親の気分なのよ」
「そうなのか?」
「知らないのよ」
「………………」
そんな下らないやり取りを何度か交わしていると、声が聞こえたのか、ネフテリア、パルミラ、ツーファンが目を覚ましす。
「おぉぉ……アリエッタちゃんの寝顔……」
「尊い」
「やっぱりミューゼはまだ起きれないかぁ。では遠慮無く♪」
周りがアリエッタに目を奪われている隙に、ネフテリアはミューゼの背にくっついて添い寝し始めた。
「あ、ネフテリア様。ノーマルはすっかり卒業なさったんですね」
「……してないわ。功労者を労ってるだけよ」
説得力皆無の返答をしながら、ミューゼの頭をナデナデ。
くすぐったいのか、ミューゼの体が少し震え、それによってアリエッタが静かに目を覚ました。
ぽよぽよ
「…………?」
ぱちくり
手と胸元に柔らかい感触があり、それが何か確かめるように力を込める。
すると、頭のすぐ近くから、声がかけられた。
「おはようなのよ、アリエッタ」
「おは…よ?」
そこにいるのは、もちろんアリエッタを抱き留めているパフィ。顔を上げるとすぐ間近にあるパフィの顔を確かめ、再び手元を確かめ、またもや目をぱちくりさせる。
「ん? んんんっ?」(えっちょっと待っ…えっ? これ、えっ!?」
徐々に覚醒していくと同時に、それが何かを理解し始めた。
「ぱ、ぱ、ぱ、ご、ごめ……」(なにこれどういうじょうきょう!? なんでぱひーの…にだきついてるのぉぉぉぉ!?)
アリエッタは逃げ出そうとした。
しかし体が動かない!
肩と手がパフィに優しく固定されているので、上半身を動かせないのだ。
「アリエッタちゃん、やっぱり恥ずかしがり屋さんですねぇ。かわいい~」
「ふむ……」
パルミラが横でニコニコと眺め、ピアーニャがアリエッタを見て何かを考えている。
状況が上手く飲みこめないまま、アリエッタは大混乱。顔を真っ赤にしながら足をバタバタし始めた。
「うふふ♡ いいのよアリエッタ。このまま恋人であり専属料理人であり姉であり祖父でもあり、時には母でもあり夫でもあるこの私に、存分に甘えるといいのよっ」
「いやいや多過ぎ盛り過ぎ! 大部分がおかしい!」
もうアリエッタでなくとも、何を言っているのか分からない。
と、ここで、柔らかい物から手をどけようと奮闘していたアリエッタが、後ろに逃げれば良い事に気が付いた。
(逃げ…られないっ!? 後ろに何か温かいのが……)
「うぅん…ぱふぃ……もいで…やるぅ……」
「ふえっ!?」
パフィから離れる為に後ろに転がろうとしたが、寝ぼけたミューゼに阻まれて動けない。しかも唯一動かせていた下半身も、ミューゼの足にがっちりホールドされてしまった。
「みゅー…ぜ? ぱひー!?」(あのちょっとこれどういう事ですかね!? ものすっごい挟まれてませんかね!? 超ソフトサンドイッチですよね!? 絶対イケナイ事してますよね!? 離してくれませんかね!? 僕は男なんですよ駄目ですよみゅーぜ助けてください僕には心に決めたみゅーぜという女性がいてですねぇ!)
もはや動けるのは頭だけとなった状態で出来る事は……心の中で意味不明な言い訳をしまくるのみだった。
ネフテリアを始め、全員がそんなアリエッタを微笑ましく見守っている。昨晩頑張ったからと、相当甘やかしたいようだ。
それでもなんとかもがき続ける事で、ついにミューゼが目を覚ます。
「んぁ……アリエッタ~?」
「!?」
真後ろから聞こえたその声に、ビクッと身を震わせた。
(あの違うんですこれは浮気とかじゃなくてですね逃げられなくて困ってるところなんですすみません許してくださいどうしたら償えますか誰か教えてくださあぁぁい!)
言い訳から謝罪と懇願へと、思考が流れるように変わっていく。自分が少女である事を忘れてしまう程、頭の中がグチャグチャになっている様子である。
「おはようアリエッタ。今日も可愛いねぇ」
そんな内心など分かる筈もないミューゼは、呑気に朝のご挨拶。直後に後ろのネフテリアに気付き、驚いた。
「おはようミューゼ。今日も可愛いねぇ」
「お、おはようございます? テリア? さま? なんであたしに絡まってるんですかね?」
「そりゃもちろん、ミューゼがわたくしの嫁だからに決まっているでしょう」
今のネフテリアからは、それが冗談なのか本気なのか分かり難い。身の危険を感じたミューゼは、正直に断る事にした。
「あの、あたし、アリエッタっていう心に決めた女性がいるので」
その思考パターンはアリエッタと同じだった。
その言葉に、大きく反応する者が1人。
「はぴっ!?」(僕呼ばれましたっ!? やっぱり怒られるんですかねっ!?)
ミューゼから自分の名前が出た事で、さらに焦りだすアリエッタ。もちろん名前以外の意味は分かっていない。
思わず涙目になってパフィを見上げるが、逆効果である。視線を受けたパフィは、感極まって額にキスをした。
そうして固まってしまったアリエッタをチラ見しつつ、ミューゼをホールドしているネフテリアの暴走はエスカレートしていく。
「わたくしの嫁はわたくしの嫁、ミューゼの嫁はわたくしの嫁。そーゆー事よ」
「いやその理屈はおかしい!」
「ひゃうっ!? ごめなさっ」(やっぱり怒ってるうぅぅぅ!!)
「はいはい大丈夫なのよー、怖くないのよー」
怒鳴っている相手はアリエッタではないのだが、寝起きで混乱しているアリエッタには、もはや何に対して怒っているのかなど考える余裕も無い。思い込みだけが思考の全てを支配してしまっている。
それに便乗して、パフィはなおも甘やかし続ける。そんな4人のカオスなイチャつきっぷりを、パルミラ達はなんとも言えない顔になって見つめていた。
しかしそんな中、ピアーニャが動き出す。ベッドの上に乗り、パフィの上からアリエッタを覗き込んだ。
「! ぴ、ぴあーにゃ……」(これは違うんだ! 決して甘えてるとかじゃなくて、動けなくて……)
アリエッタは妹分に今の状態を見られてしまった事に、心底焦りだした。それもその筈、寝ながら赤ちゃんのように抱き着いた挙句、大好きな人に全身で絡まれたまま怒られている。全く意味が分からないが『お姉ちゃん』として恥ずかし過ぎるのだ。
しかもピアーニャは、そんな『お姉ちゃん』を見て、ニヤリと笑みを浮かべてしまった。アリエッタの顔からサーっと血の気が引いた。
(もうダメだぁ…おしまいだぁ……)
絶望するアリエッタに向けて、ピアーニャが手を伸ばし……頭をひと撫で。
「ふぁ♪」
絶望の顔から一瞬で満面の笑顔に変化した。
ピアーニャはその様子に呆れつつも、そのまま手を添えている頭をそのまま動かし、柔らかいクッションに押し付ける、そして手を離した。
「………………ぷひゃあっ!?」(何で!? 何でパフィのに埋まってるの!? 何で喜んでんのっ!?)
「ぷっ……今のちょっと面白い……」
「可哀想な気もしますけど、これは流石に……ふふふ」
傍から見ていたパルミラ達が、アリエッタのおかしな挙動に笑いを堪えられなくなっている。しかしピアーニャは再びニヤリと笑い、アリエッタに手を伸ばした。
「ぴ、ぴあー…あふん♪」
むにゅっ
「…………あわわわわっ!?」(違うの違うの! 急に嬉しくなっておかしくなって!)
なでり
「はうぅ♪」
むにゅっ
「ふふふ、ゾンブンにあまえてしまえ。わちのくるしみをしるがいい。ふははははは」
頭を撫でられると完全無抵抗になるという弱点を突き、ピアーニャはこれまで甲斐甲斐しく年下として世話をされてしまった復讐を、何度も何度も繰り返す。
パフィもミューゼもネフテリアも、可笑しい以上に微笑ましく思い、しばらく喜んでは慌てるアリエッタを笑いながら眺めていた。
「……無限ループって怖いし」
後でアリエッタに泣きつかれる予感しかしないクリムは1人、アリエッタの喜ぶような料理を考えながら、冷静さを装うように呟くのだった。
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