カウンターの奥から現れたのは、驚くほど背の高い青年だった。
二十代半ばくらいだろうか。すらりとした体格に、白いシャツとエプロン。少しだけ長めの前髪の奥で、穏やかな目が微笑む。
癒し系、という言葉がふと頭をよぎった。
「胡蝶蘭を三鉢、今日の夕方までに用意していただきたいのですが。白で、送り先は――」
気づけば私は、会議室と同じ調子で話していた。
仕様、納期、予算。完璧に整理された業務口調。
言い終えてから、はっとする。
「……あ、ごめんなさい。つい、いつもの癖で……」
青年は少しだけ目を瞬かせてから、ふわっと笑った。
「大丈夫ですよ。分かりやすくて助かります」
否定も、困り顔もない。まるで春風みたいな受け止め方だった。
私はほんの少し、肩の力を抜いた。
青年は花の首にそっと指で触れる。
すらりと長くて、きれいに爪を切りそろえられた指だった。
「こちらの白胡蝶蘭でしたら、花持ちも良くて、お祝いには最適です。用途は……創立記念とのことでしたよね」
「はい。取引先の五十周年です」
「そうでしたか……パーティーでしょうか?」
「え? ええ」
思わず、素で聞き返していた。
ふと目が合う。
それで初めて、青年がとても整った顔立ちをしていることに気が付いた。
「大規模な式典やパーティーですと、胡蝶蘭よりはスタンド花の方が喜ばれます。たくさんのお客様の来る場であるならば、企業様のイベントの雰囲気を盛り上げることもできますし……胡蝶蘭と違って、色とりどりの花が使用できますから。取引先様のイメージやコーポレートカラーがあれば、合わせることができます」
「あ、じゃあ、……赤と白にしてください」
「すみません。赤色の花やラッピングは避けるべきかなと思うんです」
「え?」
「赤は《赤字》や《火事》を連想させるため、縁起が悪いとされているんですよ。ピンクと白ではいかがでしょうか」
「……ありがとうございます」
胸の奥が、ほんのり熱くなる。
自分の知らないことを教えてくれることはありがたい。
「知らずに恥をかくところでした」
「いえいえ」
青年は胡蝶蘭の札を丁寧に整えながら、やさしく言った。
「お客様が初めに考えられていた胡蝶蘭にも、すてきな花言葉がありますから」
「花言葉?」
「ええ。幸せが飛んでくる」
「へえ」
「ランは美しいですが……この花も十分に高貴ですよ」
「ピンクの百合?」
「ええ。カサブランカといいます。栄華、祝賀という意味がありますね」
「ふうん。周年祝いにはなんだかぴったりですね」
「そう思います」
青年と顔を見合わせてにっこり笑い合う。
きっとよいスタンド花を作ってくれるだろう。
「ありがとうございます。助かりました」
「こちらこそ」
レジを済ませ、私は花屋を出る。
背後でまた、鈴が鳴った。
――たった数分の出来事。
でもなぜか、その余韻は、いつまでも胸の奥に残り続けていた。
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